私にとってのマイブーム・・・それは、歌舞伎です。
今月歌舞伎座がリニューアルオープンしたからではありません。
昨年、ある歌舞伎関係者から、「墨田区は歌舞伎とゆかりが深いのだから、まちおこしに活かしたら!」とご提案いただいたのがきっかけです。
すみだと歌舞伎? ン?? 疑問にしたままでは気が済まないたちですので、それから調査を始めました。
正直なところ資料があまり残っていないのが残念ですが、それでも少しずつわかってきました。明治期には浅草の猿若三座ならぬ両国三座があったそうですが、これは西両国すなわち台東区・中央区側にあった芝居小屋のことでした(そのうちの一つが今の明治座です)
江戸・明治期の庶民の楽しみは寄席と芝居・・・墨田区は浅草に負けぬほど寄席などもあったようですから、大衆演芸でにぎわっていた街だったんですね!
昭和30年代までに系統だった調査を実施していれば、もう少しすみだの文化史が明らかにできたのではないかと考えるととても残念です。
歌舞伎とのつながりでは、小芝居を上演していた「寿座(寿劇場)」があります。
今では、緑2丁目の一角に、記念の史跡があるのみです。
銘文には次のように書いてありました。
『 本所相生町(あいおいちょう)五丁目(現緑一丁目)にあった歌舞伎劇場寿座は、明治二五年廃絶したが、廃絶を惜しむ声に支えられ、明治三一年、この地に座名を引き継ぎ歌舞伎小芝居(こしばい)劇場として開座した。幾多の名優の芸の修行場や庶民の楽しみの場となっていたが、惜しくも昭和二〇年二月閉座、同年三月一〇日戦災により焼失し、その幕を閉じた。
昭和六十一年三月 墨田区 』
芥川龍之介の「本所両国」に出てきますし、三島由紀夫も何度か芝居を観に行った記録が残っています。
ファミリーレストランの一角にあるのですが、往時のにぎわいをしのぶことができないほど、ひっそりとしていました。
寿座そのものの写真が一枚しか残っておらず残念です。昭和に入ってからは、映画にとって代わられた面もあり衰退したようですが、戦災とともに焼失してしまった結果、人々の記憶からも、まちの記憶からも忘れ去られてしまいました。
しかし、寿座で演じていた坂東竹若さんなどが中心となり戦後「かたばみ座」という劇団を立ち上げ、浅草松屋内にあった「すみだ劇場」で小芝居を続けていたことが分かりました。
さらに、この「かたばみ座」が昭和36年まで継続され、日本で最後まで小芝居を上演していた最後の劇団であったことも分かりました。
現在、全国で200以上の地芝居、農村歌舞伎など伝統芸能を守るための活動は行われていますが、プロとして上演しているものとしては「かたばみ座」が最後のようです。
こうした歴史がわかると、なんとか墨田区において小芝居を復活できないかなと考えるようになってきました。
伝統文化の普及や人材育成に取り組もうと思い、特にこどもたちに歌舞伎に接してもらいたいなと考えネットで「こども歌舞伎」と検索したら、全国でさまざまな取り組みをしていることが分かりました。
そのうちの一つが3月30日のブログで書いた「こども・若草歌舞伎」です。
こうした他の自治体の事例も参考にして、すみだで実現できたらなと、真剣に考えているところです。
また、進展したら報告させていただきます。
PHP研究所主催のセミナー「公共施設マネジメントへの指針」を受講してきました。
インフラや公共施設の老朽化が社会問題となっている中、墨田区においても更新時期を迎えている施設が増えています。補修・改修か更新のどちらで対応するのか、定まっていない施設も多く、また明確な基準があるわけでもありません。
こうした背景のもと、すべての公共施設を洗い出す公共施設白書を作成し、マネジメントの手法を導入しようと取り組み始めたところですが、白書を作成済みの先行自治体では、その後の施設の機能集約・統合やステークホルダーとの合意形成などが進まず、苦慮しているのが実態のようです。
