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福井市 西本恵一
nishimotokei@ybb.ne.jp
バックナンバー 2008年 2月

 今日は、
  
8時半 教育部の各案件
 10時   予算説明会
 11時   全員協議会
        ・各広域組合や公社の予算説明
        ・市長マニフェスト
        ・生活習慣病予防の健診説明
 15時   福祉保健部の各案件
 16時半 農政企画課から食育推進の説明

 と昼休みを除いて、頭をフル回転しなければならない1日でした。昼休みには、新聞を読んでいました。

 理事者からの説明内容は市民生活に直結することばかりなので、聞き洩らさないように真剣に聞き、その都度質問を投げかけていました。さすがに帰る頃には疲れてしまいました。

 現在18時ですが、元気回復です。いよいよ原稿作成が佳境に入りますので、今日はここまで。

 県都活性化対策特別委員会において、JR福井駅西口再開発および西口広場、JR高架下の利用、AOSSA利用などについて、各委員から理事者(市長や市の職員)に対して活発な意見や苦言が飛び交いました。

 最初に、JR福井駅西口再開発について今後のスケジュールが示されました。地権者の同意に手間取り、都市計画決定が1年間遅れたため、平成24年度末に完成予定です。
 中心市街地に人の賑わいが戻り、活性化が図られるために、これから慎重な計画と協議が必要です。決してAOSSAの二の舞にならないようにしなければなりません。

 なお、西口広場は、今春から北側(トイレのある方)より工事を着手し、平成23年度末に完成する予定です(4年もかかります)。

 次に、JR高架下のコンセプトが示されました。これまでにも何回も説明がありましたが、そのたびに内容が変わっています。今回も新しい図が配られましたが、なかなか信用できません。
 
 『福井駅北側高架下の3つのブロックに設置する施設をどうするか』

 今回の図面には、商業施設、駐輪場、就労支援施設(障害者)、テナント、多目的広場などが書き込まれていました。商業施設については今後ニーズなどを調査して変更もありうるとのことです。

 またしても、青写真が変わるような気がしてなりません。このスペースは、JRとの契約で行政(県との協議で福井市)が管理運営することになっており、3つのブロックで年間2千万円以上の賃借料をJRに支払っているのです。とにかく、市民や県外からのお客様にとってベストな企画を立てて、早く進めるべきです。

 次の案件のAOSSAについては呆れてしまいました。1階から3階の空きテナントについて、先日全部埋まると報道されていましたので、私が「間違いないか」と尋ねたところ、まだ契約に至っておらず、確実なものではないとの返答です。

 いったいこのAOSSAを管理している会社は、何をマスコミに伝えているのでしょうか。

 昨年4月のグランドオープン時には2階が閉鎖されたままでした。しかたがないので7月に2階をオープンするとの予定も、結局9月まで延長し、そして今回はまだ確定ではない情報をたれ流しています。不信感を抱かせるようなことは慎んでほしいと願うものです。

 ただし、桜木図書館や県民ホールなどの公共施設は予想以上に来館されており、賑わい創出の担い手となっているようです。ぜひ商業施設にも、魅力ある、行きたくなるようなテナントを誘致してほしいものです。

 昨日の夜、日之出公民館で日之出地区自治会長会が開催されました。
 56の自治会の中で、前年度から引き続き自治会長を担っている方は4名とお聞きしました。

 昔みたいに地域の名士や顔役が何年も務めていた形から、現在は輪番制や選挙で自治会長を選び1年交代で担うことが多くなったようです。行政嘱託員や公民館協力員、防災会長などを兼務されることもあり、大変に御苦労をおかけしますが、自治会長を担うことにより公民館事業や地域の課題、支え合いの大切さについてより深く理解する機会になりますので、ぜひよろしくお願いいたします。

 なお、防災会長はできるだけ長く続けることで、防災知識も深くなり、地域の危険な場所や消火栓の場所、災害時の対処法なども知るようになっていきますので、自治会長とはなるべく分けて担当した方がいいように思います。

