平和安全法制論
< 平和安全法制への欺難を糺す >
公明党 山梨県本部 県幹事長
2015年10月25日
甲府市議会議員
佐野弘仁
–< 平和外交の重要性、政治の果たす役割 >
(平和安全法制について)
公明新聞:2016年3月29日(火)付
平和安全法制が施行、憲法上の枠内で安全守る、北側一雄副代表に聞く
衆参両院でも120時間を超える、戦後でも長時間と言われる長き審議時間に撚り、平和安全法制についての論議が国会で行われ可決された。後述するが、甲府市議会でも慎重審議を採択し国へと要望した経緯もあった。尽くされた衆院審議「強行採決」批判は当たらず 手順を踏んだ与党 野党の“演出”こそ問題
まず初めに、国民大衆が誰人も欲して止まない世界平和にとって、最も大事で、最も重要なことは「対話」であり、政治に於いては「外交努力」で「平和的発展」を図り、各国首脳同士で胸襟を開き対話出来ることが大事なことは、誰人も異論のない一致した意見である事に間違いない。
隣国の中国に対し、前民主党政権下での尖閣国有化問題以降こじれてからは、日中の首相会談は一度も叶わず、対話の糸口さえ見えない状況であった。この様な異常とも言える状況のなか政権交代し、現自公政権に於いて、2013年いち早く中国に出向いて対話の突破口を開き、外交対話を開始したのは、公明党山口代表の訪中団である。
(2013年の習近平総書記会談 山口代表訪中 公明新聞:2013年1月26日 付)
https://www.komei.or.jp/news/detail/20130126_10159
(公明党訪中、識者が評価 公明新聞:2013年1月31日 付)
https://www.komei.or.jp/news/detail/20130131_10209
前民主党政権下での日中両国間の最も悪化し、対話の糸口さえ見えないでいた頃から比べれば、2013年から繰り返し続けている「対話」「外交努力」が、中国との関係回復や緊張緩和にとって一番重要であったことは紛れもない事実である。これとは反対に、前民主党政権下では国益を毀損する様な言動や発言さえしてしまう、外交とは言えないお粗末な体たらくを露呈してしまう方も居られたことは、今思えば如何か?と思える。
そしてその後、2015年10月以降の韓国との対話も開始できたのは、やはり公明党のみであり、窮地に有った韓国との外交問題も政権与党の責任として、自ら行動を起こし平和外交努力を速やかにスタートさせたことこそが、国益に叶うものであろう。この中国、韓国との対話開始の大きな二つの実現は、繰り返すが前民主党政権下では一度も出来ず、今あるこの様な進展は到底無しえなかったと言う事実である。
口先だけの平和論者であってはならないものである。
そしてその後には、懸案であった中国との対話の更なる推進も、山口代表、習近平国家主席間で行い、その後は朴大統領との会談を実現し、更に周知のとおり公明党の外交努力により、日本と中国、そして韓国との首脳会談が実現できたと言う実績を、国民も知ることとなった。不審有れば外交白書等を参照されるべきであろう。
(山口代表 朴韓国大統領と会談 公明新聞:15年10月9日 付)
https://www.komei.or.jp/news/detail/20151009_18208
(山口代表 中韓訪問へ 公明新聞:2015年10月2日 付)
https://www.komei.or.jp/news/detail/20151002_18156
(公明 山口代表 中国へ出発 関係改善働きかけへNHKニュース 15年10月13日付)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151013/k10010267941000.html
(日中・日韓首脳会談 開催の見通しNHKニュース 15年10月16日付)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151016/k10010272221000.html
(首脳会談実現へ環境整備公明訪韓、訪中団の成果強調日本記者クラブで山口代表15年10月24日付)https://www.komei.or.jp/news/detail/20151024_18335
(自公幹事長 来月初めにも訪中へ日程調整 NHKニュース 15年11月4日付)http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151104/k10010293321000.html
2013年以降途絶えていた大きな懸案事項であった中国との対話は、2015年10月13日に山口代表は安倍首相からの親書を携え中国北京へ向かい、翌年の首相会談実現ができた。何れにせよ、政党や政治家の評価は「何を言い、何ができたか?」を実績評価で判断しなければならない。両国間に利益のもたらされる様な平和外交交渉が出来る資質の政治家なのかは、最も重要なところであろう。
(安倍首相「3カ国協力プロセスを正常化できた」 共同記者発表で強調 産経ニュース 15年11月1日付)http://www.sankei.com/politics/news/151101/plt1511010020-n1.html
