東日本大震災中小企業復興支援シンポジウム②
昨日に引き続き...
冒頭、山﨑区長があいさつ。
その後第一部として、NPO法人横浜アートプロジェクト 理事長 榎田竜路氏による「被災状況と復興活動の映像」を通しながら、現状の報告がありました。
テレビで放映される映像は、大規模な避難所だったり編成されたりしていて真実(本当に悲惨な状況など)を伝えきれていない。
復興に当たり、「こどもたちの未来を守る」ということを原点に据えなければいけない、そのうえで、仕事・教育・繋がりといった要素をおろそかにしてはいけないと強く主張されていました。
重要な視点であると思います。
第2部のパネルディスカッションは、被災自治体で頑張る中小企業の経営者、自治体職員による報告がありました。
茨城県日立市の町工場の社長・佐藤氏は、津波の被害はなかったものの機械類はほとんどが使用不能に。
以前より、「ツイッター」「Face Book」を活用し、全国の同業・異業種の若手経営者と交流していたことから、震災直後から、全国に支援を呼びかけ、不足していた部品等を調達。わずか1週間で会社を再開したとのこと。
岩手県宮古市で産業支援センター所長を務める佐藤氏からは、宮古市の復興のスピードが速く進んでいることの説明がありました。
震災発生後3日目に市長から「おまえは避難者の生活支援はよいから中小企業の復興支援に専念しろ」と特命を受け、自転車で市内を回り続けたとのこと。
佐藤さんは全国でも珍しいことですが、工業振興分野を15年間担当しているそうで、街を歩くだけで企業経営者の顔が分かるので、復興支援に必要な融資制度などの情報がすみやかに中小企業経営者に伝わったそうです。
一般的に行政職員は3年から5年ほどで移動を繰り返し、ひとつの部署に15年というのは、普通の自治体では考えられないことですが、今回のような非常時には、市民と接する機会の多い部署は長く所属するメリットが大きいと思われます。今後の人事のあり方を見直す必要がありそうです。
福島県の浪江町の八島さんは、浪江町の商工会青年部長を務められているので、散り散りに避難している人々に希望を与え続けながら再興を目指していることが、お話をうかがってよくわかりました。
一方で、現在二本松に避難しているそうですが、浪江町に戻れるのか、戻れなければ新たな地で鉄工所の再建を決断するべきなのか、非常に困惑している様子も見受けられました。
浪江に戻ってもこどもたちへの健康被害はどうなのかを考えると不安は消えないとのこと。
二本松に避難しても住民票が浪江町なので二本松のサービスを受けられない。融資も受けられないということで、先の見えない不安に悩んでいるようでした。
原発で避難されている方の苦悩を知り、緊急時にあっての政治のスピード感のなさに改めて憤りを感じました。
パネルディスカッション終了後、交流会へ。
東北方面の地酒もあり、また、宮古市や日立市、浪江町の特産品販売コーナーも設けられ、復興支援に対する参加者の熱い思いが充満しつつも、情報交換もでき、懇談的に有意義な時間を過ごしました。



