潮11月号に時事通信特別解説委員の田崎史郎氏が「公明党の存在感とは」と題して寄稿しています。かなり的を得ている話ですので以下転載します。
私は学生時代、全共闘運動に邁進した過去がある。あの当時を振り返ってしみじみ思うことがある。 それは「権力の外側にいる限り、権力を変えることはできない」ということだ。権力の内部にいなければ、本質的には権力は変えられないのだ。これがかつて、権力の外側にいながら権力を変えようと夢見た私の教訓である。
この話を政治の世界に当てはめるならば、与党にいるからこ政治は変えられる。有権者の目には、野党の議員が与党を厳しく追及している様子は華々しく映るかもしれない。だが「批判のための批判」に終始する野合勢力では、最終的に政治を変えることはできないだろう。
そうした意味からも、政権内部における公明党の役割はますます大きくなっている。閣僚が問題発言を口にしたり不祥事を起こしたりしたとき、私たちジャーナリストが注目するのは「公明党はどういう意見を言うか」という点だ。それほどまでに公明党の存在感は増している。
政権内部にプレイヤーとして身を置きながら、自民党を中心とした政権運営を日々厳しくチェックする。この難しい仕事は、「与党内野党」公明党にしかできない。自民党内において、タカ派・ハト派といった派閥の影響力が弱まってしまった今、政権与党のチェック役を果たすのは公明党の大切な使命だ。
さらに、平和主義に基づく民衆勢力である創価学会を支持基盤にもつ公明党は、与党内にいながら中道政党としてのアイデンティティーがいささかも揺らぐことはない。自民党が右側に振れすぎたときには、中道政党・公明党が自民党を揺りもどしている。 自民党と公明党がお互いの良さを失わず、時に意見をぶつけあいながらも合意形成を図っていく。混じりあわないことがプラスに働き、今の政治に安定をもたらしているように思う。