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福井市 西本恵一
nishimotokei@ybb.ne.jp
バックナンバー 2008年 3月 22日

 大学に入った目的は、教師になることでした。

 得意であった理科。特に化学は大学の2次試験の結果を自己採点したところ、200点満点で196点でした。数学も得意で400点満点で350点位だったと思います。

 とにかく英語だけは苦手で、2次試験に英語がないところを探したら、富山大学だったというわけです

 今から考えれば何のポリシーもない選択だったと思います。

 大学に入るなり、いきなり劣等生で、一般教養を学ぶ1年半の間は、みんなの5分の1くらいしか学校に行っていません。
 ただし、クラスで何か催しものがあると中心者となり皆を牽引していましたし、クラスコンパ(飲み会)などでは常に幹事役を引き受けていました。2年生の時には、2・3・4年の化学科3学年合同コンパをしましたが、これも私が幹事でした。

 2年生の夏休みが終わると、一般教養から専門に移行する最後のテストがあるのですが、必要な単位を全てとらないと落第してしまうので、テストの1ヵ月前からクラスメートに頼んでノートをコピーしまくり、この期間だけは、朝から晩まで必死になって勉強しました。

 テストが終わりしばらくすると、専門移行者一覧の紙が大学掲示板に張られました。私の名前が燦然と輝いていました。その時にクラスメートの皆から「なぜお前が落第しないのか。不思議だ。おかしい。」と言われました。

 高校化学が得意だったので化学科に入ったのですが、ほとんど興味も失せており、そのために勉強に対しての真剣さはなく、実験では皆が一生懸命やっている中で、一人違うことをやってることもあり、そのせいで薬品やなんやらで誰よりも白衣を汚し、その汚れが勲章だと思っていました。

 たとえば、アルコールを床に細く長く部屋の端から端まで垂らしていき、その先端から火をつけて導火線のように火が這っていくのを、皆が実験している最中でやっていました(その前にしっかり消化器の場所は目で確認していました。)
 アルコールは揮発し空中で燃えるので、大丈夫だろうと確信を持ってやったのですが、床のワックスが燃えた部分だけ細長く剥げており、喜色満面の顔とは裏腹に、心では「ああ、よかった」と一人安堵していました。

 そのうちに、教師になる夢もどうでもよくなっていきました。

 いつも重役出勤で、講義はほとんど欠席、実験だけはレポートを提出しないと単位が認定されないので出席しましたが、その実験も2人1組で行う場合には、相手に任せて私は少し手伝うだけでした。

 ただし、好奇心旺盛な私は、何か解きほぐされるような面白い実験になると、その時には目をランランとして取り組みました。また、実験器具を作るために、ガラス細工を行うのですが、これも面白くて、赤く焼けたガラスで手に火傷を幾つも作りながら、ついでにアヒルなども作って女の子にプレゼントしていました。

 とにかく、化学以外の本はよく読み、社会勉強も誰よりも挑戦したような気がしますが、学校の勉強に対しては不真面目でした。それでも一夜漬けが功を奏し、3年生の終わりには卒業論文以外の単位はすべて取得し、無事4年生になりました。

 今から、振り返れば学部の選択ミスでした。もし、当時に戻れるのならば、経済学部か経営学部を選んだでしょう。

 ただし、化学をやっていて良かった点はあります。それは、原子や素粒子といったミクロの分野から宇宙といったマクロな分野までを、理論的に学ぶ機会を得ることができたのですから。テストのためとはいえ、少しは勉強したのです。

 しかし、中学校と高校の理科の教師になるための単位を取得できなかったため、卒業してから大変後悔しました。
 社会人になってから、再度教師を目指すことにしたからです。