まず国内政治での総合的な政策実現能力としての福祉、経済、防災などの諸課題への対応力などを総合的に俯瞰して見る事は当然元より、難しいかじ取りを迫られる諸外国との外交交渉や対話能力があるかも必要であり、更に最も重要な国の行く末に重大な影響を及ぼす、国家の安全保障政策を含めた危機管理能力などの施策執行結果を判断して、「政権担当能力」「実現力」が有るか無いかを、全て「実績と結果」で評価して判断すべきだと考える。
反対は誰でも容易くできるもの、唯々「反対」だけ叫んで口先だけの空想論や理想論は言うが、対案も出せず何の実績も伴わない、嘘ばかり言っている「政治屋」ではあってはならない。
「夢や寝言は寝てからするもの」しっかりと現実を見据え、捉まえて発言することが政治に求められるものである。更に「発言しっぱなし」だけでもダメである。「発言したことが、現実にどれだけ実現できたのか?」が政治、政治家に問われるものであり、最も重要である。
(安倍政権「支持率急増」のナゾ~理想論が通じる時代は終わった。 現代ビジネス)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45849
政治の世界だけは、世の常である「結果主義」で「能力の高さ」を図られているのとは別では無く、あらゆる分野世界での評価と同じく、「能力の高さ」は主張と行動の正しさ「ファクト」と「アクション」で図られるべきことである。「何を主張し何を成してきたか、結果としてこれができた!」 と言う世の常の「成果指標」と同じで、これが重要な「評価点」で有ると言える。
このことから我々国民にとって最も重要な、政治家の能力を計るにも「結果主義」とすることは揺ぎ無い事実であり、「何ができたのか?」を、我々は判断基準、規範とすべきである。是ゆえ高度な政治的判断能力を必要とする「外交能力の高さ」は最も重要な評価点である。失敗ばかりしている政治屋には、この先の難しい国の舵取りは出来ないと判断すべきであろう。
そして対話や外交努力の次に、更に重要な「国を守る」と言う安全保障については、不測の事態に備えると言う「専守防衛」の考え方は決して左右などで偏ってはならず、中道でバランスが執れていないとならないものである。過去の前民主党政権でな成し得なかった、現政権下で開催されたG7伊勢志摩サミットの成功に対する各国の評価や、オバマ大統領の広島初訪問を実現させた実績など、自公政権与党の責任としても、各国との「平和外交」「日米同盟」「安全保障」を行動で示し、結果は常に示して行かなければならないないものだと考える。
公明党は「平和の党」として「安全保障」については、「現在と、未来でも遺漏なく備える責任として」以上のことからも決して〝 言わずもがな ″ などは通らない「責任」に於いての主張と行動を示した。これは避けて通れない問題と、しっかり見据えて対処することが政治責任、との決意で進めた「行動」を示したと考える。
自国の防衛、安全保障という考え方の根本は、もしも わが国に対し悪意を持って攻撃して来た他国が有ったとしたら、排除する行動を執らなければならないということである。これは決して全体主義の考え方では無く、国を預かる政権政党の政治責任として「大事な我が国の国土と、我々国民を、いざ有事の際には、しっかり守って行かなければならない責務がある」故である。
現実的には、どうやって国民や国土を守るのか「安全保障」を詳細に検討し、政権与党の責任で安全・安心を目指していくことが重要である。「何も無い」のに越したことは無いが、国際情勢をしっかり見据え、夢と理想、理想と現実のバランスの中で、決して理想に偏るのではなく、軸足を現実にどう置くのか「あくまでも自衛の為」として、必要な具体的処置として、被害や戦闘が断じて拡大しない、と言う事を大前提に、常により精度の高い抑止力で国を守らなければならないものだと考える。
危機事態などの可能性があるとしたら、傍観の態度を取り続けることは政治の責任を放棄することであろう。いざ有事の際に充分な対応処置が執れる手立てがなければ、国民に対し憲法で保障されている13条にも違背となり、反してしまい、国家そのものが憲法違反となる。国や政府は、断固たる態度で国民を守るべき行動を取る義務が存在する。
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< 「自衛の行使の内容と条件」の明確化と必要性 >
砂川事件と憲法9条の関連性 自衛権政府見解と平和安全法制制定
国際社会に於いての平和外交の努力が一番であることは当然として、次に現在の隣国との関係や情勢についてを考えなければならない。
日本人が国内から平然と連れ去られ、未だ解決出来ていない拉致問題や不審船領海侵犯などを含めて日本人に関係する未解決の諸課題が多く存在する。また、2015年での航空自衛隊のスクランブル発進回数は全体的に減っていると言うものの、近隣国との情勢を見れば、防空識別圏の問題から端を発した中国機だけ見ると、スクランブル発信回数は逆に多くなっている。
2008年合意が守られていない東シナ海などのガス田問題、またことあるごとに頻繁に発射される近隣国による大陸間弾道弾や核開発問題、水爆実験報道などを観ても、近年での現在のわが国を取り巻く安全保障上の劇的変化は避けて通れない大きな岐路であり、課題も存在していると言える。
自衛隊機の緊急発進「停止を」=中国
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201510/2015102000849
ガス田中止「理不尽な要求」=中国
