終戦記念日 街頭からごあいさつ
新病院の建設工事、盆明けから始まる模様です。
お盆の最中ですが、病院建設地の近隣の方と懇談して来ました。
工事中の騒音振動、汚水の処理、病院への進入路と幹線道路との円滑な接続など課題がたくさんあります。
地元要望は、自治会長さんが窓口となり、病院側にわたっておりますが、病院側が直接対応できない課題なので、実現に向け、しっかり調整する必要があります。
市にとって重要な病院ですので、関係者とも協議していきます。
こちらの写真は、中和幹線の穴虫西交差点付近の拡幅に関して相談がありましたので、県に相談して交通調査をしてもらう場所です。
現在、暫定的に一車線となっていますが、朝方、交通量が多く、右折車が集中して渋滞するため、その解消に向けて左折車線を確保するように要請しております。
病院のアクセスでもあり、二車線への拡幅と信号設置なども含めて、今後は複合的な協議が必要ですので、地元のご意見を伺って、適切な道路構造になりますように県に検討していただく必要があります。

広島の原爆の日に街頭からご挨拶
暑い日が続いております。
今日は、8月6日。広島に原爆が落とされて70年目を迎えた日です。
犠牲になられました方々に哀悼の意を表します。
広島と長崎の原爆で、約21万人の方が犠牲になられたと言われています。
被爆者の健康手帳をお持ちの方は、ピーク時では約37万2000人いらっしゃいましたが、今では半分を下回り18万4000人程度まで減少しているそうです。
平均寿命は、手帳を交付して以来はじめて80歳台を越えたということです。
近年、核軍縮の流れが滞っております。
今春開かれた核拡散防止条約再検討会議では、議長の最終文書案を採択できませんでした。
核兵器は、世界に1万6000発もあると言われ、主にアメリカとロシアが保有していますが、昨今のウクライナ情勢の対立などで削減が進んでいない状況です。
被爆国の日本が声をあげて、軍縮会議の開催や国際的な取り組みを進める必要があります。
今月、広島で国連軍縮会議が開かれ、11月には、核兵器と戦争の廃絶を目指す科学者らの国際組織「パグウォッシュ会議」の世界大会が長崎で開かれます。
被爆地での開催誘致に公明党の提案が実現したものです。
核兵器のない世界の実現に向け
人間の安全保障を、一歩ずつ進めていきたいと考えております。
東北スタディツアーに参加しました。
毎年夏に東北の被災地に行くことを目標にしておりますが、今回は、知人のアドバイスもあり、避難区域の再編が行われている富岡町と楢葉町などを訪ねることにしました。
福島県いわき市は、沿岸部を中心に大きな被害が出ております。
いわき市は被災地の現状、体験や教訓を伝える「復興・防災プログラム提供事業」を実施しており、その中の「久之浜/北コース(浜風商店街ー道の駅よつくらー楢葉町天神岬ー富岡駅前ー道の駅ならはー久之浜被災地)」に参加させてもらいました。
福島県の避難区域の再編では、居住制限区域を避難指示解除準備区域へ再編したり、避難指示解除準備区域の避難指示を解除したりする地域があります。
私が参加したコースでは、いわき市から国道6号を北上するもので、楢葉町(全町的に2012年8月10日に警戒区域から避難指示解除準備区域に再編)から、富岡町の一部の居住制限区域を通過して富岡駅前で被災したまちと廃棄物の中間処理施設を見て、久之浜の被災地で語り部さんのお話を聴くというものでした。
(富岡町は、警戒区域で全町的に避難されていましたが、2013年3月25日に再編されて、一部は、帰還困難、居住制限、避難指示解除準備の3区域になっています。)
語り部の阿部さんのお話は、久之浜に震災40分後に、たたきつけるような津波が住宅を襲い、がれきとなり、内陸まで押し寄せていったとのことでした。震災時、いわき市北東部は、震度7相当の揺れがあったとのことで、津波により久之浜の海岸沿いの住宅地210戸が破壊され、55名が死亡されています。
高齢者など災害弱者の方は介助者とともに、ほとんど犠牲となっているとのことで、「災害弱者の方の避難をどうすればよいか考えて欲しい」とおっしゃっていました。
原発事故による双葉郡の住民を中心に約24000人が、いわき市に避難を余儀なくされているそうです。
震災から4年4か月経ちますが、人で不足などで、昨年から、ようやく、海岸沿いの防災緑地の造成が始まったばかりで、災害公営住宅の入居も今年2月までできなかったとのことです。
いわき市さんは、こうしたツアーを行うことで、被災地の実際を学んでもらって、風評被害を抑えて、観光の復活も期待されているとのことです。
除染が終わって、避難指示が解除される楢葉町も、生活基盤のスーパーなどは富岡町にあったとのことで、帰還後の生活環境に不安があるという説明がありました。
楢葉町も富岡町も(富岡町の一部は除染途中)ですが、国道沿には、廃棄物の大きな袋が積み上げられている状況で、富岡町駅の東側にある廃棄物の中間処理施設での処理後、中間貯蔵されますが、最終処分場がまだ決まっていません。
除染による廃棄物が増えていますが、知人の説明では、家の周囲20メートル以内を除染しているだけでは、帰還して生活するのは難しい指摘もあります。
警戒が厳しい第2原発の入口やJビレッジの入口も通過しました。
居住制限区域は、年間50ミリシーベルトまでで20ミリシーベルトを下らない地域で、立ち入りはできても住めず、除染中ですので、ほとんと震災時のままの風景が残っていました。
一方、楢葉町は避難指示解除準備区域ですので、昼間の立ち入りは可能ですので、車の出入りが見られました。
区域によって、復興の状況が異なります。帰還がひとつの方向ですが、賠償や支援のあり方には、今後も被災者の生活が成り立つことが重要だと思います。
国道6号沿いは作業をされる方の住まいとなるプレハブがあちこちに立ち、ガソリンスタンド、コンビニが品揃えもよく立地していました。