今日のセミナーは、すべての自治体が抱えているといわれる公共施設のオーバースペックに対する、財源対策も含めた中長期的な解決への道筋について 、今回から3回のシリーズで学ぼうとするものです。
第1回目の今日は、「補修か更新か~構築物の寿命とは何か」と題する早稲田大学の小松先生の講演を伺った後、質疑を行いました。
建物の耐用年数と寿命とは全く別のものであるということを、恥ずかしながら初めて知りました。
経済の拡大期に過剰に供給された施設の対応について、拡大期の意識が抜けていない現実も理解しました。
墨田区において間もなく公開される白書をどう活かしていくか、財政健全化の視点からとても重要なことなので、しっかりと監視していきたいと思います。
昨日、神奈川県大井町のふるさと農園四季の里「蜂花苑」に行ってきました。 親しくさせていただいている墨田区内の社長さんが30余年前にスタートした趣味の養蜂が、現在は約2万平方メートルの敷地に四季折々の花と菜園などで地域活性化と生活の潤いにつながる事業を行うまでに発展いたしました。 一面の菜の花畑:素晴らしい光景でした 事業の拡大に合わせ、昨年1月に農業法人を設立。耕作放棄地だった荒れた土地が整備され、生産・消費・雇用にわずかながらも貢献しているのですから、地元の大井町も大歓迎だったそうですが、以前、私から蜂蜜や野菜の収穫を障害者の雇用につなげられないかと申し上げたところ、現在大井町と協議中だそうで、さっそく行動に移してくれた社長さんに感謝です。 また、このたびある大手企業が蜂花苑さんの指導のもとで蜂蜜の自社ブランドを立ち上げたいとの話が持ちかけられたそうで、敷地内の一角に養蜂園をあらたに開設しました。 開設の式典に合わせご案内をいただいていたのですが、訪問が1週間ほどずれてしまいました。その分ゆったりと回れましたし、お話を聞かせていただくこともできました。 昨日までは奥に富士山がくっきり見えたそうです(T_T) 墨田区でも遊休地を高齢者や障害者の雇用拡大につなげるため、野菜の生産ができないか研究中なので、参考にさせていただきました。
現在墨田区議会は予算特別委員会の真っ最中。私は委員ではないので傍聴しているだけですが、白熱したとはいえないまでも熱心に議論が進んでいます。
なかでも注目していたのが、今年秋に着工される予定の北斎美術館。反対派の議員も多いので、データに基づいて区長を追い込むぐらいの厳しい追及がなされるかと予想していましたが、予想に反し、今のところあまり盛り上がっていません。
会派としてこれまで議論をし態度を決めてきたのですが、個人的としてもそれなりに北斎について学んできました。
そこで、一般的にあまり知られていないことを中心に、北斎に係ることを、今後少しずつ紹介していきたいと思います。
今回は北斎の晩年の弟子・本間北曜について紹介します。
本間北曜・・・本名は本間郡兵衛。庄内藩出身
「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」とうたわれるほど江戸時代の豪商、大地主・本間家の分家に生まれています。幼少より学問を好んだようですが、ちょっとやんちゃだったようで、養子に出されたものの養家とうまくいかず出奔。江戸に出ていた折、22歳で北斎の弟子となっています。すでに北斎は84歳。亡くなるまでの足かけ6年、北曜は青年期を北斎の弟子として過ごすこととなります。
北曜はこのころすでにオランダ語を学んでいたようで、弟子志願者を追い返していた北斎が晩年に北曜を正式な弟子として迎えたのは、北曜が蘭学の心得があったことが影響していると思われます。
