市町議会議員合同研修会が福井県自治会館で開催されました。
「議会基本条例」を日本で最初に制定した北海道栗山町で、局長など議会事務局に14年間奉職してきた中尾修氏(早稲田大学マニフェスト研究所客員研究員)より講演がありました。「議会のあり方」について私自身の考えを確認し整理する機会になり大変参考になりました。
議会基本条例は、「議会とは?」「議員とは?」を、市民にも問いながら、議会で討議し、そのあり方を条例として定めていくものです。今、全国の地方議会で続々と制定されています。市長部局に対して緊張感のある『あるべき議会の姿』を目指すものです。
首長は住民と意見交換を行う場があります。福井市でも東村市長は「あじさいトーク」を型どおり行っています。しかし、議会はどうでしょうか。
実は「議会こそ民意を吸収する必要のある機関であり、市民に情報を提供し、様々な意見を住民から伺う機会を設けるべきである」という、この当たり前のことがなされていないのが現在の姿なのです。
例えば「西口再開発ビル」の問題では、市長に「市民の声を聞け」とは多くの議員から要求をしましたが、議会として市民の声を聞いていません。
いや、しっかり頑張っている議員もいるよとおっしゃる方もいるかもしれません。確かに、議員によって濃淡はありますが(全くしていない議員もあります)支援者の皆さんや団体に対して市政報告を行い、要望やご意見を伺う場合はあります。
私もこのホームページで活動報告として掲載していますが「議員と語る会」「地区壮年会での市政報告」「市政報告会」などの会合や、個々の市民からご意見を伺う機会が何回となくありました
ここでいう市民とは、オール市民であり、自分の支援者や団体だけを指しているのではありません。議会報告会、議会公聴会、出前議会といったもので、全市民を対象に参加していただく機会を持つことを言っています。
したがって、定例議会ごとに市長から示される様々な事業について、議会として市民の声を聞いているかと言うとそうではないのです。たとえば、「保育園の民営化」、「競輪場の包括的民営化」、「給食センターの民間委託」など市民に直接大きな影響を与える重要案件がこれまでにありました。さらに「西口再開発ビル」、「整備新幹線」、「えちぜん鉄道」、「総合交通戦略」など、議会全体で議会が主体となって市長から示された事業を市民に示し、その意見を聴取したことはありません。
議員は、選挙で選ばれ市民の負託を受けていると思っていますから、市民の代弁者として議員だけで論議すればよいと錯覚しているからです。
その考え方で進めると、関心のある一部の市民を除き、ほとんどの市民から議会は見えなくなり「議会が何をしているのかわからない」、「議会はなくてもいいのではないか」「議員は何をしているのか」といった声になってきます。
実例として、志木市では、市民プール廃止の議案が出たときに、議会は否決しましたが、直接市長が市民にアンケートなどの手法で意見を聴取したときに、8割が賛成という結果になりました。議会がいかに市民の声を聞いていないか、いかに議員が勝手な判断をしたか。「議会の判断=市民の声」ではない場合もあるということなのです。気をつけなければなりません。
残念ながら、現在の議会は「追認機関」と揶揄されても仕方がないものがあります。もっと卑下して極端に言えば「何もしなければ何もしないでも通る。」のが議会なのです。
さらに議員も、議会や用事があるときだけ市役所に行き、地域や団体などから出席要請される会合に出て、受身的に市民から受けた相談に対処して、それ以外は何もしないで4年間過ごしていくことも可能なのです。つまり、極端な話、地域や団体などの後援や支援が強ければ、能力がなくても誰でも議員ができるということになります。
これでは、いくら「2元代表制」と言い「議会の権限が低い」と叫べども、議会の権限はいつまでたってもあがりません。議会の権限を上げるためには、議会が市民と対話し、個々の議員が情報公開と意見聴取を行う機会を頻繁に持つことが必要なのです。その仕組みを作っていくのが「議会基本条例」制定なのです。
多くの市民の声が直接反映された議会であれば、市長部局も今まで以上に議会を尊重し警戒するでしょう。
しかし、全国の地方議会の中には、制定することだけが目的化し、何のために条例を制定するのか不明なエセ議会もあることは事実です。
条例制定までには、必ず市民を巻き込み、議員が嫌がる内容も盛り込ませるようにして、実効性のあるもにしなければなりません。そうでなければ、議員だけが自己満足する何の意味もない議会基本条例となります。
これまで、私はこのホームページの活動報告の中で述べてきましたが、議会を本来のあるべき姿に近づけるためには、議員自身が現在の議会のあり方が「おかしいのではないか」と気づき、行動に出ることなのです。これまで以上に時間を使い、頭を使い、手足を動かして、あるべき議員を目指さなければなりません。
なお、講師の中尾氏は、議会基本条例の第一条に是が非でも制定したかった以下の内容があったそうです。
「住民は、議会を注視し、議会が決定したことに責任を負わなければならない。」と、住民が議会と議員を監視し、住民が責任を持って議会を市の決定機関たらしめることが必要とのことでした。住民も責任の一端を感じていただかなくてはいけないと・・・。しかし、住民の責任を負わせることは法制化できないため幻になったそうです。
さらに、中尾氏は未だに議員の存在が、利益誘導や悪い意味での口利きを行うものと思って依頼している市民自身の意識改革が必要とも言っていました。
「議会の監視」もさることながら「議員の監視」が必要です。「どのような活動をしているのか。」議員は、もっと市民の皆さんから厳しい目が注がれるべき存在なのです。
現在は、財政豊かな時代ではありません。市民の皆さんに将来のツケ(負担)を回さないために、市民のためにこれまで実施してきた様々な事業や制度を、今後優先度をつけながら縮小していかなければなりません。補助金を交付していた団体から補助金を削減、停止していくこともあるでしょう。
すでに、その時代が来ています。なんでも行政が実施するのではなく、地域や市民の皆さんが自助、共助で行わなければならないことも出てくるのです。
その時に、「なぜなのか」「それでいいのか」を問うために議会が市民と対話しなければならないのです。これからの議員は「市民が抵抗したくなること」も財政との兼ね合いで、市民に理解していただくことが必要になってきます。
選挙民にいい顔をしたい議員ですが、真に市民のために、八方美人ではすまない判断をしないといけないのです。
議会のあり方が問われています。議会改革をしなければなりません。今のままでは、市民が期待する議会とは胸をはって言えません。