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甲府市議会議員  兵道けんじのページ

議会運営委員会先進地視察~岐阜県多治見市、可児市~

2016年2月9日

2月8日、9日の日程で、市議会議会運営委員会の先進地視察に、議長とともに同行した。視察先は、8日が多治見市、9日が可児市である。いずれも議会基本条例を中心とした議会改革(活性化)の状況調査である。

多治見市議会基本条例は平成22年4月施行、可児市議会基本条例は平成25年4月施行であり、自治法上は必ずしも明確ではない、言論の府、合議制機関としての議会の本来的機能を条例という制度形式により明確化したものである。

議会が合議制機関であることを端的に示したのが、議員間相互の自由な討議を尊重するという規定である。議会が議決という機関意思決定を行う前提として案件に対して議員同士で徹底した議論を行うことを要請するもので、いわば我々が主張する「議論を通じた合意形成の政治」を実現しようとするものであり、2元代表制の議会という組織論の上からは当然のあり方といえる。

そして、いずれの市も議員一人ひとりの活動の集積体というより、ひとつのオーガニゼーション(組織体)としての側面から議会をとらえる。端的に言えば、議案に対する意思表明は「議決」という議会の意思表明であり、議員個人の意思表明ではない。

議決がこうした議会としての意思であるがゆえに、その「重み」がある。重みがあるゆえに、構成員である議員同士の徹底した議論の上での決定でなければならない。可児市では、決算認定についてこうした徹底した議論を行ったうえで、全会一致の結論に至った部分についてしか認定の回答をしないこととしている。

合意形成とは、実はこうした議論のプロセスが非常に重要である。多様な考え方を持つ市民の多様な意見をいかに着地させるか。そこにはお互いが自己の主張にのみ固執する形は想定されない。かならず「比較的妥当な」着地点に向けた「譲歩」なり「妥協」が求められるのは必至である。

2元代表制という地方政治の本来の意味からいえば、議会が執行機関に対して適切なチェック機能を果たすうえでもまた、執行機関に多様な市民意見を調整して提言する機能を果たすうえでも、「合議制機関」という理念をここで明確に確立していくことは、真に市民の負託にこたえるためにますます求められるだろう。

議会に対して寄せられる市民からの批判の代表的なものは、「議会が何をしているか分からない」あるいは「議会の必要性はなにか」ということである。執行機関の提案に対してすべて是認して、いわば「追認機関」ではないか、という疑問がその背景にある。

こうした批判が寄せられるのも、議会が徹底した議論をつうじて議決したという状況が弱いことがあり、また、市民に対して、議会がこうした議論を行った結果として議決したということが直接伝わっていないことがある。

仮に議会の構成員である議員一人ひとりが、熟議したうえで決定したという自負が持てればこうした批判に胸を張って答えていくことができるだろう。そして、両市のように、市民との対話集会なり議会報告会なりにより、市民に対して自信をもって議会の姿を伝えていくことができるであろう。

可児市は昨年のマニフェスト大賞の議会部門で大賞を受賞している。同市では、高校生議会という取り組みを議会主導で開催し、キャリア教育の一端を担ったことが評価されたという。これも組織的一体性を持った「議会」としての活動の表れである。

今回の視察の中心的課題は、こうした議会の本来的機能をどういう形で充実強化させるか、そのための方策は何かということであり、今や「合議制機関」という側面をより明確にすることがスタンダードとなっている状況に対して、わが甲府市議会が今後どう対応していくか、検討が急がれる。

多治見市視察資料

多治見市視察資料

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可児市視察資料

議員合同研修会~地域コミュニティに関して~

2016年2月5日

2月4日午前10時からアピオ甲府で市議会議長会主催の議員合同研修会が開かれた。同研修会は議員活動に資する話題を中心テーマに据えて年2回開催されている。

今回は、元農林水産省職員で、現在岩手県花巻市コミュニティデザイナーに就任している役重眞喜子氏を講師に迎え、「地域コミュニティと行政、平成の合併後の課題」と題した講演を拝聴した。

氏の著作に「ヨメより先に牛がきた」があり、NHKでドラマ化されたそうである。演題は、氏のこれまでの歩みから実体験として関わった農村生活を通じて、コミュニティのいわば原型というものを我々に提示するものである。

氏は平成元年に東大法学部を卒業後農林水産省に入省。文系でありながら幼少のころからの動物好きがあって農水省に入省したというユニークな経歴の持ち主である。

入省2年目の農家研修で岩手県旧東和町に行ったことが大きな転機となる。そこで出会った「人」と「牛」に魅せられ、思わずセリで牛を買ってしまう。これがきっかけで農水省から東和町役場に2年間出向、やがて農水省を退職して東和町役場に籍を移す。

やがて結婚して本格的に東和町の住人となるが、現地では都会から来た若い娘に後期の目が注がれる。著書の「ヨメより先に牛がきた」はこの時の生活を描いたものである。

氏が惹かれた農村の「人」。都市部では今では見られなくなった濃密な人間関係は、場合によってはうっとおしいものと思えるほど、「濃すぎる」と言われかねないものである。

しかし、病気になったとき、あるいは火事などの不幸に見舞われたとき、その人間関係によって救われることを身をもって体験したことにより、そこに伝統的なコミュニティの実相をみる。

