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 本日北茨城市において、Hug japan/代表中川聰氏(東京大学大学院工学系研究科特任教授)の「震災後のリデザインを考える」と題した意見交換会があった。海外ゲストとしてペンシルべニア州立大学名誉教授・原子力安全センター長として原子力工学プログラムを指揮したアニソニー・バッラタ氏、ペンシルバニア州立大学教授(組織行動教授)バーバラ・グレイ氏、国際的な老年学分野の学者パトリシア・ムーア氏を迎えて、東日本大震災を経験して、これから目指す方向、どう復興していくのか、リデザイン(再設計)の視点とアイデアについて考えた。
 ここでは、情報を正確に理解できる知識を持ち合わせる能力、常に存在するリスクに共存する必要な知識をいかに教育していくか?が大事。 復興は、放射能、PTSDなど、見えない物質、見えない心の問題を並行して再設計していかなくてはならない。被災地の人々(現場)が様々な問題、課題に対して、集まるたびに、「どうしよう?!」と積み上げ、より強い体制を作り上げていくことが大事で、そして、その真ん中には、
 コミュニテイを強くしていく取り組みが必要がある。との意見が出た。

 高萩市議選挙がスタートした。公明党から今川としひろ、菊池正芳が立候補した。この二人は、今回の選挙戦で遊説車を出さない。高萩市も今回の震災で甚大な被害を受けた。選挙遊説車の補助金を辞退することで、少しでも税金が被災した人々に向けられることを願ってのことである。全員が辞退すれば、約500万円になるという。
 今日は拡声器を持って、歩きながら立候補挨拶をした。
 (写真は君田)

 19日から21日まで、総務委員会の行政視察で、千歳市「そなえーる」、奥尻町を視察してきました。
 北海道南西沖地震は、1993年7月12日午後10時17分、奥尻町北方沖で発生した地震。マグネチュード7.8、推定震度6。津波は3分後に奥尻島に到達。火災や津波、土砂崩れで死者202人、行方不明28人に及ぶ甚大な被害であった。
 甚大な被害を受けた奥尻がいかに復興したのか、特に津波に対する避難経路、避難施設の整備、防災体制、新しいまちづくりをいかに進めてきたのか興味深いものばかりであった。人家の多い地域に40も整備された避難のための階段、要塞のような防潮堤、津波を逃がす空間構造にした小学校等。
 今回の視察を参考にして復興に進んでいきたい。

  この言葉は、一昨年のJCO臨界事故10周年のシンポジュウムで、シンポジスト(原発に関わっている本人)が発した言葉。東海原発事故はに2人の死者を出した重大な事故。村上東海村長は、最近の茨城新聞のインタビューで2度の原発事故を再び目の当りにして思うことはという問いに、「JCO臨界事故も慢心が招いたもので、この国はいつまでも反省しないという印象だ。利益を追及するあまり原発推進を「国策だ」と言い続け安全神話を作る・・・今回も案の定だ。」と、「福島第1原発事故の初期対応を見ても、何という国だと思った」と語った。12年前東海事故時、原発担当者が、原子力安全委員が、国が「何が起きているのか分からない」「何を判断すべきか分からない」と躊躇している時、村上村長が住民の避難を決断した(と記憶する)。いみじくもシンポジュウムでは「本当に大事なのは、初期動作の時点であって、実際に対策本部が立ち上がった時ではない」とも意見が出た。今回のインタビューに村上村長の孤独の叫び聞く思いだ。
 そして11日、村上村長は「30キロ圏内に100万人の人口を抱え、原発立地条件として不適切かつ老朽化している」として廃炉を求める要望書を提出した。
 国が安全を保障できないものを続けることができない。と考えるのは当然だ。「機械の劣化より、人間の劣化の方が早い」であるのなら、人間は、やはり原発を持ち続けるべきではない。

ピンクリボン月間にちなんで、乳がん検診受診の大切さを訴えた。

 市役所玄関前で交通安全キャンペー伝達式が行われ、その後中郷町にあるヨークベニマルの駐車場で市民の皆様に「交通安全」を呼びかけた。式典では、県全体では交通事故件数が減少傾向にあるものの、今年になって高萩地区(北茨城市・高萩市)で4件の死亡事故が発生している。また、一時減少した酒気帯び運転が増加している、との事。のど元過ぎれば熱さを忘れてはならない。また、高齢者の交通事故の注意も呼びかけなくてはいけない。

 世界遺産に登録された平泉中尊寺に行ってきた。豪華絢爛の金色堂を見学、杉や桜、もみじの木立を巡り森林浴をしてきた。

 常磐道、磐越、東北道と行くうちに、どんどんどんどん放射線空間線量が増え、郡山、二本松辺りは、北茨城市(我が家)の4倍もの数値に吃驚した。この見えない、臭わない、得体のしれない化け物に、怒りがこみ上げる。でも、この事態をどうすべきなのか、何ができるのか途方に暮れ・・・、自分の無力に腹が立つ。

 震災から6ヶ月。北茨城市の平潟港は地盤沈下で、満潮には港ぎりぎりまで水位があがる、この状況に台風や大雨が重なれば、船が乗り上げてしまう。港のかさ上げ整備が喫緊の課題です。
 更に福島原発事故直後、北茨城のシラスに基準値を超える放射能物質が検出、あれからシラス漁業が1日も出ていない。
 先々週小名浜漁港(いわき市)にそれこそ上々のかつおが揚がりましたが、築地市場では値が付かず300円で置いてきた、とのことです。漁場は福島沖でも、茨城沖でもないのですが、市場では相手にしてくれません。港の整備が進まないまま今だ船を出せない現状。
  北茨城市の漁業はどうなってしまうのか?
   

大津港は茨城県最大被害の港だが、今だ手付かず。
(写真上:平潟港、下:大津港)
   

 

 我が家の放射線測定器(手作り)、検出器はGM管です。
公開します。

 

 
 大津町公民館で大震災”3.11”を語る会が開催された。漁業関係者、地域住民、避難所になった小中学校の先生等が集まり、大震災を受けた時の自分の行動を語り、誰もがいまだかつてない津波の威力、地震の恐怖を語った。また、避難所における学校関係者と地域の皆様とが連携して、誰かれなく惜しみない支援を尽くし守って頂いたことに感謝の念で一杯になった。この事実を、この経験を後世に語り続けなくてはなりません。また、8月31日に復興委員会が立ち上がったばかりだが、今回の想定を超えた災害対策を盛り込んだ復興でなくてはならない。しかし、語る会が進む中、放射能汚染による漁業の不安、通学路に放射線量が異常に高い場所がある、という私達を取り巻く得体のしれない化け物に対する不安こそが、本当の本音と感じた。復興、復興というが、大津の人々は、生業とする漁業が栄え、港に大きな声が戻ってくることを望んでいる。と感じた。この地域を復活し、被害を受け苦しんだ人々が、一番幸せにならなくてはならない。これが私の信念。