この北曜、北斎の最晩年には、京都、長崎を旅し、また、同郷の後輩清河八郎や勝海舟などとの交流をはじめ、長崎にも行っています。のちに勝塾で蘭学講師を務めるなど、早くから開明的な思想の持ち主だったであろうことがうかがえます。
北斎が亡くなって4年後にペリーが来航したときは、誰から命令されるわけではなく浦賀に行き黒船をスケッチ。現在山形県酒田市の本間美術館にその絵が残っているとのことなので、いつか見に行こうと思っています。
その後ふたたび長崎に行き、フルベッキから英語を学んでいます。1862年には欧米や清を外遊。西洋諸国の発展を目の当たりにし、このままでは日本は外国資本にやられてしまうと危機感を抱いたんだと思います。このころ薩摩藩の招へいでジョン万次郎とともに薩摩の開成所の英語教師となっています。そのような中で、西郷隆盛や小松帯刀などとも交流を持ち、日本初の株式会社の設立を構想しました。坂本龍馬よりも早かったんですね。
故郷の本間家にこの「薩州商社」への参加を求めに帰郷しましたが、戊辰戦争の直前であったため薩摩藩のスパイと疑われ幽閉。その後毒殺されたといわれています。享年47歳。庄内藩は会津藩とともに奥羽越列藩同盟の中核だったんですね。
会津藩降伏後、庄内藩も降伏します。会津藩27万石に下された処置は、厳寒の陸奥斗南藩3万石に追いやられるという苛烈なものでした。対して同じ賊軍だった庄内藩は、石高を5万石削られたのみでした。
その理由は、庄内藩降伏後鶴岡城に入った西郷隆盛の寛大な処置によるものと伝わっています。庄内藩主酒井氏の西郷隆盛への感謝の念は大変なものがあったようです。その後も庄内の人々へ西郷隆盛に対する敬慕の情は伝わり、今では鶴岡市と鹿児島市は兄弟都市となっています。
私には、西郷隆盛の庄内藩に対する寛大な処置は、西郷より5歳年長の本間北陽(郡兵衛)の存在があったからではないかと思われてなりません。西郷と本間北曜は薩摩だけではなく京都・大坂でも行動を共にしています。いわば同士でもあり師でもあります。実際、「羽州荘内とくに酒田湊は本間北曜先生の生まれた土地だ。政府軍に勝ちに乗じた醜行があってはなりませんぞ」と西郷隆盛が黒田清隆に言ったと伝わっているそうです。
北曜(郡兵衛)の死は1968年7月。庄内藩降伏の2カ月前のことです。あとすこし北曜が生きながらえていたら、もっと歴史に名を残す大きな人物となっていたのではないかと考えると残念でなりません。そして、日本初の株式会社が設立されていたら酒田港が東北の交易の中心になっていたかもしれません。
北曜の死は北斎の死から19年後のことですが、西洋の知識を持ち、京都・大坂・長崎・薩摩・酒田と幕末の志士のように活動した原点は、青年時代の北斎との出会いにあったのではないかと私には思われてなりません。
北斎は最晩年89歳のときに、長崎に旅立つ北曜に対し「鬼図」という絵を贈っています。また入門したてのころに手本として「獅子の図」を与えています。北曜はそれらを生涯大切にしていたようです。特に「鬼図」には北斎の死から2年後に北曜の郷里の師・池田玄斎という人物が絵の左上に狂歌を書き込んでいます。それは、「世の中は虎狼もなのみにて 衣をきたるおにぞかしこき」というもの。絵をご覧いただけないのが残念ですが、北斎の思いを解釈したものと考えるのが自然でしょう。
残念ながら、この歌の意味を正確に解釈したものはいないようですが、ある程度推測は成り立ちます。歴史の上では定説ではありませんが、北曜のその後の行動を観れば、北斎が自らの考えを北曜に伝えていたといってよいのではないかと思います。
視察2日目は雪深い秋田県大仙市です。昨年1月に施行された「大仙市空き家等の適正管理に関する条例」の制定理由・経緯について調査してまいりました。
豪雪対策で忙しい中でしたが、議会事務局をはじめ担当部署の総合防災課の方々には快く視察を受け入れてくださり感謝しています。