確かに日常生活を営む上で、義理とか手間とかをかけていかなければならない。が、何かあったときにいわば「保険」のように様々な支援の手が差し伸べられる。氏はこれを「リスク保障」と表現し、普段の付き合いは万が一のための「手間暇貯金」だという。実に的確な指摘に感服する。

こうしたコミュニティは自然と内部の様々な課題に主体的にかかわることが当たり前ととらえる。平板な言い方だが、「支え合う地域社会」であることが当然の了解として受け継がれている。東日本大震災により改めて光が当てられた「絆」は、氏によれば「しがらみ」と表裏一体だという。

お互いさま、という戦後から高度成長期にかけて我が国の日常生活を貫いてきたよき伝統は今や過疎と言われる農村部にわずかに残っているに過ぎない、と現代社会を生きるわれわれは感じている。

こうしたコミュニティの伝統的な機能に対して、平成の大合併がどのような打撃を与えたか。氏は花巻市の平成18年の1市3町の合併を通して考察を加えている。

新花巻市の構想は、「小さな市役所」を目指して旧町を解体して27の新たな「広域的コミュニティ」を設定し、そこに2億円の交付金を投下して拠点づくりを進めた。

合併は行政運営の効率化を図る一方で、これまでの行政区や自治会の役割に微妙な変化をもたらす。いってみれば、地域コミュニティを行政の「下請け」的な存在に追いやってしまったのではないか、ということである。

確かに新たなコミュニティ組織の財政的な基盤は充実したかもしれないが、そのことがコミュニティの主体性を次第に蝕み、行政への依存意識を助長させてしまったのではないか?氏の住んでいる旧東和町がまさにその状況ではないか、とやんわりとした表現ではあるが氏はとらえているように感じた。

これまで、伝統的なコミュニティが弱体化する要因として私もかって考察したことがあるが、「人」を介さなくてもモノや情報が手に入るようになると、次第に「人間関係」が煩わしくなっていき、これがお互いの結びつき、絆を弱めていく。やがて地域活動が必要性に疑問が差しはさまれ、衰退化していく。

この意味で、平成の大合併が果たして人口減少社会で基礎自治体の基盤強化をもたらしたか、検証する動きがでるのは自然の流れともいえる。

結果として、合併がもたらした負の側面が認識され、それは一つには、地域生活を営む上でのリスクが見えにくくなったこと、また他方でそのリスク自体の高度化・専門化がもたらされ、次第にコミュニティのもつ対応力が相対的に失われつつあると見える。

今消滅地域という衝撃的な課題解決に向けて「地方創生」が起死回生の対策ととらえられ、全国どこに行っても人口ビジョン・地方版成長戦略が練られている。

しかし、もう一度足元をしっかりと見まわしてみる必要があるだろう。氏は原点に戻る、組織と業務の棚卸をする、地域の力を実感できる活動を考える、こうした処方箋を訴える。

その底流にある思想は、地域活動を通じて再びコミュニティの本来の機能を取り戻すことにある、とそれが再び地域を元気にし、消滅自治体という不名誉なレッテルをはがす有効な手立てになると、改めてその方向性に確信をいだく。

合同研修会冒頭あいさつ

合同研修会冒頭あいさつ

雑感

2016年2月1日

2016年も明けて早1か月が過ぎた。暖冬といわれて安心していたが、ここにきて雪が降り、また冷え込みが厳しい日が続いている。

1月はいろいろな団体の新年会があり、公務で出席することも多々あった。それぞれが市政や地域、業界等の発展のため尽力しているもので、こうした団体の方々と交流を持つことは議員としても非常に有益である。

議会では、2つの研究会が立ち上げられた。リニア調査研究会と中核市研究会である。残る議会制度研究会は2月初旬に予定されている。

いずれも、自治法上の「協議又は調整の場」として会議規則に位置づけ、公的な性格を持たせたものである。

研究会はそれぞれの政策課題について、議員自らが調査研究にあたることにより議会の活性化、議員の資質の向上を図ることを一つの狙いとしている。

もちろん、調査研究を通じて最終的に政策課題についてアウトプット(成果)をまとめあげることが求められるが、研究会の意義はむしろそのまとめに向けたプロセスでの議員相互の議論にある。

議会の本来的権能の一つに、執行機関の行財政運営のチェックがある。所管の常任委員会がその代表的な組織であり、執行機関に対する調査審議のい権能が与えられている。

長い間これに慣らされてきたからか、調査研究というとすぐに「執行機関に対して」という思考に陥りがちである。様々な資料要求から始まり、あるいは資料作成の要請など、議員→執行機関という議員にとっては負担が軽減される意味で都合のいいものである。

しかし、研究会は議会の自律的能動的な活動組織である。したがって、執行機関に対する説明要求とか資料要求等は本来想定されていない。当然議員が自ら調査しその結果を研究会の場で議論し合うというイメージである。

研究会が設置目的を達成し、成果を上げるためには、アウトプットの姿をまず思い描きながら、その結論に到達するための課題整理、論点整理を行ったうえで、一歩一歩議論を組み立てていく工程をきちんと作っておくことが必要である。

限られた時間のなかで、濃密かつ効率的に議論していくためには、最初にどういうアウトプット目標にするかについて共通認識を確立しておくことが重要である。

そのうえで、課題や論点を議員同士の議論により整理し、これをどうアウトプットにつなげていくかについて議論し合うことである。

議案審議と異なり、議員相互の討議によりお互いに理解し合い、譲歩し合いながら最終的な結論を形作っていくという、合議制の機関としての機能訓練としての意味合いがここにある。

