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福井市 西本恵一
nishimotokei@ybb.ne.jp
バックナンバー 2008年 2月 10日

学生時代に、約40種類のアルバイトを経験しました。この中で、特に思い出深いものについて、折に触れて紹介していきたいと思います。

 

第1回目は、タウン誌編集です。

 

福井には「ウララ」というタウン誌がありますが、こういったタウン誌が全国で発行され始めたのは、私の学生時代の前後くらいだったのではないかと思います。
 私の出身大学は富山市にあり、当時2つのタウン誌がありました。このうちの1つ「グッドラック」というタウン誌編集に携わっていました(現在も発行しています)。

 

 ある時、大学のアルバイト募集掲示板に「タウン誌編集バイト募集」のちらしが貼ってあり、『文学部か教育学部の方を求む』とありました。私の専攻は理系でしたが、編集という仕事に多少の自信と興味があったため、掲示板のちらしをはぎとり、早速会社に連絡をとりました。

 

 会社に行くと社長が面談に現れ、簡単な質問の後、私が文系でないことに眉間のしわを寄せながら、「どれだけできるかわからんが、まず3日だけ雇ってあげよう。その後については仕事ぶりを見て判断したい」と、厳しい応対でしたが、今から思えばとても寛容だったと思います。

 翌日から通うようになり、期限の3日が経ちました。社長は何も言いません。したがって、次の日も出勤し、そしてまた次の日も。

 その間、映画館巡りをし、新作映画の資料をもらいながら紹介記事を書き、テレビ局に行っては、ここでも目玉ドラマの資料を頂いて記事を書いていました。

 また、評論家の竹村健一氏が講演に来た時には、マスコミの一員として一人で取材し、使い慣れないカメラをふりまし、講演の内容を録音しつつポイントを頭に叩き込み、帰ってきて8ページ(だったと思います)にまとめました。
  竹村氏が講演の中で、ある2つの会社の株価が上昇した経緯に触れていたので、”本当かどうか”を知りたくて、自分で勝手にそれらの会社に電話をかけ、間違いないことを確認したこともあります。電話で応対した担当者は、竹村氏が自分の会社を紹介してくれたことを喜んでいました。

  とにかく毎日、取材や資料収集に黙々と歩き、帰ってきては懸命に記事作成に携わり、調査や依頼の電話をかけまくり、そのほかは寡黙に作業を行っていたことを思い出します。


 2週間経った時に社長から、「県選出の衆議院議員住栄作氏が法務大臣になったので、県内の著名な方にインタビューし、本を出版する企画を立てた。あなたも私と一緒に取材に同行しなさい」と次の仕事の指示がありました。


 社長の運転する車の助手席に座って何人かを回りましたが、中でも特に印象に残っているのは、北陸電力の社長を訪れた時です。インタビューが終わった後、私から、どうしても聞きたかった3つの質問をしました。

 「社長までなられたということはいろいろ経験されたことだと思います。これまで一番苦労されたことは何でしょうか。また、人は何のために生きるのでしょうか。さらに、今大学生に求めることがあるとすれば何でしょうか」。


 社長は少し怪訝な顔をしながら、

 「社会にはT型人間が求められています。広く浅く様々な知識を有していることと、さらに何か一つでよいから深いものを持っていることが大事です。Tという字の横棒が”広く浅く”、縦棒が”深く”ということを指しています。だから若い人にはT型人間を目指してほしい。」と、若い私に諭すように教えていただきました。


 お忙しい中、取材内容とは関係のない私の質問に、3つすべての質問への回答ではありませんでしたが、真摯に応えていただいたことに嬉しさが込み上げてきました。しかし、その一方で、不遜にも何を思ったかと言いますと『な〜んだ。そんなことか。T型なんて古い。今はπ(パイ)型人間(縦棒が2つあることから、深いものを2つ持つこと)が求められているんだ』と。

 今から思えば社会の厳しさも何も知らない、頭でっかちの馬鹿な自分であったと思いますが、今では良き思い出となっております。

 また、黒部市に本社のあったYKK会長を訪ねた時には、世界50カ国を回ったことについて喜々として語っておられたことが頭の片隅に残っています。他にも、県議会議事堂に一人で赴き、何人かの保守系県議会議員に原稿を依頼しまとめたこともありました。

 


 こういった仕事をしているうちに、ある時社長から呼ばれ、「大学を辞めて、うちの会社に来い」と誘われました。私は、即答を避け、帰ってから信頼できる先輩に相談し、数日後にその申し出を断りました。同時に、その申し訳なさからアルバイトも辞めてしまいました。


 

 ”自分の足で回り、私の書いた記事が印刷され、店頭で販売される”という、なかなか学生では経験できない貴重な体験をさせていただきました。
 取材同行も、社長一人で十分だったと思うのですが、私を育てようとした温かい思いだったと感じます。また、今から振り返れば、あの時の私の書いた文章は、どう考えても素人のものだったと汗顔のいたりであり、その私をじっと見守っていただいた社長に感謝しています。
 さらに、3日間という最初の就労条件が、最後は社員になれとまで言われたことは、大変嬉しいことであり自信にもなりました。



  大学は何のために行くのでしょうか?
  それは勉強しに行くんです。
  しかし、机上の勉強だけではいけません。
  
  社会に出るためのモラトリアム(猶予期間)です。
  社会人に比べれば、自由な時間が持てます。

  社会人になってからではできない様々な経験をすること。
  特に、若いうちに1流の人と会っておくことが自分を変えます。

  そして、よく思索し悩み、同時に行動することだと思います。
  
  アインシュタインが言いました。
  
教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に残っているものである。

 


 学校の勉強(化学)は、テスト前の一夜漬けばかりでしたので、残念ながら今では何も頭に残っていません。得意だった高校の化学でさえ、ほとんど忘れています。むしろ、こういった貴重なアルバイト経験が、今大変に役立っています。