【背景・目的】 近年、急増する空き家の老朽化は都市部・地方都市を問わず全国で大きな社会問題となっています。墨田区においても木造住宅が密集している地域を中心に数年前から防災・防犯の上から大きな問題であると認識していました。これまで会派として課題解決のため、平成22年の第3回定例会で空き家の危険性を指摘し抜本対策の必要性を問題提起。また、昨年の第1回定例会の代表質問で条例の制定を区長に求め、区長から検討する旨の答弁を引き出しました。この間、区議会としても課題意識が共有化され、昨年より条例制定を検討する委員会が設置され、今年の6月の第2回定例会に提出される予定となりました。
こうした背景のもと、墨田区が制定する予定の条例では、行政代執行の条文を入れる予定であることから、唯一、代執行の実績がある大仙市の事例を研究させていただき、要件や手続きなどについて学んでまいりました。
【内容】
①条例制定の背景・経緯について
②本条例の位置づけ
(民事による解決、法令に基づく解決が不可能なものを対象に条例で位置づけ)
③市、市民、地域活動団体、所有者等の役割
④条例の効果
⑤空き家等に関する危険排除フロー図
【参考資料】
①町内会長等へのアンケートおよび集計
②条例制定までのスケジュール
③空き家管理システム
④空き家の危険度判定調査票及び建物の不良半程度の運用についてと不良度判定報告書
⑤行政代執行処理手順およびスケジュール
⑥最近の新聞記事等
⑦昨年1年間の処理項目別実績表
【主な質疑】
Q1、所有者が判明しない空き家についてはどうするのか?
A1、所有者が行方不明、所有者が判明しない物件については、地域住民に大きな影響が懸念される場合のみ囲い込みなど緊急対応をするが、引き続き所有者を徹底調査する。(昨年の事例では、未登記の物件で周辺住民に過去にどんな方が住んでいたか聞き込みをして結果として所有者が判明した例がある)
Q2、昨年の実績で補助金(最大50万円)を活用した解体が11件、自主解体が67件。補助金を活用しない理由は?
A2、補助金の交付には所得・資産に制限があり、対象者のほうが少ない。補助金はあくまで低所得者対策として有効ではあるものの、条例そのもの自体の効果が大きいと認識している。秋田県内の同種の条例を施行している他の自治体の実績をみても条例施行後空き家の除却が大きく進んでいる。
Q3、立ち入り調査の規定があるが(立ち入り調査の条文がない自治体もけっこうあります)、その要件は?
A3、条例の施行に必要な限度において立ち入り調査ができる、いわゆる「できる規定」としている。担当職員が身分証を携帯し所有者または所有者に代わるものの立会いのもと実施している。危険度の判定には必要と考える。
Q4、行政代執行の判断は市長協議となっているが、識者や弁護士などが入っているのか?
A4、入っていない。市長を中心に担当の部課長で協議して判断している(平成17年の合併で特定行政庁になったことで10人規模の建築主事がいて、立ち入り調査や危険度判定なども含め外部に委託せず有資格の職員で対応しているそうです)。実態調査、立ち入り調査を経て危険度判定を行い危険度が高いと判定されたものについてその後の措置を検討。勧告や措置命令、場合によっては公表などの手続きを経て戒告、区長協議を行い代執行という丁寧な手順を踏んでいる。(現在までの実績1件、今後の予定2件)
Q5、空き家台帳を作成する上で固定資産台帳からの情報が必須と思うがどうしているのか?
A5、市の固定資産台帳から目的外使用で情報を入手している。東京都の場合固定資産台帳は都が管理しているので、すでに条例を制定している足立区は「空き家で危険な物件」については固定資産情報を提供するよう東京都に申請していると聞いている。
Q6、空き家管理システムは独自に開発したのか?開発経費は?またその効果は?
