「世界に挑んだ絵師 新訳北斎伝」 荒井勉著
北斎美術館が事業決定してから葛飾北斎について少しづつ勉強してきているのですが、とりわけここ数カ月は難解な本も含め、数冊の本を読み北斎の事績を通しその人となりを思い描いてきました。
その中でもこの「新訳北斎伝」は筆者による推測もありますが、謎の多い北斎の人物像を生きたものとして現在によみがえらせることに成功していると感じます。
少なくとも、型にはまらない破天荒な人物であったことは間違いありません。
また、ユーモアのセンスもあったようです。70代から80代の作品を見ると、反骨精神も旺盛だったようですし、幕末の騒乱の前に亡くなっていますが、晩年にはかなりの開明的な思想の持ち主だったこともわかります。
最晩年に至っても外国の絵の具を取り寄せるなど、最後まで絵を極めることに徹していたようです。
北斎というと富嶽三十六景があまりに有名なので、他の作品や人物像が注目されることがあまりないのが残念ですが、とても魅力的な人物であったのだろうと思われると同時に、幕末において新しい時代を作った人物にそれなりの影響を与えたことも、本書を読みわかってきました。
佐久間象山と交流もあったようですし、北斎の最後の弟子・本間北曜は、勝海舟塾で蘭学などを教えていました。北斎の死後、北曜は長崎に行き英語を学び、その英語力を高く評価され、薩摩藩の英語教師として西郷隆盛をはじめ倒幕のリーダーを育てました。
こうした事実を知ると、幕末・維新の群像の背景に北斎の思想がかかわっていたのではないかと、さらなる想像力を働かせてしまうのですが、もうひとつ面白いことは、本書では東洲斎写楽は北斎であったと、写楽=北斎説をとっていることです。
わずか10か月程度の活動ののち忽然と姿を消した写楽については、長い間その正体は?という議論があったのですが、近年は阿波の能役者・斎藤十郎兵衛だとする説が有力になっています。
そのほかにも写楽は北斎説のほか、歌川豊国説、喜多川歌麿説など、多くの人物があげられていました。
詳細は述べませんが、写楽が北斎であったとするほうが、作品を見ると自然であるように思います。
北斎美術館を予定している墨田区にとってもそうだとすれば夢が広がります。
先に、ユーモアのセンスがあると申し上げましたが、写楽(しゃらくせい!)北斎(あほくさい!)という語呂合わせは、北斎の真骨頂のように感じるのです・・・