 ただし、自治会長は災害時に情報伝達や情報収集、ならびに災害被災者支援の中心的役割を担いますので、防災会長と同じように地域防災に対して深くかかわっていく必要があります。

 一番身近である市町村の財政が厳しくなればなるほど、地域の助け合い(共助)が重要になってきます。さらに、高齢者社会を突き進む日本の現状の中で、支えあうことが必要とされています。

 一方でマンションが増え、自治会に加入されない方も多いようです。ここ日之出地区でも3800世帯のうち1300世帯が未加入だそうです。街灯整備や公園清掃、ゴミ当番、子供会などは自治会が中心で行っており、道路や河川などの地域の安全・安心に関する課題も取り組んでいます。
 
 また、災害が起きた時に、自治会の加入か否かで差別することはできません。命を守ることは最優先です。しかし、どのような人が住んでいるのかを事前に把握していることや日頃から顔見知りになっていれば、より救助の手も早くなります。

 自治会に加入されていない方は、自治会に加入されている方の恩恵を間違いなく受けています。人は誰とも関わらないで生きていくことはできません。ぜひご理解いただいて自治会に加入してほしいものです。

 一昨日、結城市交流の後、他の議員と東京駅で別れて永田町に向かいました。

 午後から、内閣府と総務省のレクチャーを受けるためです。テーマは
 
 ・地方分権の推進(内閣府)
 ・地方行財政改革(総務省)
 
 です。

 平成12年4月に地方分権一括法が施行され、地方に権限や財源の移譲を行い、なるべく地方自治は地方の手で行うとの方針がなされました。

 しかしながら、省庁が権限を手放しなくなかったために、これまで仕事と責任が移譲されたものの、財源を伴わないという不均衡なものになり、本来の地方分権の姿にほど遠いものになっています。
 国の無策により大きな借金を作り、それを地方に押し付けて多くの市町村は疲弊しています。国の補助金やバラマキの体質をやめ、地方にできることは地方に任せ、権限と同時に財源も移譲すべきです。

 したがって、内閣府では、さらに地方分権を進めるために、平成22年3月を目途に「地方分権改革推進委員会」を立ち上げました。このほどその「中間的な取りまとめ」の概要について説明を受けてきた次第です。

 「地方政府」という言葉が盛り込まれていましたが、まさに目指すべき方向であると私も賛同しています。

 地方議会の在り方や地方交付税の課題など、幾つもの質問を投げかけました。あまり時間がなかったために十分な納得はできませんでしたが、いい機会を持てたと思っています。

 また、次の日は、農林水産省「いきいきふるさと大計画」、国土交通省「歴史まちづくり法案」のレクチャーを受けました。
 
 農林水産省からは、補助金ばらまきの説明でした。中には、農漁村にとって有効だと思われるものがありましたが、その場しのぎのものも少なくありません。
 本当に農漁業を守り、活性化することができる長期的な展望にたった施策が必要であり、さらに課題となっている自給率アップの強い支援策を打ち出すべきです。
 残念ながら、これではあまり変わらないとの印象だけが残りました。

 3月定例会は26日からですが、今回学んだことをベースに市民の目線で全力で取り組んでいきます。

 一昨日と昨日、福井市の姉妹都市である結城市へ、議長・副議長を含む議員8名で交流に行ってまいりました。
 
 結城市と福井市は、結城藩第18代であった結城秀康が福井藩初代藩主に転封になった縁から、平成14年4月に姉妹都市を締結しています。

 今回、姉妹都市締結5周年を迎えたことから、私たちが出向いて交流を深めることになったものです

 結城市は人口5万3千人弱、農家が2000戸あり、栃木県と県境の茨城県左端に位置します。東北新幹線の小山駅で下車し、そこからバスで向かいました。

 結城市役所に着くと、議長、副議長に表敬訪問した後、結城市の歴史について地元のNPOの方から約1時間半にわたって講義がありました(写真)。
 源頼朝の御家人から始まった結城家の18代秀康までの変遷について説明がありました。意外だったのは秀康が越前に転封すると同時に農民を残して他の全ての住民も越前に移ってしまい、結城家はここで代が終わってしまったことです。
 その後は、天保の改革で有名な水野忠邦の祖先である水野家の領地になったとのことでした。