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151022-00000118-jij-cn
中国のガス田開発に抗議へ…来月、日中海洋協議
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151020-00050015-yom-pol
特定国からの増える傾向にあるスクランブル発進回数など、他国からの領海領空への侵犯や侵入への備えは常に必要であり、今後に於いて侵略は100%起きないと言い切れるなら備えも必要ないが、これ等の憂慮すべき問題が近隣国に惹起している事実がある以上、その備えや構えはしなければならないのは、大事な国民を守るためには当然である。
尖閣諸島沖で中国漁船と大型貨物船が衝突 海上保安庁が漁船の6人を救助 漁船操業200隻超

この様な問題発生や不測の事態が懸念される一方、我が国の自国防衛での自衛隊の存続に関しては、過去から様々な論議を経過し、砂川事件最高裁判決などで司直判断に於いては、自衛隊は違憲で無いが裁判での裁量範囲外であることから立法の府である国に対し、運用等が任せられているのである。
その後の自衛隊の運用は、運用目的である「政府見解」と具体的措置である「要件」を順守踏襲しながらも、劇的に変わる国際情勢変化への対応が必要とされてきていた。
更にそれ等に加え、国会での文民統制がしっかり出来る仕組み作り、国民の目が届く自衛隊運用ができる体制作りや、国民の意思が正しく反映できるように自衛隊運用が常に正され、恣意的な解釈では無く、過去の政府見解での憲法9条に則った上での、平和的な法的根拠に基づいた法改正で、今回のみならず間違い無い改定が常に進められているのである。
また自衛隊運用を含む、我が国の「自衛権」についてを考えれば、国連憲章によって国連加盟国には全て定められている権利であり、個別的、集団的に関わらず、自衛権はすべての国連加盟国が持っている権利である。日本も当然自衛権を持っており、憲法9条があるから「自衛権を放棄する」という法制も無く、日本も他国と同様に自国防衛、専守防衛としての「自衛権」、これを行使する「自衛隊」を持っているのである。
【自衛権】
外国からの違法な侵害に対して自国を防衛するために緊急の必要がある場合、それに反撃するために必要な限度で武力を行使する権利。(大辞林より)
しかし、「いざ有事の際の自衛権の行使」となると話は別である。日本には憲法9条があるの で、憲法9条に反しないように自衛権を行使しなければならない。この場合「日本の国を守る為だけの自衛権行使」がとても重要と考える。しかし今まで は、この部分が非常に曖昧であり、明確でなかったことから、グレーゾーンとなってしまい「自衛権行使として、相手方の攻撃してくる基地を攻撃する」までの拡大解釈論議や、反対に「自衛の為と言っ てもどこからを反撃とすれば良いか?」「日米同盟の元、有事の際の日本を助けに来たアメリカの艦船、軍艦、また日本の国土に有る米軍基地が攻撃された場合、之を助けるための措置」についてなど、いざ有事の際の行動も余りに曖昧であり明確化されていなかったのが現状で有った。
更に言えば、日本国憲法には同時に、憲法13条が有り有事の際のこれらの「防衛行動、自衛権の行使」を行わなければ「国民の生命・自由・幸福追求権を尊重する」という13条に違反してしまう恐れが有り、法規制上必ず自衛権を行使しなければならないことは憲法解釈上正しいことでも在る筈だとも考える。この事も含め、世界情勢や近隣諸国動向の大きな変化も、我が国の大きな岐路に立たされ、変わらなければならない大きな変化の時期に晒されている現状が在った。
このことから、いざという時の実際の防衛行動に際しての明確化、自衛権行使の場合の「個別的自衛権、専守防衛の行動が拡大されないこと」「自衛の歯止めが利かなくなること」を防止しなければならない。これも前もって未然に拡大を防止できる体制を作っておくことは「自衛のための絶対条件」であることに間違い無い。
以上の様な要因や経緯、考えなければならない条件、一番重要な法整備の必要性。また近隣諸国との国際情勢の変化に伴う、自衛隊運用での諸課題や自衛権の行使に於ける問題点などに因り、従来からの国の「政府見解」そして「三要件」や「日米安保条約」では、戦闘の拡大などの懸念や、いわゆるグレーゾーンの様な不測事態への対応不可の懸念があるため「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険が有る場合」「我が国の存立を全うし、国民を守るために」他に適当な手段がない時に限りのみ、専守防衛として必要最小限度の実力を行使できる規定と、防衛の実力行使も拡大出来ないような歯止めとなる「必要最小限度の実力行使」の更なる条件の明確化として14年7月制定の「新三要件」は閣議決定され、今回可決された「平和安全法制」へと繋がる法整備と法案制定だと理解をしている。
従来から「何ら問題無し」とされていた「昭和47年の政府見解」や同じく「三要件」が、更に規定としても文言としても戦闘を行う場合の条件の明確化により厳しくなった「新三要件」、グレーゾーンへの対応の明確化ができた「平和安全法制」、内容は共に「従来から何ら問題なし」とされていた内容主旨は全て踏襲し違背して無いことが「読めば」判ることから、これが憲法9条への違反だとは到底思えないという事である。
