ブログバックナンバー
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福井市 西本恵一
nishimotokei@ybb.ne.jp
バックナンバー 2008年 8月

 平成19年度一般会計、特別会計、財産(基金)、地方財政健全化の監査、および先日現地調査を行った学校監査について協議を行いました。

 10月に決算委員会が開催されますが、それに先立ってまず私たち監査委員が数字に目を通し、問題点や課題を洗い出す作業です。

 事前に資料に目を通しておき、それから事務局の説明を受けるのですが、何よりも議員として日頃から様々な事業についてしっかりと勉強して問題点を把握しておかなければならないことを痛感しています。

 監査作業は、会計だけのチェックをするわけではありません。その数字の背景を知らないと監査業務に支障がでます。

 監査委員になってから、幾つかの本を購入して勉強していますが、さらに研鑽に励み市民の代表としての役割を果たしてまいります。

 午前中は、県庁道路保全課へ出向き、日之出地区内の要望をお願いし、その後は福井駅周辺区画整理事務所を尋ね、観音町で課題となっている踏切閉鎖と双方向通行の現状について協議してきました。

 午後から、公明党福井県本部主催の3回目の無料法律相談がありました。

 私の紹介の相談が2件。そのうちの1件は一緒に同席していたのですが、その内容を聞いているとやりきれなくなってきました。

 詳細は書けませんが、ちょっとしたことで詐欺にあい多額の財産をかすめ取られてしまった案件です。

 これまで議員になってから様々な相談を受けてきましたが、残念ながら、巧みに人を騙す大悪人が何人もいることがわかりました。

 安易にお金を儲けることができないのに、お金に関する甘い言葉には簡単に騙されてしまいます。どうか、甘い誘惑に対しては気をつけてください。

 夜、局地的豪雨(ゲリラ豪雨)がありました。

 すぐに、地区内をパトロールしましたが、県道は下水の能力が追いつかず側溝に水がたまり、高志高校交差点ではグラウンドの泥水が排水溝から噴水のように噴き出していました。

 グラウンド排水の問題ですが、来年度末に完成する貯留管および平成24年度完成の佐佳枝処理ポンプ場の建て替えにより少しは治まると思います。それにしても交差点にたまった水が走ってくる自動車により飛沫となって降りかかってくるのには困りました。

 土砂降りというよりもバケツをひっくり返したような雨。今年は6月や7月で集中豪雨があった年なので、10月は特に注意が必要です。

 お盆も終わり、下半期に向けて再始動です。

 今日は昼夜と会合に出席。全力疾走モードにギアチェンジです

 亡くなった父の兄(私の伯父)の法事があり、母と一緒に行ってきました。

 西本家の家系図が額につるされていたので、しみじみと見ていました。家系図は4代前からしかありませんが、西本家の出は織田信長家臣の血筋だそうです。

 私への家系だけでも、明治元年生の曽祖父の子供が8人、祖父の子供が9人、父の子供が5人、そして私たち兄弟5人の子供が10人です。

 たった一人の曽祖父から、何十何百という人が続いています。現在この家系から派生した親戚の住んでいる場は北海道、大阪(一番多い)、奈良、兵庫、福井、神奈川、東京などに及びます。当然ながらそれ以上前の世代にさかのぼれば、何千何万となるでしょう。

 近い血筋を除けば知らない人ばかりです。今度この家系図をコピーしてもらい、これらの人に会える機会を作ろうと思っています。

 久しぶりに、家族4人でエルパへ行き、映画(ハムナプトラ3)と買物(夕飯の食材)をした。

 4時間ぐらいの家族サービスでした。

 本日、戦後63回目の終戦記念日を迎え、「不戦への誓い」「平和への誓い」を新たにする意義を込めて、西武前で街頭演説を行いました。

 昭和20年8月6日と9日に広島と長崎に原爆が投下され、約30万人以上の方々が犠牲になり、終戦を迎えました。いわゆる太平洋戦争によって、国内においては約310万人、アジア諸国においては1500万人とも2000万人とも云われる膨大な犠牲者を見たのです。

 残念ながら、悲惨な第2次世界大戦から63年が経った今日も、いまだに世界には私達が望むような平和は訪れておりません。むしろ、北朝鮮やイランなど、緊張は増すばかりです。しかし、私たちはこうした現実を直視しながらも、平和への希望は決して失わず、平和構築への前進を誓い合う日として、本日の終戦記念日を意義付け、新たに決意する日としたいと思います。

 わが日本国憲法には、軍国主義と決別し、平和国家として出発した戦後の日本の初心がうたわれています。二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。それが焦土の中から立ち上がった日本国民の決意でした。幾百万の尊い生命であがなわれた憲法の恒久平和主義をどこまでも追求し、世界に向けて平和を発信していくべき日本の使命は、誠に重いと言わなければなりません。