 講義に引き続き結城市の名所や産業などの説明があった後、結城市長をはじめ副市長、市議会議員各派代表が出席した意見交歓会で、福井市・結城市のそれぞれの地域の特色を話し合い、有意義な時間を過ごすことができました。

 次の日には、結城百選に指定しているいくつかの場所を視察する傍ら、その間に白菜、ネギな、キャベツなどの農産物が盛んであるとのことから、白菜畑を視察し、農家の方から説明を受けました(写真)。

 小さな市ですが、歴史性と畑が混在する街並みと、おだやかで純朴な方たちとの交流ができ、実りあるものとなりました。
 これからも、人と人の交流を続けながら、歴史を尊び、それぞれの文化を学び、姉妹都市締結10周年に向けて、さらに結びつきを深くしてまいりたいと思います。

 毎年、4月になると各社新聞拡張員が学生アパートを訪ねてきます。新聞をとったら、もれなく洗濯粉などの生活必需品が景品としてついてきます。
 
 新聞をとる学生は少なくありません。これを見ている手はないと、私も新聞拡張員をしたことがあります。

 新入学生が引っ越ししてくる頃、アパートのドアをコンコンと叩きながら回ります。これは、たくさんの学生が新聞をとってくれました。1部の拡張で幾らの収入だったかは忘れてしまいましたが、懐(ふところ)が一時的にあったかくなったのを今でも覚えています(とは言っても数万円の話です)。

 おかげで、その時は朝昼晩と食事ができて、その内の1回は外食もでき、たま〜に、赤ちょうちん(おでんとお酒で1500円くらい)に行くこともできました。おかずのないマヨネーズご飯や塩かけご飯、50円のインスタントラーメンなどから考えればごちそうでした。

 しかし、これは4月いっぱいの話です。これ以上は、ほとんどの学生がなんらかの新聞をとってしまうので長続きするのものではありませんでした。

 富山には、日本テレビ系列のKNB(北日本放送)というテレビ局があります。福井で言えば、FBC(福井放送)が相当します。昔、ビバクイズという番組があり、この放送局がキー局で福井にも放映されていました。私も恥ずかしながら中学生の時に回答者で出たことがあります。

 私の担当は、報道カメラマンのアシスタントです。主な仕事内容は、夜のニュースに合わせて、カメラマンやアナウンサーの取材に同行することです。福井市役所にメディアが取材に来るのをよく見かけますが、同じように富山市役所や県庁などの様々な行政関連行事に出向いて行きました。また、ズームイン朝で紹介されているように、県内で活躍されている方々の家を訪ねたり、地域の催し物に行ったりと四方八方飛びまわっていました。

 ニュース取材では当然ながら事故のニュースもあります。夏の暑い日、小学生が溺死した海岸に行きました。警察や多くの人が捜索を続けている現場です。カメラマンがアナウンサーと現場を映し出し、私はカメラに繋がったテープレコーダーを担ぎながら、照明をアナウンサーにあてます。泣き叫ぶ両親が近くにいます。その中で、アナウンサーはその状況を報告しているのですが、本当に胸のつまる思いでした。

 また、カメラマンがすべて出払っていた時があり、報道副部長とともに2人だけで取材に行ったことが何回かありました。現場に着くなり「君はカメラを回せるか」と問われ、『え!』と思いましたが、とっさに「大丈夫だと思います」と応え、カメラのホワイト(白ともいう、光の)調整後、副部長が記者となって話しているところを私がカメラを回し、その模様がニュースに流れたこともありました。