繰り返すが、「新三要件」「平和安全法制」が憲法9条に抵触する憲法違反だとすれば、同内容で有る、政府の47年見解も、従来からの三要件も、成立時点での47年当時から憲法違反であったと言う事であろう。一部の政党はデモなどで当時も言って来たことだが、当時の世論は冷静で「要件」に対して、その様な「戦争」などという議論さえ起きなかった。この事からもどんな内容かは人のフィルターを通した意見を信じるのでは無く、自分の目で内容を読み下すことが一番大切な事である。素直に読めば内容通りなのだが、穿った見方や斜めに見て「そうかもしれない」と読むのは危険であろう。
長くも無い全文であるから、まず自らがイメージなどで批判する前に良く全文を確認し、内容を良く読むことである。以下が国会質問で使用された「三要件」と「新三要件」の対比に使われたパネルであるが、これの何処に「戦争へ向かう」との文言が見えるだろうか?この事からも巷間言われていることはデマであると言えるという事である。「平和安全法制」は長文になるので掲載しないが共に、読めば判るという事は変わりない。
今回法改正され規定されたものは全て、いざ有事の際に限り行われる防衛行動に於いて、日本側での法整備と自衛権の行使の内容と条件、その範囲の曖昧な箇所の「明確化」や、また正当な行使の要件の他に周辺事態が急変し、日本に明白な危険が発生した場合、速やかに対処出来得る条文の「明確化」をすると共に、自衛の行使の内容と、条件の基本的骨子の明確化が必要かつ急務であった。国際情勢の変化や隣国の軍備増強の状況から見て、この改正は誰が考えても最も重要且つ喫緊の課題である。
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< 国会での議論、論・説・言についての所感 >
この様な情勢の劇的変化があることから、備えとして国の防衛に関わる問題は国会で議論や討論をしっかり行い、立場や党是のみに固執せず「国民の為」の論議を深め、決して感情論で有ってはいけないのである。
しかし、これからの現実的な日本の安全保障をしっかり考えなければいけない重要な変化点を迎えるいまこの時でも、国会で終始行われた平和安全法制の論議は、質問の論調は感情的な「言い合いや水掛け論」が余りに多く、しっかり論議し国の方向性を皆で考えなければならいない状況下でも、真実を覆い隠すかのような如何かと思える様な受け狙いのポピュリズムに近い発言が多かった。
もっと本質的な部分や、日本の安全保障に関する重要な観点での国会論議が行われるものと期待していたが、平和安保法制の国会論戦に於ける議論論点が「ファクト」と「ディベート」、事実の突合せでの論議になっていない。
この故に野党との質問と政府の答弁も「伯仲する議論」とはなっておらず「かみ合わずすれ違っている感」は強かった。
国の行く末を決める最高議決機関である国会であれば、もう少ししっかりした、内容の濃い「議論」で野党もやって貰いたかったと考える。国会と言う国の最高の議決機関でのディベートとは、泣いたり喚いたりせず、冷静に論議しなければならないはずだ。
平和安全法制関連法案に対する討論(衆議院本会議) 遠山清彦 衆議院議員 15年7月16日
安全法制への反対意見内容については、本来反対意見が有るのならば「反対である事実に基づいた対案」を示さなければならない。政府側が法による論理的な根拠を示したにも関わらず、「嫌なものは嫌だから」と言った感情的な「想いに」基づいた「説」に近い「論」や、あまつさえ個人の感情による「言」なども多かったことから、これでは到底、言論を尽した議論がかみ合わないことは当然であり、国会での論議としては大いに憂う限りである。
根拠の薄い「言」や「論説」などの「個人の意見」はコメンテーターの仕事で有り、法整備を司る国会と国会議員は、事実に基づいて「法解釈の上での論議」を先とすべきであり、国会に対し法政案で上程することである。質問に於いても余りに資質が伴わないと感じるのは、同じ内容を何度も切り文で刻んで聞く様なことばかり繰り返すことをしないことである。
それは「質す」のではなく、言いがかりや手前都合による単なる審議引き延ばしの時間稼ぎと言われても仕方が無くなってしまう。しかし、それでは税金と時間の無駄遣いである。
(安倍政権「支持率急増」のナゾを読み解く~理想論が通じる時代は終わった。 現代ビジネス)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/45849
我々甲府市議会も国に対し、徹底した「慎重審議」を求める意見書を採択した。本来は「論理的な解釈や事実の積み重ね」や「基本的骨子」での論議が必要で有る筈だが、終始「こうだったらどうするとか、こうならどうしてくれるとか、ではこんなことではどうなる?」など、その様な論調で有れば「質疑では無く、どれも一般論的なお尋ね」の域を出ない。甲府の議会でこれをやると担当に行って聞いて来なさいとなるのであるが、衆参両院でも若干の質問者に於いては、この様な内容であり些か発言の軽さが目立つ印象もあった。
そしてもう一つ今回は、ベテラン議員の失言より、次世代を担うべき若手議員の不穏当発言、パフォーマンス等や失言が目立った。就職活動のため議員を選んだのかとも思えるような、国家の権能を司る議員としては些か品位に欠ける。国権の最高案件を議決するとは言い難く、世界に向けても恥ずかしい限りである。少し自らを顧み、まずは人生経験をもう少し深めて勉強するべきでは無いだろうか?