研究会は立ち上がったばかりであり、今後の魅力ある活発な議論が大いに期待される。そしていずれ気が付けば議会本来の役割について自然に認識し合う状況が生まれるものと確信しているところである。

甲府市の再生へ大きな期待が

甲府市の再生へ大きな期待が

軽減税率 ぜひ実現を

2016年1月19日

さて昨年秋以降は筆をとる回数が下降気味であり、少し反省をしているところである。公務や私事に追われ、つい先送りにしてきた。

今年は夏に参議院選挙もあり、しかも選挙権も18歳以上に拡大されることから、しっかりと自身の考え方をこまめに発信していかなければと、戒めの意味を込めて気持ちを新たにしている。

今回は、昨年末に決着した「軽減税率」について振り返ってみたい。

軽減税率は消費税引き上げに伴う納税者の痛税感を和らげるため、公明党が当初から一貫して導入を主張してきたものである。これまでの与党内での協議を通じて、平成29年4月の消費税10%への引き上げと同時に、一定品目については、従来の8%に据え置くことが合意されていた。

問題は、どの品目を軽減税率の対象とするかであり、これとからめて課税事務が過重に負担を強いるものとならないような配慮が求められている。

前者は、対象品目を広げすぎると当初予定していた税収が見込めなくなり、消費税引き上げの主目的である社会保障の充実に支障をきたすことが懸念される。

後者は中小小売業等に対して税率ごとの売り上げ伝票の作成を求めるとなると事務の煩雑化を招き、対応不能にならないか、という課題が指摘される。

公明党の主張は当初から一貫している。それは日常生活で毎日のように必要となる食料品全般を対象とすべしということである。特に消費税は低所得者ほど負担感が増すという逆進性を持った税目と言われることから、日常生活に欠かすことのできない食料品は税率を抑えるべきである。

議論の出発時点では与党内でも対象品目の範囲について大きな開きがあった。自民党サイドからは生鮮食品のみにすべしと減収額を極力抑えるための提案がされ、公明党側は加工食品も含めるべきだと両社の協議は難航を極めた。

加工食品を含めるべきとしたのは、例えば刺身を単品で買うと軽減税率の対象となるが、これを刺身の盛り合わせにすると加工食品に該当し、高い税率となるというのはあまりに不合理だという点にある。高齢者単独世帯では、こうした加工食品の需要が多く、なおかつ低所得世帯が多いという指摘もあることから我々は強く主張したところである。

最終的には公明党の主張が認められ、酒類、外食を除く食料品に対して軽減税率を適用することで決着した。粘り強い議論と理詰めの主張が奏功したというべきだろう。

こうして決定した軽減税率の方向性が1月4日からの通常国会で審議されていることは報道の通りであり、その議論を概観することによって軽減税率及び消費税の引き上げについて考えてみたい。

野党側からの指摘は軽減税率導入による減収分1兆円をどう手当てするのかという点に集中したといってよい。消費税引き上げが民主党、自民党、公明党の3党で合意した「税と社会保障の一体改革」に基づき、社会保障充実のために行われるということを踏まえるなら、軽減税率による減収分についての財源手当てもないとするならば社会保障の切り捨てににつながりかねないという批判があった。

これについては、減収分1兆円については消費税で手当てするのではなく、所得税そのほかの税目全体で考えていくべきであり、今後実施時期までに細部を詰めればよい。なおかつ、経済状況の好転による税収の上振れ分も今後十分期待できることから、現時点でその全容を明示しなければならないという必要性は薄い。

また、社会保障の切り捨てにつながらないかという点についても、社会保障改革については法律でやるべきことを明記してあり、そのための財源確保は義務付けされていることから、軽減税率が社会保障切り捨てにつながるというのは全く的外れな論難である。

今後加速する少子高齢化に適切に対応するうえで社会保障制度の持続可能性確保のための消費税引き上げについては、すでに法律で決定されオーソライズされている。

その際当然であるが痛税感を和らげながら実効性のある課税のあり方を考えるべきである。ある階層にとって負担感が重くのしかかるようなあり方はかえって消費を冷え込ませる結果となり、経済好転の支障となりかねない。

その解決策として軽減税率がある。我々は選挙公約として必ず実現すると国民の皆様にお約束したものである。公約の実現。非常に重いものである。

今、野党などから軽減税率の導入に対して税収減という観点からの批判が起こっているが、世論調査の結果を見ると多くの国民が軽減税率に対して必要との見方を示している。

これまでの我々の主張への期待の表れであり、公約実現という政党本来の役割を果たすことは、これまで失われがちな政治への信頼感を取り戻すうえで試金石となるだろう。

子どもクラブのメンバーに期待

子どもクラブのメンバーに期待

新しい年に

2016年1月18日

2016年も明けて既に半月が過ぎようとしている。今年は夏に参議院選挙を控え、また選挙権が18歳以上に拡大される日本の政治史の新たな一歩を刻む意義深い年である。

昨年は、統一地方選後の5月の臨時議会で副議長に推挙され、以来議会運営に議長とともにあたってきた。

その前年1年間は、総務委員長として委員会運営を担当したが、市立甲府病院の放射性物質過剰投与問題(RI問題)、本庁舎窓枠落下問題など、重い課題が山積し、解決に苦慮したところでもあった。