 取材帰りには、行列のできるラーメン屋でごちそうしていただいたり(当時は、ラーメンでもごちそうだったんです)、社員と一緒に飲みに行ったりと、バイト時間外でも楽しいひと時を過ごすことができました。

 また、北陸女子ゴルフトーナメントが開催された時に、ある有望若手ゴルファーを、カメラマンアシスタントとして18ラウンドを重い機材をもって走り回り、その映像が11PMで放映されたこともあります。

 局には松田聖子みたいな、きれいなアナウンサーがいて(今でも顔が浮かんできますが)ほのかにあこがれていたことも良い思い出です。

 取材、編集、放送と報道の舞台裏を勉強できた大変貴重な体験でした。

 
  なぜ、大学へ行くのでしょうか。
  それは、机上の勉強だけではなく、人間と社会を学ぶために行くのです。
  私は、学生時代に教育学部の学生に言ったことがあります。

  「高校の延長で家と大学を往復し、
   机上の勉強だけで先生になってほしくない。
   もっと、いろいろなことを学ばないと、
   
ずっと優等生だったあなた達に、
   成績が良い子どもたち以外の児童や生徒の気持ちがわからないだろう。
   もっと、世の中を見てほしい。
   様々な人たちがいることを心からわかってほしい。」と。

 
 青年時代は、若いというだけで大きな宝を持っていて、幸せなのです。
 なんでもできるし、なんでも学べるし、可能性は無限大なのです。
 したがって、この貴重な時代を、遊び呆けてしまったり、
 机上の勉強だけで終わらせてしまうと損です。
 勇気をもって、さまざまなことに挑戦してほしいのです。
 たとえ、失敗の連続でも。
 すべてが血肉となって、きっと自分を大きくしていくでしょう。

 漫画『あしたのジョー』で紀ちゃんとの川辺での会話が印象的に残っています。

 紀ちゃんが、
 「同じ年頃の青年が海や山で青春を謳歌しているのに、
  矢吹くんはくる日もくる日もボクシングばかり」
 と言います。

 この問いに対して、ジョーは、
 「そこいらの連中みたいに、
  ブスブスと燻りながら不完全燃焼しているんじゃない。
  ほんの瞬間にせよ、眩しい程真っ赤に燃え上がるんだ。
  そして後には真っ白な灰だけが残る。
  燃えかすなんか残りやしない。真っ白な灰だけだ。」

 何か夢中になるものを見つけることが、どれだけ人生を充実させることができるか。

  私も、まずは目の前の課題に全力で取り組んでいきます。

 2月の今後の予定ですが、市政報告会が24日に、3月議会の一般質問通告締切が27日と、大きな節目があります。

 19日が予算説明会ですので、その後でなければどちらとも原稿が完成しません。今から枠組みを考えていきますが、今週から来週にかけては様々な行事が目白押しになっており、全く気が抜けません。まずはこの2週間が勝負です。

 この間、活動報告の文章が短くなると思いますがご了承ください。

学生時代に、約40種類のアルバイトを経験しました。この中で、特に思い出深いものについて、折に触れて紹介していきたいと思います。

 

第1回目は、タウン誌編集です。

 

福井には「ウララ」というタウン誌がありますが、こういったタウン誌が全国で発行され始めたのは、私の学生時代の前後くらいだったのではないかと思います。
 私の出身大学は富山市にあり、当時2つのタウン誌がありました。このうちの1つ「グッドラック」というタウン誌編集に携わっていました(現在も発行しています)。

 

 ある時、大学のアルバイト募集掲示板に「タウン誌編集バイト募集」のちらしが貼ってあり、『文学部か教育学部の方を求む』とありました。私の専攻は理系でしたが、編集という仕事に多少の自信と興味があったため、掲示板のちらしをはぎとり、早速会社に連絡をとりました。

 