 平和を創出するためにはどうしたらいいのでしょうか。公明党は、国家の安全だけでなく、世界中のすべての人びとがテロ、貧困、飢餓、紛争、感染症などの構造的暴力から解放される「人間の安全保障」の確立こそ、「平和と人道の21世紀」を構築するための基本であると考えています。

 そのためには、特にPKO(国連平和維持活動)やODA(政府開発援助)の戦略的活用、NGO(非政府組織)への支援などを組み合わせた平和創出システムの構築など、ソフトパワー重視の平和貢献に取り組んでまいります。大事なのは、平和創出のために何をなすか、どう行動するかです。

 これまで公明党は、こうした平和創出の取組みを粘り強く実践してまいりました。1997年の対人地雷禁止条約(オタワ条約)では当時の小渕恵三外相の決断を促し、条約署名を実現。その後の条約批准、さらには対人地雷除去への支援などを積極的に進めました。

 さらに、本年5月30日、アイルランド・ダブリンで行われた国際会議において、クラスター弾を全面禁止する条約に日本が同意した事も、公明党の取り組みで福田総理が決断したものです。総理の決断を促した公明党の戦いについて、新聞、テレビ等で取り上げられ、識者からも高い評価をいただきました。

 これからもわが国が国際平和協力の拡充にさらにリーダーシップを発揮していく必要があります。公明党は、平和のための行動に徹し、世界の平和と安全、人類の繁栄に貢献できる日本の国づくりに全力を尽くす決意です。公明党に対するご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

 妻の両親の墓参に、敦賀へ。

 妻と子どもは朝から行って明日帰りますが、私は通夜があるので昼に福井を出て、墓参してすぐに帰ってきました。

 中学1年生の息子が、朝1000円ほしいと言ってきた。

 東山プールへ友達と行くという。小学生時代は一人で地区外を出ることはほとんどなかったけれども、中学生になったとたん、どこへでも行き出すようになった。

 そういえば、私も、中学生になってから友人と福井駅前に出かけたり映画を見に行ったりしたものだ。

 長男が18歳で県外に行くと仮定すると、後6年もないうちに一緒に生活しなくなるかもしれない。そう思うと早いものだと思う。

 5人兄弟であった私も18歳で県外に出て大学卒業後、一度福井に戻ったが、1年して神奈川県へ転勤。2年を経て教員を目指すために福井へ戻ったが、その間兄弟5人が一緒に暮らすことはなかった。

 今は、妹二人が市外に、弟二人が県外にいる。全員がそろうのは、父の法事ぐらいか。

 そう思う時、一緒に暮らす今をもっと大切にしないといけない。(反省すべき点が頭をよぎる。)

 TBS系で夜中に放送している山田太郎物語というのを見ました。大変バカバカしいドラマです。それでも笑えるし、泣けてくるのです。それは、決して他人事ではない生活を描いていたからです。

 番組の設定は母一人と兄弟7人が仲良くあばらやで暮らしており、長男がアルバイトをして生活を支えているのですが、この番組を見ていて自分の幼少時代を思い出してきたのです。

 私は5人兄弟の長男で、中学1年生まで父の会社の社宅(6畳2部屋)に住んでいました。兄弟が増えた頃、社宅の庭に父が簡単な部屋を自分(日曜大工)で一つ増築しましたが、その部屋は隙間がありとても住めるようなものではありませんでした。それでも物を置くには助かっていました。

 しばらくして社宅の隣が空いたので、そこも借りて両家の壁を壊して行き来ができるようにして、私たちの部屋を作ってくれましたが、その隣の家で寝るのが怖くて、結局親兄弟7人が6畳2間で寝ていました。

 食事も、決してぜいたくなものではありませんでした。おかずは一品であることも少なくなく、時には梅干しだけ、または竹輪やソーセージを細かく刻んでそれを分け合って食べていた日もあります。外食は年に1回か2回。福井駅ステーションのレストランでお子様ランチやラーメンを食べるのが楽しみでした。

 おこずかいもなかったし、ほしいものもなかなか買ってくれかなったけれども、、両親は子どもの成長の糧になるものについては惜しみなくお金を使っていました。

 たとえば、本(世界文学集や徳川家康全26巻山岡壮八著、図鑑)、ピアノ、習字やそろばん塾など。
 
 今、あの頃を振り返ると、一生懸命私たち子どもを育てていた親の姿が浮かんできます。決して豊かではなかったけれども、楽しかったように思います。

 節約して、我慢して、工夫して暮らしていたあの頃。

 それをこの番組を通して、思い起こしていました。