A6、税務課の路線価システムを活用して空き家管理システムができないか市内業者に提案し、発注した。開発費は260万円。このシステムのおかげで1400件強の空き家の管理がスムーズかつ効果的にすすんだ(2か月で完了)。地図情報に加え写真情報もあり効果的だと考えている。
Q7、建物に抵当権が設定されている場合、除却がスムーズにいったのか?
A7、今までの事例で土地と建物の所有者が別という例はない。そのため、建物を除却した場合のほうが土地の有効活用が可能になることから、建物の抵当権設定権者からのクレームはない。
【所感】
空き家が街をむしばんでいる深刻な実態を考えると「空き家等の適正管理に関する条例は」対策として最も有効であると考えます。本来は所有者の責任で自主的に解体することが前提であるとして、所有者への動機づけに重きを置く条例が多いのですが、最終的に行政代執行を盛り込む必要性はあるでしょう。墨田区の検討会でもそこまで踏み込んで検討されているそうですが、その前提として内部に入っての立ち入り調査に基づく危険度判定は当然必要であると考えます。こうしたことも今後の検討会で議論されることを望みます。
また、墨田区における空き家の課題は、大仙市など地方都市と異なり、
①土地・建物の所有者が異なるなど権利関係が複雑
②土地をめぐる優遇税制の弊害(土地にかかる固定資産税が200平方メートル未満の場合、住宅を建てると6分の1に軽減される→解体して更地にすると土地の固定資産税が6倍になる)。大仙市でも同様の優遇税制はありますが、増額が都市部と比べ小さいので影響はあまりない
③建築基準法の道路条件を満たしていない道に接している空き家が多い(路地が多いということです)→解体しても新たな建物を建てることができないので売却も難しい
④所有者に低所得者が多く資金を捻出できない
などの特性があります。先行して都内で条例を制定した足立区でも上記のような課題があり、思ったほど空き家の除却が進んでいないそうです。
大仙市の補助金は国の過疎地対策としての補助金を活用しているので墨田区は利用できませんし、固定資産税の優遇税制は区としてどうしようもありません。とりわけ優遇税制に関しては、危険な空き家を税金で温存していることと同じですからこれほど矛盾していることはありません。
こうした点もふまえ、ネットワーク政党の強みも活かし、必要であれば国や都に働きかけていこうと思います。
全国の先行事例をみますと、大きく分けて、防災・防犯の観点から、あるいは空き家を活用したまちづくりの観点から、景観の維持保全という観点から空き家等の対策に係る条例を制定していますが、墨田区においては、喫緊の課題として防災・防犯の観点からということになります。そのうえで中長期的にはまちづくりという視点での空き家の活用も視野に入れた取り組みが求められることになると思われます。また、空き家だけではなく空き地も含め空き家等としている自治体もあります。こうした点も含め、墨田区に最も効果的な条例となるようしっかりと取り組んでまいります。
15日~16日の1泊2日で仙台市と秋田県大仙市に視察に行ってきましたので報告いたします。
初日は仙台市内の障がい者支援のNPOほっぷの森が運営するレストラン「長町遊楽庵 びすた~り」を訪問し、理事長の白木さんからさまざまな取り組みについてお話をお聞きしました。
最も参考にしたかったことは「ぷれジョブ」の取り組みです。
ぷれジョブとは、障がいのあるこどもたちが自分の生まれた地域で、地域の構成メンバーとして大切にされいきいきと暮らしていけるようにする取り組みで、具体的には小学校5年生から高校3年までの8年間にわたり、1週間に1時間、1企業6ヶ月間の職場体験と月1回の定例会を通し、こどもの可能性を引き出していくものです。
さまざまな体験を通し障がいをもったこどもたちが喜びを感じるとともに大きく成長していく姿は家族だけではなく、地域の方々にとっても感動を与えることとなります。
