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神戸市会議員
吉田けんじ

世界のデザイナーをこうべから(5)ー世界で五指に入る神戸ファッション美術館

2015年2月5日

その方法についてはもう少しあとで述べるとして、そのヒントは六甲アイランドにある神戸ファッション美術館の再評価でした。
実は最近まで私自身、まことに恥ずかしながらこの美術館は神戸市のお荷物と思っていました。
もともとデザイナー育成の機関として構想されたものが、美術館に変更された経緯があり、多くの素晴らしい展示企画がなされたものの入館収入だけでは運営が難しく、震災後の財政難から施設の維持にすら苦しむ施設であったからです。
しかし、先にご紹介したファッションコンテスト審査委員長の斎藤氏が、神戸ファッション美術館は世界で五指に入る素晴らしい美術館とおっしゃるのです。
今でも国内では唯一のファッション専門の大規模な美術館であり、とくに現代ファッションの原点であるヨーロッパ・ロココ調の衣装の収蔵品は秀逸だそうです。
これを活かさない手はない。しかし残念ながら市当局も議会の一員である私もその価値を理解しているとは言えませんでした。宝の持ち腐れだったわけですが、なぜそんなことになったのか。(続く)

世界のデザイナーを神戸から(4)ーファッション都市Again

2015年2月4日

お金を稼ぐことの支援を、それも神戸市民でもなく、神戸市内で事業をしていない人にまで行うことは問題があるとの行政の意見でした。
しかし、国内はもとより海外からも注目されるファッションデザイナーの登竜門を設けることができれば、多くのデザイナーやバイヤー、マスコミなどファッションビジネスにかかわる人々が集まるマーケットをつくることができます。
かつてファッション都市宣言をした神戸を改めて世界のファッション都市にする夢に挑みたいと思うのです。
それは結果として神戸市民の利益につながります。市民の税金を使うことに理解は得られると思うのです。
しかし、行政の見解も原則としては間違いではありません。そこであえてその議論は避けて、別の方法を考えることにしました。(続く)

町の中の危険

2015年2月4日

ここで日常活動の一コマをご報告します。
バイクが飛び出して危ないので、杭を打ってほしいとの相談が今朝あり、さっそく現場に参りました。
朝通勤時間帯に信号を避けてショートカットするために、ガードレールが切れているところを通ろうとして、車とぶつかる事故があったそうです。
交通事故は運転者のマナーに帰するところが多いように思いますが、確かにこのガードレールの空きが事故を誘発するなら、杭を打つ必要があると思います。
町の中の危険は大小種々ありますが、一つ一つお声を伺うのは私たちの大事な仕事です。
西建設事務所と相談しようと思いますが、どう対処できるか、また報告したいと思います。

小磯良平画伯の食卓

2015年2月3日

今日、神戸市会の未来都市創造特別委員会の委員長として、同委員会の打ち合わせで、神戸芸術工科大学の斎木学長をお訪ねしました。
写真はその際ご案内頂いた部屋ですが、そこに置かれたテーブルとイスが、なんと日本を代表する洋画家、小磯良平画伯が使っておられた食卓とイスだと伺いました。
斎木先生いわく、1872年に創業した神戸家具の永田良介商店に小磯画伯が注文して作らせたもので、かなり傷んでいたそうですが、永田良介商店さんが修復し、今大学でお預りしているとのことでした。
私の母校県立兵庫高校(旧制神戸二中)の大先輩であり、母校の誉れであるだけに思わず斎木先生と一緒に写真を撮ってしまいました。
斎木先生いわく、家具は建築より長持ちするものかもしれません、神戸でも伝統ある建築や家具を神戸の財産として活かしていくことが大事とのお話でした。
「世界のデザイナーを神戸から」の稿で述べる予定ですが、神戸ファッション美術館が保有する収蔵品同様、神戸の文化財産として「神戸家具」の素晴らしさを都市の魅力に活かしたいと思います。

世界のデザイナーを神戸から(3)-プロの支援は税金でできない!?

2015年1月31日

この思いを実現するために、斎藤氏はコンテストの対象を学生だけでなく、プロの若手デザイナーまで広げようと考えました。
プロですから優勝者には、留学ではなく、パリの展示会に神戸市がお金を出して出展の機会を与え、バイヤーも紹介して、具体にビジネスにつなげるサポートをしようと企画されたのです。
さらにこの試みに加え、日本で初めて「アトリエ」を実施されました。「アトリエ」とはデザイナーの作品を専門家が見て、売れる服にブラッシュアップするためのアドバイスやバイヤー紹介をするものです。
いずれも素晴らしい企画で、文字通り神戸がファッションビジネスを志す内外の若手デザイナーの登竜門となれる施策だと胸踊る思いでした。
しかし、ここで問題が起きました。神戸市が税金を使って支援する対象は、市民か市内の事業者にしないといけないとの意見が出たのです。(続く)

20年たっても: 自分で復旧するしかない(3)

2015年1月23日

職員の説明によると、公有地である公道法面が崩壊した場合に国の補助を得て修復できる制度はあるが、崩壊した後に私有地を市に寄付して公費で修復することは私有財産制度上許されないというのです。
震災の時は特別に拡大解釈をしてやったが今やると国から叱られるとのこと。
しかし、前例がある以上、違う扱いをすることは法の下の平等に反するし、前例を適用する、しないを決める条件を示していないことが問題ではないかと指摘しました。
まして、大震災はいつ来るかわかりませんが台風は毎年やって来ます。放置するわけにはいかない問題です。
公道法面を所有する市民に市に寄付することを促し、寄付しない場合の復旧支援制度を改めて策定し、周知するよう求めました。
震災から20年ですが、未だ残された課題は少なくないのです。(この稿おわり)