 会社に行くと社長が面談に現れ、簡単な質問の後、私が文系でないことに眉間のしわを寄せながら、「どれだけできるかわからんが、まず3日だけ雇ってあげよう。その後については仕事ぶりを見て判断したい」と、厳しい応対でしたが、今から思えばとても寛容だったと思います。

 翌日から通うようになり、期限の3日が経ちました。社長は何も言いません。したがって、次の日も出勤し、そしてまた次の日も。

 その間、映画館巡りをし、新作映画の資料をもらいながら紹介記事を書き、テレビ局に行っては、ここでも目玉ドラマの資料を頂いて記事を書いていました。

 また、評論家の竹村健一氏が講演に来た時には、マスコミの一員として一人で取材し、使い慣れないカメラをふりまし、講演の内容を録音しつつポイントを頭に叩き込み、帰ってきて8ページ(だったと思います)にまとめました。
  竹村氏が講演の中で、ある2つの会社の株価が上昇した経緯に触れていたので、”本当かどうか”を知りたくて、自分で勝手にそれらの会社に電話をかけ、間違いないことを確認したこともあります。電話で応対した担当者は、竹村氏が自分の会社を紹介してくれたことを喜んでいました。

  とにかく毎日、取材や資料収集に黙々と歩き、帰ってきては懸命に記事作成に携わり、調査や依頼の電話をかけまくり、そのほかは寡黙に作業を行っていたことを思い出します。


 2週間経った時に社長から、「県選出の衆議院議員住栄作氏が法務大臣になったので、県内の著名な方にインタビューし、本を出版する企画を立てた。あなたも私と一緒に取材に同行しなさい」と次の仕事の指示がありました。


 社長の運転する車の助手席に座って何人かを回りましたが、中でも特に印象に残っているのは、北陸電力の社長を訪れた時です。インタビューが終わった後、私から、どうしても聞きたかった3つの質問をしました。

 「社長までなられたということはいろいろ経験されたことだと思います。これまで一番苦労されたことは何でしょうか。また、人は何のために生きるのでしょうか。さらに、今大学生に求めることがあるとすれば何でしょうか」。


 社長は少し怪訝な顔をしながら、

 「社会にはT型人間が求められています。広く浅く様々な知識を有していることと、さらに何か一つでよいから深いものを持っていることが大事です。Tという字の横棒が”広く浅く”、縦棒が”深く”ということを指しています。だから若い人にはT型人間を目指してほしい。」と、若い私に諭すように教えていただきました。


 お忙しい中、取材内容とは関係のない私の質問に、3つすべての質問への回答ではありませんでしたが、真摯に応えていただいたことに嬉しさが込み上げてきました。しかし、その一方で、不遜にも何を思ったかと言いますと『な〜んだ。そんなことか。T型なんて古い。今はπ(パイ)型人間(縦棒が2つあることから、深いものを2つ持つこと)が求められているんだ』と。

 今から思えば社会の厳しさも何も知らない、頭でっかちの馬鹿な自分であったと思いますが、今では良き思い出となっております。

 また、黒部市に本社のあったYKK会長を訪ねた時には、世界50カ国を回ったことについて喜々として語っておられたことが頭の片隅に残っています。他にも、県議会議事堂に一人で赴き、何人かの保守系県議会議員に原稿を依頼しまとめたこともありました。

 


 こういった仕事をしているうちに、ある時社長から呼ばれ、「大学を辞めて、うちの会社に来い」と誘われました。私は、即答を避け、帰ってから信頼できる先輩に相談し、数日後にその申し出を断りました。同時に、その申し訳なさからアルバイトも辞めてしまいました。


 

 ”自分の足で回り、私の書いた記事が印刷され、店頭で販売される”という、なかなか学生では経験できない貴重な体験をさせていただきました。
 取材同行も、社長一人で十分だったと思うのですが、私を育てようとした温かい思いだったと感じます。また、今から振り返れば、あの時の私の書いた文章は、どう考えても素人のものだったと汗顔のいたりであり、その私をじっと見守っていただいた社長に感謝しています。
 さらに、3日間という最初の就労条件が、最後は社員になれとまで言われたことは、大変嬉しいことであり自信にもなりました。