詳細は、全国ぷれジョブ連絡協議会のホームページを参照していただければと思いますが、2003年に岡山県倉敷市で始まった「ぷれジョブ」は現在20都道府県に拡大しています。
昨年8月に「全国ぷれジョブ」連絡協議会」が設立されましたが、設立総会の会場が今回訪問させていただいた「びすた~り」だったことから以前より訪問させていただきたいと思っていたことがこのたび実現いたしました。
仙台においてはぷれジョブはまだ準備段階とのこと。単純に職場体験を行うだけではなく、8年かけてこどもを守り育てるという手間のかかる作業となります。特別支援教育に係る教員や教育委員会の支援だけではなく、ジョブサポーターや受け入れ側の事業者の協力などが重要な要素になります。特にジョブサポーターのスキルが大切だそうですので、人材の育成も含め周到に準備してから始めていきたいとのことでした。
昨年の決算特別委員会で取り上げ、現在教育委員会に研究してもらっていますが、墨田区でもぜひ実現したいと考えています。墨田区においては、これまで職場体験を実施したこともありますが、継続して実施しているわけではないので、ぷれジョブのような効果はあげられておりません。しっかりと事前の準備に時間をかけ取り組むようこれからも働きかけていきたいと思います。
都内では杉並区が準備を進めています。他の自治体の例をもっと研究し、これからも議会で取り上げていきたいと思います。
ぷれジョブ以外のNPOほっぷの森の事業についてもお伺いいたしました。就労移行支援事業からスタートしたそうですが、現在はレストラン「びすた~り」(就労継続支援A型)とびすた~りフードマーケット(就労継続支援B型)を運営。農場を借り野菜の栽培を行い、できたものをフードマーケットで販売するとともにレストランの食材として使用しています。
レストランびすた~りは120年前の古民家を改装した趣のある建物で、小規模のコンサートなどもできることから年間150回以上貸切で団体利用があるそうで、経営も軌道に乗ってきたそうです。
白木理事長は1990年代半ばよりスペシャルオリンピックスの立ち上げに参加したことで、以後ずっと障がい者の支援に取り組まれてきたそうですが、最近一般財団法人アート・インクルージョンを設立し、芸術分野で障害者の可能性を見出し、就労に向けて基礎トレーニングやコミュニケーション力のスキルアップを目指す事業をスタートさせました。
障がい者の支援をライフワークとしたとてもパワフルな方で大変勉強になりました。
8月22日に始まった「吾妻橋フェスト」明日26日まで開催しています。
初日にはなぎら健壱さんが来られ、トーク&ライブショーを行ったそうですが、私は昨日の夜と今日の午後会場に行ってきました。
昨日は私が大ファンの「帰ってきたキューピットガールズ」さんのショーを皮切りにスタートしました。
商店街のアイドルとして、いつも悪と闘いながら地域を盛り上げてくれる活動をしてくれています。見ていて思わず笑みがこぼれます。
まだまだ暑い中でしたがそれでも川風を感じながら楽しいひと時を過ごしました。
今日は午後から「下町634バンドコンテスト」と題し、6・3・4に何かの縁があるバンドのコンテストが行われましたが、それには間に合わず、そのあとのご当地キャラクターショーを見学しました。
炎天下の中で大変だったでしょうが、終了後はこどもたちと写真を撮るなどサービス満点でした。
対岸ではサンバカーニバルが開催され、隅田川をはさみ大勢の方でにぎわっていました。夏の風物詩として「吾妻橋フェスト」も定着していくことでしょう。
明日まで開催されていますのでぜひ足をお運びください。
今日明日の土日は区内中でイベント盛り。
朝から徒歩で区内中を回りました。
10時半から大横川つりぼりフェスティバル。
夏の恒例行事ですが、スカイツリー開業後はじめてなので、いつもよりにぎわいを感じました。
まちづくり公社主催ですが、近隣町会の方がお手伝いしてくださるので模擬店も充実してます。
つりぼりでは魚釣りの体験もできるのでこどもたちは興味津々でした。