20年たっても: 自分で復旧するしかない(2)

2015年1月23日

さっそく建設局の職員を呼び、阪神淡路大震災当時、個人所有の法面(のりめん)を市に寄付することを前提に公費で復旧した前例があることを話しました。
ところが説明に来た職員はそんな制度はないというのです。私は、「そんなはずはない、当時何件もそのような事例があったのは事実だから、帰って記録を調べてほしい」と要請しました。
数日して震災の記録をもって再び職員が説明に来ました。復旧した記録は確かにありました。震災当時20箇所あまりの私有地の公道法面を2億円あまりかけて修復していました。
それ見ろと思いましたが、しかしそれでも担当職員は、私有地である公道法面を寄付することを前提に公費で修復する制度はないというのです。震災当時その仕事を担当していた職員にも確認してきたそうです。それでは震災当時行った修復工事は何だったのか。
いかに震災とは言え何の制度もないところで公費は使えません。(続く)

20年たっても:自分で復旧するしかない?(1)

2015年1月18日

昨日は震災から20年。あの日を忘れまじと言いますが、正直なところ思い出すのは辛い。未だに「しあわせ運べるように」の歌を聞くと涙がこぼれます。
しかし、この歌詞にもあるように、私たちには、この辛い経験を未来に活かさなければならない務めがあります。
先に述べた「災害時の要援護者支援条例」の制定もその一つです。
しかし、それ以外にもまだまだ解決しておかなければならない課題があります。
昨年8月、台風による大雨で、市内某所において市道法面(道路の斜面)の擁壁が崩壊しました。ところがその法面は隣接する住宅の持ち主の所有でした。
持ち主は神戸市にその復旧を求めましたが、私有地だから自分で復旧してくださいと言われたのです。
復旧費用はざっとみても3000万円はくだらないというのです。持ち主は当然困りました。自宅敷地はコンクリートがらと土砂で一杯、市道は通行止めになり、市道を利用する市民も困る。
地元の同僚議員からどうしたものかと相談を受けました。私は20年前の大震災のとき同じ問題に直面した経験があったので、なぜ全額個人負担になっているのかいぶかしく思いました。(続く)
*写真はイメージ

世界のデザイナーを神戸から(2)-40年近く人材が出ない

2015年1月17日

齊藤統氏とは平成20年に初めてお会いしましたが、前年に神戸ファッションコンテストの審査委員長をお引き受け頂いたばかりでした。
当時はイッセイミヤケヨーロッパの社長であり(現在はアジアとヨーロッパの経済交流を行うAECC社社長)、フランスのリヨン大学を卒業後、パリを拠点に40年近くフランスのファッション産業界で活躍され、その功績を認められてちょうどこの年に芸術文化勲章を受賞されました。
このようなすばらしい方を神戸ファッションコンテストの審査委員長にお迎えできたのは、当時の神戸市担当職員の熱意だったそうですが、齊藤氏の思いは、日本から世界で売れるファッションデザイナーを輩出したいということでした。
ご自身がファッションビジネスの世界に入るきっかけとなったファッションデザイナー山本耀司氏との出合いから40年近く、当時世界に進出した高田賢三、山本耀司、三宅一生、川久保玲以降、世界で売れる服をつくれる日本人デザイナーが出ないことをたいへん残念に思ってこられたそうです。
ファッションデザインはビジネスだから売れないと意味がない。デザインが良ければ売れるとは限らない。売るためのノウハウも必要である。デザイン力を磨くことは当然だが、そういったサポートも含め、神戸ファッションコンテストを土台に若手デザイナーを世に送り出したいとの情熱が、前回紹介したイェールでの松重健太氏のグランプリ受賞を生み出したのだと思います。
朝日新聞元旦号の記事は、くしくも齊藤氏の思いそのままを綴った内容でした。(続く)
*写真:中央が齊藤氏、右が令夫人、右端は齊木神戸芸術工科大学長

世界のデザイナーを神戸から(1)-朝日新聞元旦トップ記事

2015年1月15日

今年の朝日新聞元旦トップにパリで活躍する若手デザイナーがエッフェル塔をバックにモデルとともに映る写真が掲載されていました。その人は、松重健太氏。2008年に神戸市が主催するファッションコンテストで優勝した若者です。
受賞者の特典で彼はフランスに留学し、昨年、世界的に有名な若手デザイナーの登竜門であるフランスのイェールのファッションコンテストで見事グランプリを受賞し、今後シャネル社のデザインを担当するそうです。
神戸市のファッションコンテストは昨年で実に41回目を数えました。営々とコンテストを続けてきたこともすばらしいことですが、入賞者に留学の機会を与え、世界で売れるデザイナーになる道を開くという取組みは他に類例のない取組みとして評価されています。
コンテストを続けてきてようやく世界で活躍するデザイナーを生み出せたことは、神戸の誇りであるとともに、日本の未来を拓く人材を育てるたいへん重要な、そしてファッション都市神戸ならではの施策です。
私もこの7年間このコンテストの審査委員長を務めて頂いている齊藤統(さいとうおさむ)氏とともに微力ながらコンテストの充実に取組んできて本当によかったと思っています。
ファンションには門外漢の私ですが、この事業のお手伝いを始めたのは、もともと神戸には縁もゆかりもなかった齊藤氏の情熱と志に心を打たれたからです。(続く) *写真はイエールでの受賞作品「Hinabi」松重健太作品

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