更に悪質とまで思えるのは、過去の歴史的事実を無視し、あまつさえ自身の発言内容も翻す公人がいた事に驚かされた。何か意図的なのか思慮が足らないのか、何れにせよ過去の自分の発言とは全く反対のことを承知して述べて論じるのは、何れにせよ、これは議会人としては許されない行為である。
時代を経たから過去と真逆な意味の発言内容を「突然の様に言い張っても良い」とはならないし、この様な突拍子もない、驚かされる様な変節の行動や発言は過去の自身の議会議事録内容とも違背する行為であり、また党是も180度方向転換して変えるなど有ったら有権者も戸惑うばかりであり、選挙民より付託を受けた公職としては許されない。
(倍政権批判の対象は、政策のほとんどが前政権下で決められていたこだと発覚)http://netgeek.biz/archives/54089
過去の発言訂正は街頭演説やマスメディアに向けて行うものでは無く国会に於いて行い、公の立場として新たな主張を述べるべきである。しかし、この様な変節の「言」は、自身の人間性の根幹にかかわるアイデンティティーを変えるような大きな変節なのであるから、党勢拡大の為だけに行う、刹那戦術的平和主義や空想的平和主義など、自分でも納得出来ていないモノを、喧伝するのは如何なものかと考える。
以下の通り、岡田代表も現在法整備された、新三要件や平和安全法制に対し、今とは180度違うお考えや言葉で、集団的自衛権に賛成の立場だった。切り文では無く明確に説明できる等、これを臆面無く言えていたことや現在の変節の姿は一体全体どういうことだろうか?甚だ納得できない点である。
また、 新党を新たに立ち上げた小林節・慶應義塾大学教授も、以下の通り1年前のH25年では、集団的自衛権を進める発言をされていたが、現在では安全保障関連法 廃止や言論の自由確保、憲法改正阻止などを掲げて「反安倍晋三政権」打倒を訴えている。これも一体どのような変化により真逆の論理に変ったのか不思議でならない変節である。
「襲われたら同盟国が報復にゆく」というメッセージを打ち出せる集団的自衛権は、他国の侵略を牽制する意味においてもメリットがあります。だから、改めて「日本は集団的自衛権を持っている」と解釈を変更するべきでしょう (小林節・慶應義塾大学法学部教授 平成25年7月26日、ダイヤモンドオンライン)。
何れにせよ、少なくとも野党は、平和安全法制に対する、端から問題点など何も無かったことだが、それさえ上げる事が出来ず、「戦争だ徴兵だ」とのセンセーショナルな野次の声を上げるだけで、国民に対して説得できるだけの証拠を挙げること も出来なかったことを大いに反省するべきであろう。真実を挙げられず国民を説得するのに失敗したと、まず認めるべきだと思う。
(【ポスト安保法制 安倍政権の課題】民主党幹部のあきれた変節 過去には一定の理解示していた「集団的自衛権」夕刊フジ2015.09.29)
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150929/dms1509291550004-n1.htm
「共産、国民に説得力ある回答がない」公明・山口代表 2朝日新聞015.10.23 http://www.asahi.com/articles/ASHBR669HHBRUTFK01D.html
我々民衆は、変節の政治家に従った計りに、余りに悲惨な憂き目に遭ってしまった過去の歴史的事実が多くあることを知るべきである。また政治家も根無し草の様な、国民に都合の良い耳に心地良い「変節」ばかりを繰り返していても、風はいつも吹いてくるものではなく突然に止むもの、そして天に唾すれば必ず自分の顔に掛かるものであることだけは忘れてはならない。
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< 報道の責任と役割 >
次に報道の責任と役割についてである。報道には特に真実と事実の積み重ねが必要である。しかし、余りの世論の過熱ぶりと激しさの中、公正でなければならない各社間の報道内容もそれに伴い加熱して両極端で、しかも、こうも過激な内容の偏りが見えてしまったことには本当に驚き、この様なことは如何かと思う。
今般の安全保障に関する問題は、国家の存続と行く末に対する問題である。単に媒体が売れるとか視聴率が上がれば良い訳ではない。報道内容が両極どちらかへと偏り、受け手側を間違いや勘違いに至らせる様な報道がされるのならば問題だと考える。
このことから信憑性、信頼性、公平性を含め、重要な国の行く末に関する「平和」や、安全保障に関する重要な問題は、我々国民一人ひとりも報道されるままの他人任せでは無く、過去の歴史的事実を総括し再認識することが必要だと考える。また自ら事実を確認する作業の必要性も出てきているものだと思える。
国家に対する誤報道として、遠くは戦争へと駆り立てた体制翼賛の報道も同様であり、近くは慰安婦問題など、報道と言っても重要な事実誤認も何度か起きていると言う真実から、本来報道の持つ「信頼性、公平性」を含め、国の行く末を左右する問題については、これから先、受け手側の判断は、より重要であるものと思う。
とまれ最高裁判決内容と判決から出された自衛隊の位置づけについての事実。これを受け、政府から出された政府見解と要件の制定と内容。これ以後の昨年7月の閣議決定内容から、平和安全法制内容について至る事実確認をして行かなければならない。何れにせよ、一連で国の進んできた道筋の確認とそれぞれの資料を読み直し、自分で精査して良く判断すべきことは必要なことだと考えている。
先の報道の論調の偏りが有ることを見れば「報道は絶対正しい」と考え、どちらかを安易に選択してしまえば両極に偏った報道であるのだから、普通に考えれば必ずどちらかに間違いは有ると言うことである。