11時には錦糸公園に行き、すみだストリートジャズフェスティバルのオープニングセレモニーに。
やや雨が降り出してきましたが、実行委員たちの熱気はたいへんなもの。2日間で1000名以上のボランティアがお手伝いしてくださるとのこと。
公園や道路など公有地の提供以外の補助金などの支援は受けず、文字どおり手作りのイベントとして定着してきました。
17日の金曜日にジャズフェスのホームページでプログラムを開こうとしてもなかなか開けなかったので、後で確認してびっくり!アクセスが集中してアクセスしづらかったそうです。
今年で第3回ですが、墨田区最大のイベントとして内外のお客様を集める夏の風物詩になる予感がします。
議会の中でも行政主導ではないイベントの誘致・人材の育成を一貫して主張してきたので、感慨無量です。
夕刻4時から錦糸町のロッテホテル内のパブ「82-ALE HOUSE」 で行われたジャズシンガー・EIKOの唄を堪能してきました。
午後6時には区役所前のうるおい広場で開催している「隅田川踊り」へ。
日ごろあまりうるおっていない「うるおい広場」ですが、この時ばかりは大変な賑わいです。私が行ったときはよさこい踊りを踊っていました。
隅田川が四万十川と友好河川であることから墨田区と高知とはさまざまな交流があります。
ストリートジャズフェスティバルの会場の一角にある、「すみだパークギャラリーささや」では、Tシャツアートの展示などで協力いただいています。よさこい踊リもそうですし、テントでは四万十川のアユの塩焼きやウナギもきもなども販売していましたのでおいしくいただきました。
四万十川近辺の出身者の方で組織されている四万十会の皆さんのご尽力で毎年実施されているのでご協力に感謝したいと思います。
来週8月22日~26日までは同じ場所で「吾妻橋フェスト」が開催されます。うるおい広場はオープンカフェ(ビアガーデン?)になり、その他トークあり音楽あり舟運ありと盛りだくさんの内容です。
それぞれのイベントはスカイツリー開業後はじめてですが、外国人の方が増えたなと実感しました。着実に国際観光都市への一歩が踏み出されました。
PHP研究所主催の地方議員向け「地域経営塾」を受講してきました。
今回のテーマは「自治体改革 次の一手を考える」
・効果が限定的だった「平成の大合併」の次のテーマとは
・公共サービスを維持しつつ役所をスリム化する方策とは
・地域で若者の雇用を確保する現実的な「秘策」とは
・「削減」によらない行政改革の手法とは
以上の内容について、神奈川大学の南先生のナビゲーションのもと、足立区の定野総務部長の講演と質疑を通し、今後取り組んでいくべき行革課題が見えてきました。
平成の大合併は、財政運営上最も効率的とされる人口30万~40万人規模の自治体をめざして中小規模の自治体の行政サービスを効率化・高度化することを目的に進められましたが、現実には多くは合併後も人口数万人規模にとどまりました。
行革の手法も人員削減や民間活用などが一定程度進み、従来型行革の限界が見えてきています。
こうした背景から足立区の定野総務部長が中心となり、高度・次世代ワークシェアリングによる新自治体改革を目指す「日本公共サービス研究会」が発足されました。
全国約1700の全ての自治体に参加を呼び掛け154の自治体が参加しスタートしたそうです。
具体的には、自治体の数多くの事務のうちこれまで改革の手がつけられていなかった専門定型業務(国保・介護保険事務、税関連補助業務、会計・出納、選管委事務局、設計・積算・検査、窓口事務などなど)を民間に委託しようとするもので、コスト削減と共に若年雇用対策に活用できる全く新しいアウトソーシングの手法です。
現在精力的にスキームの検討がなされているそうですが、今年度末には中間の報告もされるようですので、大きな期待を持って見守りたいと思います。
確認したところ墨田区も参加しているそうなので、積極的に「日本公共サービス研究会」に係わるよう進言していくつもりです。









