バックナンバー 2011年 3月

 3月28日(月)、このたびの東日本大震災を受け、公明党北区議団として二度目となる「災害対策強化を求める追加要望書」を花川区長に提出いたしました。内容は、1、放射性物質による水道水汚染から子供たちを守るため、基準値を超えた場合ペットボトル配布対象年齢拡充について2、被災者受け入れ施設、区有施設転用と相談窓口の支援制度について3、緊急時の広報のあり方についての 三項目について要望いたしました。区長からは「本日の対策会議で早急に検討する」との前向きな回答を頂きました。

                  地震当初、私の住む豊島5丁目団地(14階建、12棟)でも激しい揺れが襲い、上階のほとんどの家が、家具等が倒れ、本や食器が割れ散乱しました。エレベーターが止まったため、私は屋外にいましたが、14階から12階までの方々に声をかけてまわり、4棟の方々をまわらせて頂きました。中には廊下がふさがり家から出られなくなった方、ドアがゆがみ出れなくなった方、高齢でタンスなど重いものを直せない方のお手伝いをさせて頂きました。

余震も激しく、近くの学校の体育館等が避難場所(約200名)になりましたが、灯油が朝まで持つかどうか心配との学校側の話を伺い、自治会の方と車で24営業のガソリンスタンドを探し、夜中の3時前に学校に届けることができました。

                  

翌日も朝から、各家庭にお手伝いがないか、声をかけてまわらせて頂きました。 とくに高齢者の方々の荷物の移動や片づけ、ゴミ出しをお手伝いし、ピアノも男性4人がかりで3台移動しました。

この地震のすごさをものがたるように、至るところでドアが閉まらなかったり、壁の崩れ、階段の亀裂、ガラスの破損、水漏れ等がみられました。

2011年、3月11日14時46分、震度7(マグニチュード9)の東日本大震災が起こりました。大津波によって、東北地方太平洋沿岸部は、町が津波にのみこまれ甚大なる被害、死者・不明者は現在1万人を超えるといわれ、私たちが、経験したことない大災害となってしまいました。お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げ、また被災に会われました方々、ご家族の皆様にお見舞い申し上げます。今は一人でも多くの方の救助ができます様、また原発の安全終息、さらなる地震が起こらないよう願うばかりです。

3月4日(金)午前、豊島5丁目団地にて防災訓練が行われました。梯子車を利用しての救助訓練、放水訓練、消火、煙、起震車の体験などが実施されました。消防署長の話では、「30年以内にマグニチュード6.5以上の地震が起こる確率は70%、とくに火の元と怪我をしないことが大事」との話がありました。震災について、日頃からの訓練や備えが重要と、あらためて認識をいたしました。                      

 2月27日(日)早朝より、豊島紀州通りの清掃活動『花水木の会』に参加させて頂きました。永年にわたり、地域の皆様がボランティアで毎月最終日曜日に沿道の花水木の周辺を約1キロにわたり、きれいにして頂いております。こうした方々の支えがあり、歩道ももきれいになっていることに、大変感銘いたしました。参加させて頂き、誠にありがとうございました。

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北区 坂口勝也
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