副議長就任後の最初の大きな出来事は現職市議の飲酒運転事件であった。当然のことながら世間の目は「議会」に向けられる。議会の一員という意味では議員の所属組織として議会があるととらえる向きも少なくない。

その結果、マスコミによる議会の代表者である議長への取材も当然のように行われた。

しかしながら、法制度は議会の一員ということを裏打ちするような仕組みになっていない。議長には議員個人に対する指揮監督権はないし、また議会自体も除名という最終的な権限が規定されているものの、組織の一体性を確保するような制度とはなっていない。

こうしたことから、議員個人の議会活動という側面が浮き彫りになるが、2元代表制という理念を実現するうえでの制度的な立ち遅れは否定できない。端的に言えば、合議「機関」としての議会というにはまだ成熟した制度とは言えない。

これまでも何度か指摘してきたところであるが、これからの政治の基本的なあり方は何といっても「議論を通じた合意形成」の実現だろう。

議会がその最終的な意思決定としての議決を行うには、前提として論点を徹底的に議論によって潰しあい、妥協点を見出していくという作業が求められる。

結論を出すプロセスとして「成熟した議論」が政治への信頼を深める唯一の方策である。そのためには、議論の出発点にあたって、「何のために」という目的観を共有することが必要である。

議会にあってはこれが「市民生活の向上のため」であり「国民のため」であるという代議制民主主義の本旨に立って議員ひとりひとりが確固とした認識を持つことが求められる。

残念ながら日本の政治史においてはまだまだ「成熟した議論」がほとんど見られない。昨年の国政における安全保障法制の審議を見れば明らかである。そこには目的観の共有はなく、いってみれば「国民のため」というよりは「自党の利益のため」が露骨に見え隠れしていた。

不見識なレッテル貼による印象操作、議論の場は国会であるにもかかわらず、国会外のデモに託した野党のお粗末さ、肝心の国会審議でも論点提示がほとんどできないお粗末な質問、あげくは審議妨害。

そこにはあまりにも国民を愚弄して平然としている野党の姿がある。野党の役割を全く自覚していないような審議に臨む態度。端的に言えば、「権力に立ち向かう抵抗者」の姿を演じ、国民の歓心を買おうとする「前時代的な」考え方である。

与党に少しでも与すると次の選挙に不利に働く、という盲信からの対応だが、むしろ「どういう議論をしたか」という点に国民の関心は常に向いているのである。与党だから、野党だからという単純なカテゴリー化による判断しかしないと思ったら国民をばかにしている。

「国民のために」どれだけ真剣に議論してくれたのか、なのである。勘違いしないでもらいたい。

地方議会においても同じことだ。「議論を通じた合意形成」をいかに実現していくか。そのために現行不足している制度資源をどう創造していくか。議会制度の研究のポイントはそこにある。

新しい年が目指す政治の理想の姿に一歩でも近づくような、そんな意義のある年にしていかなければ、と改めて決意している。

2016年夜明け

2016年夜明け

12月定例市議会閉会

2015年12月18日

甲府市議会は15日、提出議案すべてを可決し閉会した。

今議会は会期中に甲府駅北口のエスカレーター天井屋根ガラスのひび割れ問題の報道があり、当局の公表のあり方、議会本会議での取り上げ方の可否など、2月の窓枠落下とからめた議論が一部であった。

この件を通じて、改めて市民への安全が確保されている中での通常業務のとらえ方について、いたずらに不安をかきたてることを防ぎながら理解をを求めることの難しさを感じた。

特に、窓枠落下の件と異なり、今回の件は、採光を最大限確保しつつ当然予想される外的な衝撃に対して耐えうるガラスの性能が残念ながら知られていなかった点が各方面に不幸な誤解を生んでしまった。

当該ガラスを採用した最大の理由は、衝撃に対して破損しにくいこと、破片が飛び散らないこと等であり、逆を言えば外的「力」に対して一部で非難されているようなガラスが落ちてくる可能性はないということである。

だからこそ、ひび割れを発見した時の対応は「念のため交換」ということであり、「通常業務」の範囲だった。通常業務の範囲であれば、すべてを市長へ情報を集めるなどという非効率な組織運寧は本来しない。

全ての誤解は、今回のガラスのひび割れが市民の安全に致命的な影響を与えるものではなかったにもかかわらず、単に高所にある天井ガラスだから、という理由で危険だとした点にある。それは、防犯、防災ガラスの性能に対する無理解から生じている。

この件が、県内の様々な施設へ及ぼした影響は大きい。中にはちょっとしたひび割れもすべて公表に走ったところもあるのではないかと思う。「放置した」とレッテルを張られるのを嫌がったのだろう。

別にこうした動きを否定するわけではない。市民の安全安心を確保するのは自治体の主要な役割だ。

しかし、甲府市の事例では、「危機管理」の在り方にまで話が飛躍してしまった。この程度のことが「危機管理」などといわれるようでは、より深刻なクライシスへの対応が軽くなりはしないかと危惧を抱く。

まず大事な点は何か。それは言うまでもなく安全確保を最優先で対策を講じることだ。その中には、原因の早急な究明による2次被害の防止も含まれる。安全確保のために迅速な情報提供による避難誘導もあるだろう。

