私は公明党議員として、「公明党」は、〈生命・生活・生存〉を最大に尊重する人間主義を貫き、人間・人類の幸福追求を目的とする、開かれた国民政党です。
今日の状況を正しく見定め、明日への確かな方向を指し示す確固とした理念こそ、いまわれわれに必要とされるところのものです。〈生命・生活・生存〉を柱とするわれわれの人間主義こそ、この要請にこたえ得るものと確信します。
人間自身の幸福な生存こそが目的価値であり、「国家」であれ「イデオロギー」であれ「資本」であれ、人間を超えた何らかの外部価値や権威の絶対化により人間が“手段化”されることがあってはなりません。いかなる主義・主張であれ、機構や制度、科学や経済であれ、それらはすべて人間に奉仕すベきものです。これが〈生命・生活・生存〉を柱とする公明党の人間主義=中道主義の本質です。
従って、政治の使命は、生きとし生ける人間が、人間らしく生きる権利、つまり人権の保障と拡大のためにこそあります。すべては究極目的である人権の実現――人間が人間らしく平和に幸せに生きることの保障である、との位置付けがなされるに至っています。
まさに人権の実現を至上の目的価値とすることこそ、二十一世紀の日本と世界にとって不可欠の理念であると考えます。われわれは、この人権尊重の淵源に「生命の尊厳性」を置くものです。われわれの前身の旧公明党は結党以来、「個人の幸福と社会の繁栄の一致」を主張してきましたが、この理念を受け継ぐわれわれが目標とすベき国内社会像は、「生活者優先」を基調とする、成熟した文化・福祉国家であり、その実現に全力を期していきます。
本来、政治、経済も機構、制度も、生活者が豊かに人間らしく生きるための手段でしかありません。それが経済・生産者優先の中で手段が目的化され、「個人の尊厳」の意識が希薄なことも影響して、主体となるべき生活者が「国家」「企業」に従属することがいつの間にか当然視され、そうした生活者不在の仕組みがさまざまなゆがみを生んでいます。
経済的・社会的配分が公平でないこと、長い労働時間、乏しい休暇、貧弱な住宅や社会資本、個性を欠いた画一的な教育と学歴偏重社会、老後不安など、生活者の権利としての暮らしが軽視され、経済大国にふさわしい豊かで充実感のある国民生活が確保されていません。
政治は、可能性追求の技術です。従って、われわれは、高き理想の追求と冷徹なリアリズムに徹する姿勢とを共に持ち、「現実」と「理想」の両立を図る架橋作業に努めます。また、これを可能ならしめるための、積極的な行動と提案・提言活動を行っていく創造的なオピニオン・リーダーとして、絶えざる自己革新を求めていくものです。
公明党は、いかなる時代、いかなる社会にあっても、「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」との誓いを貫き、常に民衆の側に立つことを信条とします。われわれが内に求め、行動の規範とするのは、高い志と社会的正義感、モラル性、強い公的責任感、そして民衆への献身です。これこそ公明党議員が身上とする特質です。
「公明党」は、庶民の中から誕生した「庶民の党」であり、何よりも庶民の喜びや悲しみを共にする中にこそわが党の存在性があります。われわれは、この「庶民の党」としての名実を何よりの誇りとし、草の根の庶民大衆とともに日本と世界の希望あふれる新たな地平を切り拓くため力強く前進します。