この理由から片方を盲目的に信じてしまうと、真実とは遠くなること、正常な判断を得ようとしても受け手側は間違ってしまう。だからこそ報道には信憑性、信頼性、公平性が必要であり、この倫理観が求められる。
(安保審議をテレビはどう報じた 一部、批判に終始 産経新聞 10月3日付)
http://www.sankei.com/entertainments/news/151003/ent1510030007-n1.html
文藝春秋も日テレも間違えた! 意図的かつ無知な安保法制の誤報 田村重信・自民党政務調査会審議役
しかし、これだけ過去からの情報ソースや資料が公開されているのであれば、しっかりと公正な目で見た事実を世の中に向け発信することは重要である。過去の過ちである体制翼賛も然、これを二度と繰り返さないことは、調査なくして発言無しであろう。
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< 日米安全保障条約締結から平和安全法制まで >
次に穿った見方では無く、歴史的事実の上から当時の60年安保の問題を見て50年を振り返る必要がある。当時多くの人々が憲法9条の論議の中で、現在の平和安全法制反対の論調以上に、日米安保反対や自衛隊も違憲であると多く論じられていた時代であった。
しかし、あれだけ学生を中心にした若者の沸騰するほどの「反対」が大半を占める民意の大きなうねりも、何時しか本来平和への論議の筈が「論争」では無く「闘争」に変り、また同じ反対派でも派閥内抗争へと発展し、しかも暴力も横行し「人の血が流れたこと」さえ起きた。
その後は、それほどだった大きなうねりも、この時のデモ行為の過激さに関わらず、何故突然の様に熱が冷め、僅かの間に終息してしまったのか違和感が有り、更に此処で行われた暴力行為や破壊行為自体も非常に遺憾で有り許されざる行為であることを反省しなければならないものだと思っている。そして、当時の日米安保が成立した時の政権について見ると、反対民意を押し切って安保が閣議決定された事とされ、このデモの大きなうねりの中で、弾劾裁判の様に当時の民意に拠り総理を含め辞任する事態にまで発展したと聞く。
今一度振り返ってみても、時の政権の「内閣打倒」は達成できたが、だからといって法案成立以後に於いて、反対派で言われていた民意を無視して決まった安保自体の問題点や、当初予測された様な事態も発生していないこと、その後の50年の経緯と結果を見てみても国益を損することともなっておらず、あれだけの反対と、総理が辞任までしたことなどは、今は必要だったのだろうかとさえ思えてくる。
先ずは国民の義務として、自らの国の存立に関わることであるから、報道を鵜呑みにする、果ては人の「言」を信じるのではなく、自ら史実や資料などを確認して事実の確認を行い、この時と同じ様な論調で、アジテート先行や考え方で進んでしまうなら、これは同じ事に陥り問題であると考える。
我々は過去の様な風潮や世論に流されること無く、事実の積み重ねで自分自身の理論を組み立てるべきである。
翻って次に、日米安保制定当時から現在までの国の安全保障制度の全体を俯瞰して見てみる必要があると思う。簡便に述べれば、まずは戦後から冷戦終結ロシア崩壊までの時代では、アメリカとの同盟が無ければロシアの脅威から始まった戦後の枠組み、その後のロシア崩壊以後の中で、日本はどうなっていたか?歴史認識をした上で、この部分で振り返れば、日米安保は当然必要であったと思える。
また当時から自衛隊は、憲法9条に違反する陸海空の軍隊で有り、違憲であるから解体せよと言われ続けているが、昨今の論調にある「憲法9条を壊すな、憲法 違反である」ならば、そもそも9条に違背する「憲法違反の自衛隊解体」をなぜ今も叫び続けないのかと考える。この論理からすると、憲法9条は自衛隊が存続 し続けている以上、既に大きく毀損されているということではないか。
しかし此処まで悪し様に言われ尽し、違憲と言われていた自衛隊も現在では、常に有事に備え、或いは災害派遣時対応に備え、訓練しているその価値や、その後に続く自衛隊のPKO活動に対する国際評価などのファクトから、無くてはならない存在であると言えるがどうであろうか?それでも不必要な存在と言えるのだろうか?
国民も等しく正しく、また国全体でしっかり評価し、この様な論議にはそろそろ終止符を打つことは必要な時ではないかと考える。都合の良い時だけ必要で、普段は許されざる存在との位置づけでは、余りに自衛隊運用そのものや、頑張っている隊員の評価に対しても問題では無いだろうか?他人事では無く、自分のこととして捉え議論すべきである。
下火になってきたが巷では未だに「戦争になるのでは?」という不安の声も聞かれる。しかしその様な漠然とした不安に対して、過去からの経緯、今回の安全法制内容を良く見ても、前述の通りのデマ的問題点以外は見当たらないものではないかと思える。
過去からの政策や、法制度改正などの政策を見てみると、細かい部分での問題点なども有ったが、公明党も政権与党の一翼を担い平和の党としてその役割をしっかり果たし、現在での着地点として、良識を持った、しっかりとした道筋を立てて進めているものと思える。
これについては、過去からの裁判結果、国会議決内容を時系列で追ってみても、専守防衛に関する「憲法9条や自衛隊、米軍基地」への対応として最高裁判決でのいわゆる砂川判決で裁定が下され、これにより国会で審議された47年見解と、その後の三要件が示されているからである。
(事件番号. 昭和34(あ)710. 事件名. 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う刑事特別法違反. 裁判年月日. 昭和34年12月16日. 法廷名. 最高裁判所大法廷.判決.)所謂「砂川判決」