当然何かの事案が発生した時に、内容も把握しない段階でとにかく事実のみを発表すべきという論調もある。しかし、原因も分からず、どういう対策を講じなければならないか不明な時点で、いわば生煮えの情報を提供した時に予想される反応は「パニック」である。

情報を提供する側と受ける側双方に大混乱が生ずるのは目に見えている。危機管理で大切なことは、「事実」とその対策が講じられているという「安心の情報」である。

事実のみをとりあえず伝えるという姿勢は、往々にしてあとは市民の判断に任せるという無責任さにつながりかねない。

市では現在危機管理体制の見直し作業を進めている。その際、おそらく、情報を組織内で共有する範囲、公表の在り方などが議論されるだろう。

結果の重大性に対して執るべき対策を考えることは当然であるが、市民の視点での妥当性も考慮に入れながら、危機対応にふさわしい内容に仕上げていただきたいと願うばかりである。今回のような不毛な論議が起こらないようにするためにも。

人間社会は情けない

人間社会は情けない

 

これは不可解

2015年12月10日

12月議会開会中の12月8日、地元ローカル紙に甲府駅北口天井ガラスのひび割れを2か月間公表せず、という記事が載った。ご丁寧に1面トップと社会面にダブル掲載という念の入りようである。

記事の取り上げ方から事情を知らない者から見れば、さも重大事が発生し、市の重大な過失があったかのような錯覚を抱かせるに十分なほど煽る内容となっている。

2月の庁舎窓枠落下問題の際の対応を持ち出し、しかも「憤っている」という利用者の声を巧みに織り込み、事実を意図的に隠ぺいしたような印象を与えている。

翌9日の同紙は、社会面にその追跡記事を載せた。安全だと分かっていても、その事実と対策を講じていることを周知すべきだった、との市長のコメントを載せ、ご丁寧に開会中の12月定例会本会議で取り上げる議員がいなかった、などと議会の仕組みを全く理解していない無知な記事を掲載した。

そのうえ、論説委員が「社説」で取り上げ、これでもかというほど印象づくりに躍起となっているかのような「報道姿勢」を見せている。

9日の本会議では、2人の議員が質問に入る前に、この件に触れたが、もちろん本会議での「質問-答弁」の類のものではなく、あくまで報道を受けて発した「個人的所感」の域を出ないものである。

10日付けの紙面では、社会面でこの2人の市議の発言を取り上げ、当局に対して危機管理指針への反映を求めた、という記事を掲載している。

だが、状況を当局からうかがう限り、ここまで執拗に大騒ぎするほどの内容なのかという感が強くなっている。以下、事実を検証してみる。

1 事案の内容は、甲府駅北口エスカレーターの屋根部分のガラスにひびが入っているのを10月上旬に市職員が発見し、直ちに現場確認を行った。地上14mという高所にあるガラス40枚のうち1枚にひびが入っていることを確認した。

このガラスは特殊樹脂製の中間膜でガラスを接着した合わせガラスであり、仮に強い衝撃で破壊されたとしても破片が飛び散らないほど安全性が高く、一般住宅でも「防犯ガラス」として採用されるほどの品質(CPマーク)が認定されている。

ただ、市では念のため防護ネットを設置し、安全対策を施した。

2 市では、「ガラスの取り替え」に早急に対応するため、緊急に工事発注を行った。ただし、特注品であるため、ガラス制作に2か月程度かかり、めどがたった11月下旬に関係機関に文書で工事を周知し、12月上旬に駅に工事予告看板を設置、12月7日夜から取り替え工事を行い、2日ほどで終了した。

3 工事内容は単にガラス1枚の取り替えであるが、14mの高所であるため、足場が巨大となり、さも大掛かりな工事のような印象を与えたようである。

事実の内容は以上の通りであり、新聞の内容は重要部分で事実を「意図的に」伝えていない感がある。

それは、このガラスの高性能な点を全く報じていないことである。ガラスメーカーが知ったらどういう反応をするだろうか?おそらく強く抗議するのではないか。

前述のとおり、ひびが入っても破片が飛び散らないことは実証済みであり、だからこそ天井ガラスとして採用された。つまり、破片が落下することはほとんどありえず、現に落下していない。そのうえ、防護ネットを張って万全の安全対策を講じている。

報道では、この点に全く触れておらず、あたかも落下しそうなのに防護ネットだけ張って放置したような書き方である。しかも公表しなかったことをことさらに責め立てている。

はたしてこのローカル紙の言うように公表するほどの事案なのか。ガラス1枚の交換だけである。しかも安全性能は保証済み、破片の飛散はない。

だが、一連の報道を見ると、ヒステリック、ファナティックなある面怖さを感じる。肝心な事実を覆い隠していたずらに市民不安をあおり、そのセンセーショナリズムによって歓心を買おうとするかのようだ。売らんかなの商業主義的すぎないか。

ガラスの交換は、通常の維持補修業務の一部である。ひび割れの発生から工事着手までのタイムラグはあるにせよ、その間は全く安全性に問題はない。これはヒアリングの結果の結論である。

議会の関係でも苦言を呈したい。

本会議が開かれていようが、こうした事案は常任委員会で調査審議すべき内容である。窓枠落下の際も同紙は同じことを言っていたが、議会は本会議で取り上げるもの、委員会で取り上げるもの、があり、いくら説明してもこの紙は理解しない。

