吉川英治の小説新平家物語16巻を読み切りました。これで2回目になります。10月は視察が多かったため移動する電車の中で読み始めたのですが、その後は寝る前に読み進み2か月かけて読了しました。
プロフィールでも紹介していますが、私は歴史小説が大好きです。私本太平記、太平洋戦争、明治維新の竜馬や晋作、徳川家康(これは26巻)、三国志、織田信長などなど吉川英治や山岡宗八、司馬遼太郎が織りなす文字上のドラマに引き込まれていきます。
特に、平家物語は随一であり、ここからは吉川英治という卓越した筆者のフィルターを通して権力や名誉、物欲を目的とする生き方への虚しさを教えられます。また、平清盛、木曾義仲、源義経、源頼朝、後白河法皇などの主人公とともに、麻鳥と蓬(よもぎ)というどこにでもいる夫婦が、長い時の流れの中で一貫して登場してきますが、この夫婦の描写を通じて本来の幸福とは何かを訴えかけてきます。
法華経には、何のために生きるのかの答えを「衆生所遊楽」と極めています。つまり、この世に生まれてきたのは楽しむために生まれてきたのだと。
しかし、これは刹那的な安楽をさしているのではありません。人間が生きる上では、様々な悩みや障壁は絶えなく現れるものであり、その悩みや障壁を乗り越えながら、つまりは大波をサーフィンで乗りこなすように楽しむことだととらえています。しかし、サーフィンにおいても大波であれ小波であれ乗りこなすには鍛練が必要です。だからこそ、へこたれない自分を創るしかないのです。したがって、自分を常に成長させていく努力の中にしか幸福も、満足のいく人生もないものだと思うのです。
しかしながら、水の流れは低いほうに向かうのが物理の法則、同様に人間も楽な生き方を求めてしまいます。惰性の生き方を排して、弱き自分と格闘するしかありません。平家物語のテーマでもありますが、利己的な生き方のもろさとつまらなさに早く気がついて、少しでも人の役に立ち人の幸せを心から願える自分を構築していくことこそ真の目的なのだろうと思うのです。
そう思いつつも自身を顧みると、残念ながらまだまだ未熟で、情けない、反省しなければならない自分を見つけてしまいます。アメリカの思想家エマソンいわく「さあ、これからだ」、そう自分を励まして、これからもがんばってまいります。