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=55816
更にその後も自衛隊の位置づけ、専守防衛は一貫して変わらない国の考え方が踏襲され、時の政権与党として公明党も中心となり、国際貢献に於いてもPKOとして、インフラ整備を中心とした自衛隊の海外派遣23年間を無事故で運用している。
この間一度も、戦闘激化している地域に派遣されたことは無く、不測の戦闘にも至っていない安全運用を行っており、この事実や現実の政策の積み重ねを行いながら、昨年7月1日の「新三要件制定」と今回の「平和安全法制」へと続いているのである。
(新3要件を条文に明記厳格な運用へ 公明新聞:2015年4月18日付)
https://www.komei.or.jp/news/detail/20150418_16734
(安保法制 Q&A 公明新聞:2015年4月18日付)
https://www.komei.or.jp/news/detail/20150418_16738
これ等、最高裁の判決や国から発布された法整備内容の中に於いて「自衛」の文言は有っても、どこにも「戦争に進む」と書かれた、議決内容や条文は一行も存在さえしないし、また見たことも無いことが、その様な不安に至らないという絶対的な理由である。

文を句読点で読まず刻んで読めば、「らしい」と思える様なことは造作もなく作れるだろうが、全文を読み下せば明確に専守防衛のための自衛隊との位置づけは明確であり、決して国防軍や革命軍の位置づけとはなっていない。また文言としても「戦争へ進む」とは、繰り返すが明記されていないし、今までの歴史的事実としても、我が国は一切そのような事態に至っていないのが現実である。
このような日米安全保障条約も、今回の平和安全法制も同じような道を辿り一部の扇動を受け、「戦争法案」だとか「日本が徴兵制になる」といったレッテル張りだけが何時も先行する。「戦争への道」は何も存在し無かったことが判り始めたことにより、多くの国民には受け入れられなくなってしまったと言うことであった。
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< 民主主義と民意、平和安全法制の総括 >
戦後から始まった現在の民主主義の時代に有っては、先の民主党政権下でも当然そうであったが、国民の代表により国の最高議決機関で有る国会に於いて、民主的に多数決で決められたことは、強行採決などと前政権を担当された野党第一党が声高にこれを言うのは甚だ可笑しい事でもある。
これは同じ議会人として、多数決の論理は地方議員でも分かることなのである。どの政党や考え方を優先するか、今の現政権が嫌であれば、しっかり選挙に於いて多数決の論理に従い、正当な手続きで自分の意思を反映させ、国の行く末を決めて行けば良いだけの事である。
(安保反対派はデモよりも「政権交代こそ常道」上 Diamond On Line 15年9月19日)
http://diamond.jp/articles/-/78878?utm_source=weekend&utm_medium=email&utm_campaign=doleditor
(安保反対派はデモよりも「政権交代こそ常道」下 Diamond On Line 15年9月19日)
http://diamond.jp/articles/-/78885
更に国の最高議決機関で決議議決された事柄については、これ以上も無ければ、これ以下も無いのである。国民の義務としては条文をよく読み、これを精査して、正当な民主主義に照らし採決さられたことには、此れに従うことである。
これではまた高圧的な意見や、言葉足らずとの誹りも免れないと言えるので再度、いま一度、今議決内容を端的に言うこととする。
この今回議決された事柄や内容については、昨年の7月1日制定の新三要件や今国会平和安全法制決議内容から「集団的自衛権と個別的自衛権が重なる範囲を明確にしたものであり、これで、なし崩し的に個別的自衛権の解釈を広げ たり、集団的自衛権の範囲に大幅に踏み込んで活動する、といったことはできなくなった」内容だからこそ「そう言えること」である。
ご不審が有れば新三要件、安全法制全文を具に内容の確認をし、読んで見ることが肝要と思われる。
(平和安全法制成立 識者に聞く、信頼できる公明の平和主義政権の勇み足ただす信念の力 作家:元外務省主任分析官 佐藤 優 氏 公明新聞:15年9月25日付)
https://www.komei.or.jp/news/detail/20150925_18093
更に言えば「戦争法案」と揶揄し主張する野党や、そう論調を行う報道には逆に、我々国民が納得できる様に「その条文から戦争へと至る根拠となる部分が此処であると」その箇所を明確に示すべきである。「戦争へ至ると明言されている箇所や根拠やその事実」を示さず、いたずらに「らしいよ」と、感情的に国民の不安をあおるだけの「条文の切り文」での根拠なきレッテル貼りは、余りにも良くないのではないか?と言える。
「安保法制が整っても日本は何も変わりません」佐藤優 2015年10月21日http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151021-00955438-sspa-soci
誰人も戦争は「絶対悪」であると思っており、自らの意思に反して無理やり徴兵されたり、戦争に送られるなどということは嫌なのは当然であるし、行ってはならない。更に言えば、この様な苦役は憲法に明確に規定され禁止されている行為である。これを国が行えば憲法違反である。