9日の本会議一般質問で質問に入る前にこの件に触れた議員がいたが、報道に基づく発言と事実関係をしっかり把握したうえでの発言は現に峻別すべきだった。事実関係を把握せず、報道されたから発言するというのであれば、率直にいかがなものかと言わざるを得ない。

現に事実を知れば知るほどなぜ大騒ぎするのか不可解に思えてくる。だから、所管の常任委員会でしっかり事実関係を調査審議すべきと言っているのである。そうすれば、何が真実か明らかになるだろう。議会の役割はまさにそこにある。

いずれにしてもこうした事態を避けるために、公表の基準や方法等を定め見える化したほうがいい。そうすれば、変なネガティブキャンぺーンに巻き込まれることもなくなり、余計なエネルギーを使わなくて済む。

以上怒りを込めて、である。

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内発性の地域づくりへ

2015年11月25日

甲府市も向こう10年間の行財政運営の指針となる総合計画案を策定し、12月定例会に提案する運びとなっている。

総合計画は言うまでもなく、自治体の最上位計画であり、あらゆる事業、施策がこれをもとに展開される。いわば自治体の最高規範、憲法というべきものである。

当然のことながら、まちづくりの方向性も規定するが、高度成長期を経てバブル経済後の日本社会はおしなべて共通の課題を抱えているといえる。

それは、人口構造の劇的変化であり、人口の大都市圏への過度の集中、そして大きな課題は人口減少局面を迎えての地方の「衰退」という特徴的な事象である。

甲府市の総合計画も人口減少を受け止めながら、どこに歯止めをかけるかを意識するとともに、一方で国の法律に基づく人口ビジョン及びこれと表裏一体の成長戦略を策定することによって、今後の甲府市の都市像を提示する。

人口減少という市をあげての困難な課題に立ち向かうための施策の総合的かつ計画的な展開は当然必要である。社会の活力を維持し、持続可能性を確保することは市民生活の発展のうえから最優先に考えるべきものである。

2025年に団塊世代が全て75歳以上となる超高齢社会の到来が避けて通れないことと併せて概観すれば、生産年齢人口の維持、子どもを産み育てやすい環境の整備も求められるだろう。そのための施策もこれまでもそして今後も取り組みがなされるだろう。

問題は、この総合計画の実行が単に行政の枠組みをはめる計画だけに終わるとするならば、果たして甲府市の都市像実現に真に寄与できるか否か不安を覚える。

特に人口減少がもたらす常識的な疑問としての税収減による財政規模の縮小が起こりうることを考えるならば、これまでのような「右肩上がりの時代」の行財政運営の考えは通用しなくなると考えられる。

すなわち「行政出動」による公共財の投下の限界が否が応でも意識されることから、「負担の分配」というパラダイムの転換もいよいよ求められるだろう。

こうした新たな局面を迎える中で、総合計画が目指す今後10年の甲府市づくりという点からあえて言うならば、求められる考え方として「内発性の地域づくり」ということを提唱したい。

「内発性」というのは、自ら主体的に取り組むという意味合いを指している。内発性の地域づくりという場合、端的に言えば、地域自らが自分たちの課題を的確に認識し、その解決のために第一義的に地域自らが取り組むというまちづくりの考え方である。

これまでのまちづくりの主流の考え方は、ほとんど「インフラ整備」といっても過言ではない。当然地域だけでは到底解決できず、自然と行政主体のまちづくり、いいかえれば「行政依存型」のまちづくりである。

地域の態度は自然と「陳情型」となり、限られた公共財の「分捕り合戦」の様相を呈し、いつの間にか、地域の課題すべての解決を行政にゆだねる習慣が染みついてしまっている。ここに地方が元気をなくす大きな要因がある。

県庁在職中の平成16年に「防犯のまちづくり」の仕組みづくりに携わったときに、この「依存体質」が地域の課題解決力を次第に低下させ、結果として地域の治安悪化を招いていると分析したことが今でも記憶に新しい。

その時の呼びかけが「自分たちの地域は自分たちでつくっていこう」ということである。「内発性の地域づくり」がまさにこれである。

課題解決に自ら汗をかく。そして地域活動につなげていく。その結果、再び地域が元気を取り戻す。行政の役割はその後押しとしての支援であり、決して「手を出しすぎてはいけない」ということである。

依存意識からの脱却は容易ではない。しかしその努力を怠ってしまうとやがて地域の魅力消滅につながりかねない。子どもたちが将来戻ってくるためには、彼らに地域の魅力、そこで営む我々大人の生活の姿を焼き付け、故郷の誇りというものを少しでも感じ取ってもらうことが肝要ではないか。

こうした意味からも「内発性の地域づくり」が多少遠回りでも人口減少局面での希望の光となりうると確信している。それが地方創生の一つの姿ではないだろうか。

育成会ものづくり体験

育成会ものづくり体験

どこかおかしい

2015年11月20日

さて夏の平和安全法制をめぐる国会や国会外での大騒ぎもいつの間にか消えてなくなり、一体何だったのかという疑問がいまだくすぶっている。

学生団体や、学者の会、大学の有志の会など、およそこれまでその存在すら知らなかったような動きが突如として沸き起こった。その主張内容は一致して平和安全法制は憲法9条に違反するからこれを強引に進める現政権を糾弾するというものである。

これに一部の野党が意を強くしたのか、国会での委員会運営の妨害、本会議での中身が全くない時間稼ぎの反対討論など、ありとあらゆる手を使って現政権のイメージダウンを図る戦法に出た。

