知事選、市長選を終えて
1月27日に知事選、甲府市長選の投開票が行われ、知事には自公推薦の新人長崎幸太郎氏、甲府市長には現職の樋口市長がそれぞれ当選し、亥年選挙の幕開けとなった。
市長選は対抗馬が共産党新人ということもあって、マスコミ報道のとおり、「信任投票」的な選挙の色合いが濃く、盛り上がりに欠けるなか予想通り樋口市長が再選を果たした。
これに対して知事選は、立民党、国民民主党推薦の現職後藤知事と、自公推薦の長崎幸太郎氏の事実上の一騎打ちとなり、終盤激しいデッドヒートとなった末、新人の長崎氏が初当選を果たした。
我が党も推薦を決定して以来、統一地方選、夏の参院選を控えるなかで絶対負けられない戦いと位置づけ、県本部の総力を挙げて長崎氏の勝利のため奮戦した。
結果、開票が始まってすぐに長崎氏の当確が出たことで、ほっとしたのと同時に勝利することがいかに重要かを身をもって味わった。
最終的に後藤氏に3万票余りの差をつけ勝利したが、その票の出方を見ると公明党の票がなかったならば長崎氏の勝利はなかったことは明らかである。
今回長崎陣営は「停滞から前進へ」という分かりやすい訴えを全面に打ち出し、国との連携不足が本県の閉塞的状況を生み出していると選挙戦を通じて徹底して訴え続けた。国でのアベノミクスの恩恵が本県ではほとんど実感できないほど本県経済が「停滞」し、これ以上手をこまねいているならば県民生活が危機的状況に陥ってしまう。
こうした訴えが多くの県民の共感を呼んだのだろう。リニア中央新幹線の開業が果たして現状の本県に大きなベネフィットをもたらすのか、受け身のままのまちづくりで人が呼び込めるのか、さらに中部横断自動車道の開業の遅れなど、現県政を続けることによる危機感が次第に高まってきたように見える。
こうした論点提示に選挙戦を通じて現職側が真摯に向き合ってきたかというと私は必ずしもそうではないと感じている。我々県民は、こうした不安感を各候補者がどのように解決していくのか、大いなる議論を期待していたと思う。
だが残念ながら議論の姿は見えてこなかった。そればかりか、最も失望したのは現職の掲げた「県民による県民のための政治」というスローガンである。
選挙戦でこれを旗印にすることは、逆効果ではなかったか?端的に指摘させていただければ、自分たちだけが「県民」であり、「県民のため」に政治を行っている、と主張しているに等しく、裏を返せば他陣営は「県民」ではなく、したがって「県民のために」政治を行うことは期待できないから支持してはならない、と言っているに等しい。
実際、山梨県のリーダーには山梨県出身者がなるべきだという陣営側の著名な支援者の発言も報道され、また「権力に対する県民の政治」という趣旨の発言も報道された。
政策論争を期待していた側からはこうした現職側の主張に「ガラパゴス」的な状況を見て取り、これに対して未来への投資や若者が戻ってきたくなるまちづくり、といった具体的な希望をもたらしてくれた長崎氏への支持が急速に広がったと確信している。
選挙選というのは決して相手への攻撃をいうのではない。「政策」を有権者に訴えてその審判を仰ぐということである。これを忘れて旧態依然としたやり方で他候補への攻撃をしたところで賢い有権者の賛同を得られることはない。
我々が「議論を通じた合意形成」の政治を目指す、とこれまで一貫して主張してきたのは、政策論争の姿を有権者に提示することによりその選択に資することを目指したものであり、「知恵」対「知恵」の競争により、よりよい政策の実行を常に考えているものである。全ては政策論争による国民生活の向上、福祉の増進を考えてのあり方である。
今回の知事選を通じて改めて「政策」の訴えがいかに重要かを実感している。