(文化)出雲の「龍蛇さん」/悠久なる南洋との交流/島根県立古代出雲歴史博物館専門学芸員 岡宏三 #公明新聞電子版 2025年01月08日付
かつて出雲では、十一月(旧暦では十月)になると連日木枯らしが吹き荒れた。十月を神無月ともいうが、出雲地方では諸国の神々が参集されるから神在月という。出雲びとは時雨れる空に神々の到着を感じ取り、「お忌み荒れ」と呼んだ。
神々が滞在されている間は、物音をたてて議りごとの妨げにならぬよう、歌舞音曲を自粛し、特に神々が諸国へお帰りになる日(神等去出)の夜は屋外に出ることさえ忌み慎んだ。なので神々をお迎えした出雲大社や佐太神社(松江市)などの諸社で行われる神在祭を「お忌みさん」ともいう。
「お忌み荒れ」になると、出雲の沿海に「龍蛇さん」(南西諸島以南に棲息するセグロウミヘビ)が海流に乗って漂着する。
室町時代の謡曲「大社」は神在祭を題材とする。神々が参集するなか、海龍王が黄金の小筥の中の小龍(龍蛇)を社前に捧げると、大社の大神が出現し、泰平の世と福寿をかなえよう、と告げる筋立てである。龍蛇は神々の先導役・海上安全・火難水難の神とされているが、この謡曲では、幸せと富をもたらす存在であるとも位置付けているのだ。
確かに南方の海の彼方からは、悠久の昔から富がもたらされていた。
出雲大社の背後の山の裏側、日本海に面した猪目洞窟遺跡から、約二〇〇〇年前、弥生時代後期の男性の人骨が出土している。この人物が腕輪として身に付けていたゴホウラ貝は、奄美大島以南で採取される貝で、特定の地位にある者のみが装飾品とする貴重品だった。
大社から車で西へ約五〇キロの場所に、大航海時代の頃、世界有数の銀の産出量を誇った世界遺産・石見銀山がある。
数年前、銀山領の港として栄えた温泉津の町の入口から「石敢当」が出土した。中国の福建省を発祥とする、丁字路の突き当たりなどに建てられた魔除けの石で、沖縄・鹿児島両県に広く分布する。琉球王国を中継とする中国交易ルートによってもたらされた習俗である。
「石敢当」は両県以外でも東北地方にまで分布するが、どれも幕末・近代以降に建てられたものなのに対して、温泉津の石敢当は江戸時代前期にまでさかのぼる。かつ「来龍」「進宝」など縁起の良い文句も刻んであり、招福の願いも込められていたことがわかる。
龍蛇が出雲に到達するまでのルートをさかのぼっていくと、はるか太古の昔から脈々として続いていた、南洋諸島、更には大陸との、壮大な交流の軌跡が浮かび上がってくるのである。(おか・こうぞう)