これらに共通するのは、民主主義というものの根本的な無理解と付和雷同的、ステレオタイプ的思考から脱却できないこの国のいわば悪しき「精神風土」ともいうべきものの考え方である。

現代社会は多様なものの考え方の上に成り立ち、またICTの急速な発達から情報が洪水のごとく押し寄せ、これがさらに多様性に拍車をかけているような印象を受ける。

こうした変化の連続の現代にあって、今日に至るまで共通の価値と認識されてきた「民主主義」がいかにあるべきかを問いかけたのが今回の騒動だったように思える。

特に、グローバル化が進んでいる今日、国際社会の一員としての日本という観点からのものの見方、考え方が益々求められている中での民主主義のあり方が問われているのである。

こうした状況においては、我が国の方向性を考えるうえで端的に言えば、国内法である憲法とともに国際法との関係性を意識しなければならないのは当然である。

これはまさに外交、防衛という国家の基本的な統治にかかわる事項であり、ツールとしての民主主義が我が国のためにまた国民のためにどのように機能したか、その質がどうだったかが問われているものと言える。

しかし、期待は大きく裏切られたといっても過言ではない。

すでに明らかなように、国権の最高機関とされる国会では、およそ「議論」というにはほど遠い「個人攻撃」と「レッテル貼り」に終始した状況であった。

しまいには「多数派の横暴」という使い古された印象操作手法による議論の拒否である。我々の意見を全面的に「丸のみせよ」というまさに「少数派の横暴」の状況に陥ってしまった。

ネット上では「民主主義は多数決ではない」といった批判ともつかないような幼稚な主張も見受けられた。全く民主主義というものへの無理解や「受け売り」が横行していたのである。挙句の果ては「民主主義ってなんだ」などという本まで出版される始末。

民主主義というのは、主権者である国民が自ら国政の在り方を決定していくシステムである。しかし、ものの見方、考え方が多様化している現代にあっては、多様な意見をいかにして調整し、決定して行くかが重要となる。決して単一の意見がそのまま何の修正もなく採用されるということは考えにくくなっている。

これまで私が主張してきた「議論を通じた合意形成の政治」という考え方は、こうした多様化した現代社会における民主主義のあり方を示したものである。

一つの課題に対して、それぞれの立場からの論点を提示し合い、徹底的に議論する。この過程を通じて「着地点」を探っていき、最終的に「合意」する。そこには正当な理由に裏打ちされた「譲歩」が必ず生まれなければならない。全く根拠のない「論駁」の類はもちろん論外である。

問題は、こうした異なる意見を持つ者同士がお互いに「多様性への寛容性」という成熟した考え方を持つか否かである。なおかつ、「国のため」「国民のため」といういわば「私益」より「公益」を求める議員本来の使命感に立っているか否かである。

よく言われるように「あなたの意見には反対だ。しかしあなたが反対する権利は全力で守る」。これが真髄である。

こうした基本的なものの考え方に立脚せずにひたすら反対のみを叫び続ける。そこにはこの国の未来よりも次の選挙での自分の身の処し方を追求するあさましい「政治屋」根性が見え隠れする。

来年には18歳選挙権がいよいよ施行される。次の世代に恥ずかしくないようなこの国の民主主義をつなげていくためには「議論を通じた合意形成の政治」をより一層訴えていかなければならない。我々の責務はあまりにも重い。

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地方は人で再生する

2015年11月9日

地方自治ジャーナリストの相川俊英氏のルポルタージュ「奇跡の村」を興味深く読み終えた。副題が「地方は人で再生する」である。

同書で氏は、人口減少、超高齢化の局面の中で、10年後、20年後の将来を見据えた地域づくりに懸命に取り組み成果を上げている3つの事例を紹介し、そこに共通するキーワードを見事に描き切っている。

表題ともなった最初の事例は、長野県下條村。人口わずか約4,000人の「辺境の山村」が合計特殊出生率でかって2.04を記録し、今でも全国トップクラスの出生率を誇っていることに、全国からの視察が後を絶たない状況という。

そこには、ぬるま湯体質の役場の職員の意識を転換し、少数精鋭の「働く集団」へと改革するとともに、住民のこれまでの行政依存体質を、「自分たちで出来ることは自分たちでやってもらう」という真の住民自立へと転換していった、村長の存在があった。

村長就任後に行った、職員の民間企業への研修派遣制度、これにより職員の意識変革に成功し、行財政改革も徹底して行い、財政状況の好転をもたらす。

職員が一人で何役もこなすようになり、自然人件費が削減される。そして、何より示唆に富むのが、「資材支給事業」とである。

各地域では道路や水路の補修、改良などの土木工事の需要が根強くある。これまでは行政がやるべきものという考えが支配してきた。全国どこでも同じ状況である。

しかし、小規模な工事まですべて行政がやらなければならないとすると、限りある予算の下ではどうしても、受益者が多い大規模工事が優先され、小規模工事は後回しになり、自然いつまでも順番が回ってこない結果となる。

そこで村長の発案で、必要な資材を地域に与える代わりに地域自らがいわば「普請」という形で工事を行う方式を導入した。当然地域からの反発は強かった。「行政の責任放棄ではないか」と。