最初の日米安全保障条約制定時、二度目の条約改定の時と共に、世相世論の論調は現在より更に厳しく激しかったと聞く「米国の戦争に巻き込まれる」「徴兵制につながる」と、反対派が当時も連呼し続けたが、この時述べられていた論調や主張の通り、戦争へと向かう時代に変わっていっているのか?何より我々の日本の国が戦争にひた走る国へと変わっていったか否か?である。結果論として50年と言う半世紀に渡る「歴史的事実」を検証すれば良いと思うが、どうだろうか?反対派の論調は今と全く同じ事を言い続けているのである。
この上でもう一度言うが歴史的事実だけを見れば、一度も米国と共に海外で闘ったことも無く、言われてきたような海外派兵や、戦争に巻き込まれることは一度たりとも無かった。更に言うと国際貢献のPKOについても、当時あれだけ戦争に加担すると言われ、海外派兵に繋がると言われていた世論であったが、この四半世紀の約半分23年間に於いて、戦闘行為は一度も無く、活動中の自衛隊員の安全も良く確保されているという事実である。
戦後から長き時間が経過した日米安全保障条約でさえも、日米同盟を結んだから「戦争になる」ことは全く外れており、これ等の空回りとさえ言える主張は一体何だったのか?後々に事実無根を国会で発言していたとなれば、政治家として恥じなければならない、調査や見極めもせず党是や自身の感情だけで国民に向かって発言してはならない。
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< 議会制民主主義の選挙制度・節度ある発言 >
長くなるので最後に結論的に、国会を始めとした議会制民主主義において、我々国民が議会での論議に於いて正しさを検証する方法が重要であると思うので述べれば「まず議論に於いては感情論や言い争いでは無くディベートであること。論理的に条文、綱領、規定を確認して、歴史的事実の積み重ねも併せて検証し、総合的に判断するべきこと」国民も結論的として、「認識せずして批判するな」であり、論理的に正しいか否かを自分の目で確認することが大前提である。
そう言う意味でしっかり政治を監視しなければならない。それに良く引き合いに出されている有識者などの「意見」について加えて考える必要があるが、学者はジャッジする人ではなく、論や説を学術的に学問として学んで教える立場の人の意見であるので参考にするべきもの。弁護士も法律をジャッジする人ではなく弁護人を弁護する人であり、これ等の方々の意見は参考にするべきであり、そのまま議員が「言」を正しいとして用いることは国会への越権となろう。
今回の安全法制議決に於いては国会の多数決で決めることは当然である。 過去の日米安保条約制定の場合や、自衛隊運用を求めた過去の最高裁判所の 判例・判決内容から判断しても、当然に国会に於いて議決するべき問題である。
繰り返すが、国民より民主的に民意で選ばれた国民の代表が、議会制民主主義の根幹である国会の議員として選出されているのである。国の法令は、国の最高議決機関の国会にて決めるべきであることが正しいジャッジメントであろう。国会、内閣、裁判所の三つの独立した機関が相互に抑制し合い、バランスを保つことにより、権力の濫用を防ぎ、国民の権利と自由を保障する「三 権分立」の原則に従っている。
最高裁の判決に従わなければ何処の誰に。また、国の最高議決機関の決定に従わなければ、三権分立も崩れ近代国家が成り立たない。明治以降の近代国家としての日本の成り立ちを、公民や歴史でもう一度 学ぶべきである。
善悪を含めて同じことを人間は繰り返す「最後は歴史的事実が時を持って必ず証明する」と言うことなのであろう。だからこそ正しい方向へ進ませる方途として国民には民主的な選挙制度があり、これ以外はできないのである。
安倍首相は9月19日の産経新聞のインタビューに「特定秘密保護法も『この法律ができれば、映画が作れなくなる』『報道が規制される』と批判されたが、全く起きていない。事実をもってレッテルをはがすことで国民の信頼を勝ち取れる」と粘り強く国民に説明する考えを此処でも示している。好き嫌いの個人的感情は別として、この様な法律や根拠を基にして事実を述べており、論理的であることには、大いに賛同する。
最後となるが、デモや、ヘイトな発言で、目上の者を毀損するような暴言や、「見世物」としては面白いだろうが、奇を衒ったパフォーマンス的な行動などにより、選挙や民主主義などの規範や世の中のシステム、ルールに則らず従わずに、単に嫌いだとの感情論でのデモ行進などを使い、声の大きい人の意見が押し通るような世の中の方が余ほど怖い世の中ではないだろうか?
主張することは大事なことだと思うし、少数意見も本当に大切だと思う。しかし少ない少数意見だから「そのまま正しい」は間違いだろう。判官びいきでは国政は成り立たない。
(賛成派のスピーチ 2015年09月17日)
http://kidan-m.com/archives/46291465.html
そして主義主張を述べるにも節度と最低限のモラルが必要である。人格をも冒涜する様な発言は言葉の暴力で有り、それ以上に60年70年安保の様な棒を持って人を殴ってでも主張を押し通すような実質的暴力行為を容認するような時代に戻すようなことであれば、これは決して許してはいけないのである。このことから我々は、不安を煽り暗黒の時代へと落とそうとする者に対し、二度と嘘に誑かされてはならない。嘘で国民の不安を煽っても、何処まで行っても嘘は嘘でしか無いからである。
また、あの様な国家転覆を目論んだ様な、暴力行為の姿や行動は、今ある結果からして意味が有ったのだろうか?この様な行為は、幾ら高い理想が有ったとしても、正当な主義主張を暴力で持って発言を圧殺することであり、それこそ民主主義の破壊行為である。
このことからも「対話」は最も重要であり、感情論では無い「論議」が肝要である。