  大学は何のために行くのでしょうか?
  それは勉強しに行くんです。
  しかし、机上の勉強だけではいけません。
  
  社会に出るためのモラトリアム(猶予期間)です。
  社会人に比べれば、自由な時間が持てます。

  社会人になってからではできない様々な経験をすること。
  特に、若いうちに1流の人と会っておくことが自分を変えます。

  そして、よく思索し悩み、同時に行動することだと思います。
  
  アインシュタインが言いました。
  
教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に残っているものである。

 


 学校の勉強(化学)は、テスト前の一夜漬けばかりでしたので、残念ながら今では何も頭に残っていません。得意だった高校の化学でさえ、ほとんど忘れています。むしろ、こういった貴重なアルバイト経験が、今大変に役立っています。

 知的障害者は全国で約45万人と把握されています。しかし、この数字はIQ60以下に限定した人数であり、軽度知的障害者を含めると、120万人〜130万人と言われています。この人数からもわかるように、知的障害者だけで日本の人口の1%を占めます。

 しかし、私たちが通常生活する上で、知的障害者と触れ合う機会はほとんどゼロに等しいと言ってもよいのではないでしょうか。
 その理由は、知的障害者の社会参加が大変に厳しい状況にあり、就労率も極めて低いためです。仮に、就職しても職場に大きな理解がなければ長続きが厳しく、したがって悪い人に騙されて刑務所に行かざるを得ない状況になったり、悪環境の中での就労を余儀なくされたりするのが実情です。
 
 人は、生きることについてすべて平等です。
 人は、幸福になることについてすべて平等です。
 幸福の一つの意義として、生きがいのあることだと思います。
 すべての人が一人では生きることはできません。
 すべての人が、何らかの支援なしには生きられないのです。
 そして、社会が、人が大きくかかわっていかなければならない人がいます。

 一昨日に訪れたスペシャルオリンピックス事務局で、局長の話を聞くに従い、私は本来、気づくべきことに気がつかなければならないことを教えていただきました。
 「現状をまずは知ること」「支えあうことの大切さ」に、私も含めもっと多くの人が目を開いていかなければならないことを感じた一瞬でした。(写真は事務局で撮影)

 その支援の一つとして、心ある人たちが集まって、スペシャルオリンピックスという組織体となって、知的障害者の人生を応援しています。

 この団体について下記に掲載します。なお、詳細は同団体ホームページ(http://www.son.or.jp/)に掲載されていますのでぜひご覧ください。


スペシャルオリンピックスホームページより

スペシャルオリンピックスとは、

 知的発達障害のある人たちに様々なスポーツトレーニングとその成果の発表の場である競技会を、年間を通じ提供している国際的なスポーツ組織です。スペシャルオリンピックスは非営利活動で、運営はボランティアと善意の寄付によっておこなわれています。スペシャルオリンピックスでは、これらのスポーツ活動に参加する知的発達障害のある人たちをアスリートと呼んでいます。

スペシャルオリンピックスの使命

 スペシャルオリンピックスの使命は、知的発達障害のある人たちに年間を通じて、オリンピック競技種目に準じたさまざまなスポーツトレーニングと競技の場を提供し、参加したアスリートが健康を増進し、勇気をふるい、喜びを感じ、家族や他のアスリートそして地域の人々と、才能や技能そして友情を分かち合う機会を継続的に提供することである。

スペシャルオリンピックスの目指すもの
 
 アスリートの健康や体力増進、スキル向上だけでなく、多くの人との交流を通じて彼らの社会性を育むこと。
 適切な指導と励ましでアスリートが上達し、自立への意識を高め成長していくこと。
 活動に参加するボランティアがアスリートとの関りの中で多くのものを学んでいくこと。