しかしこれが目覚ましい効果を上げることになる。まず公共事業で行政が行う場合に経費の大きなウェイトを占める労務費の削減が実現、自然経費の削減につながったこと。

また、古くからの共同体の公共作業の伝統「道普請」の考え方である、住民自らが一緒に汗をかくということが、自然と地域コミュニティの強化につながったこと。

こうした一石二鳥の効果により、村の財政の好転と地域自らが課題解決にあたるというまちづくりの原点が共通認識として浸透し、これが、平成の大合併を拒否して自立の道を歩むことにつながる。

もう一つの興味を引く施策が若者向け集合住宅の自主財源による建設である。普通、自治体が公営住宅を建設する際は国の補助金をもらい、なおかつ起債によって一時的に多額となる資金需要に対応し、残りを一般財源により負担する、というのが一般的である。

ところが下條村はそうしなかった。なぜか?答えは簡単である。国の補助金はその交付条件にがんじがらめとなり、独自の入居基準を設けることができないからである。

下條村は、村単独で建設を行うことにより、村に定住する若者世代に住居を提供する入居基準を定めることができたのである。

その入居基準は、①子どもがいる世帯、またはこれから結婚する若者に限定し、②祭りなどの村の行事への参加や消防団への加入、③そのうえで、入居審査会で入居可とされた者、である。

こうして、若者世代、子育て世代に安価な住宅を提供し、なおかつ子どもの医療費の無料化、給食費の補助、出産祝い金の支給など、ありとあらゆる支援策を講じて、いまや最も子育てがしやすい村という評判が定着し、冒頭の高い出生率へとつながっている。

下條村のこうした驚くべき施策は村長の強力なリーダーシップによるところが大きい。私が一貫して主張している「パラダイムの転換」に通じる。まさに「人」がまちづくりのカギを握るといってよい。

2番目の事例の群馬県南牧村。あの増田レポートで消滅可能都市トップとされた村である。

かってコンニャクの産地として栄え、一時、上信鉄道も延伸する計画まであった村だが、コンニャクの生産技術の進歩から平坦地での栽培が拡大するにつれ衰退化の憂き目にあっている。

急速に過疎化が進む村の衰退を食い止めようと、様々な行政サービスの充実を図った。もちろん医療費の無料化や結婚、出産祝い金の支給、定住奨励金など、子育て支援策も考えうるあらゆる措置を講じてきた。

しかし、結果が出ない。そこにはサービスあれど雇用なし、という生活の基盤を支えるだけの資源が脆弱だったことが大きな要因とされている。

こうした村の状況に危機感を募らせた若者が立ち上がり、商工会の青年部メンバーたちと「明日の南牧を創る会」が結成された。その活動の中で生まれたのが「古民家バンク」である。

全国の地方都市が抱える空き家問題。南牧村も例外ではない。創る会は村内の空き家をつぶさに調査し、若干の補修を加えれば十分住める空き家が多いことに気付く。

これを村外からの移住者に安く貸し出す。古民家というブランドに高め、南牧の自然環境のなかでのスローライフの実現といった側面もあり、この土地ならではの戦略と言える。

この土地に自分のやりたい農業を求めて移住者が現れる。もちろん地元の旧来の農家は大歓迎である。いろいろなノウハウの伝授からはたまた新しい花き農業の展開など、「風の人」「土の人」という滋賀の地域づくりの考え方がそのままぴたりとあてはまる。

ここでも、「人」と「人」の関係性の再構築が消滅可能都市のレッテルを跳ね返す大きな原動力となっている。

最後の事例が、旧神奈川県藤野町である。

現在は、相模原市との合併により同市に編入されているが、これまで「人の誘致」が町の政策とされ、様々な芸術家が藤野町に移住している。アートの棲むまち、とうたわれてきた。

その中心を担ってきたのが役場の若い職員である。当然バブル経済の時代には、開発志向の政策が中心であった。その時代にあって「人」に焦点をあてようという自治体は全国でもほとんどなかった。

最後は若い職員の熱意が町を突き動かした。その選択がこの人口減少、超高齢化時代にあって、方向性が決して間違っていなかったことを裏付けている。

小中一貫教育のユニークな教育方針で知られるシュタイナー学園の誘致も廃校を活用して実現した。反対もかなりあったようだが、事務局長に情熱あふれる教員経験者が就任し、現在ではこの教育を求めて家族で移住してくるケースも多くなっている。

また「トランジション・タウン」運動も生まれている。イギリス発のこの住民運動は、「大量の化石燃料などに依存しきった脆弱な社会」から「地域をベースにした様々な変化にしなやかに対応できる社会」への移行を目指すものとされる。

その具体的な形は、「地域のつながり」を取り戻し、地域レベルでの食やエネルギーの自給自足を少しずつ増やしていこうという住民運動である。

これまでも「経済の地域内循環」という形での地域の再生を学んだことがあり、その基本的な考え方は同じである。地域づくりといえばもはや「人」の再生、育成がその眼目に据えなければならないことをここでも示唆している。

旧藤野町もアートの棲むまちからアートビジネスのまちへと模索している。そこに人が存在するためにはやはり「職」が必要である。よりまちづくりの有為な人材を確保するためにも、この分野での施策の展開は集中的に行うべきである。

地方創生といっても「人」が立ち上がってこなければいずれ頓挫することは間違いない。その「人」をこの地に定着してもらうための智慧を皆で出し合うことが今まさに求められている。

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