奄美豪雨災害現地調査10月22日~25日
全線が奄美地方に停滞し、この前線に向かって南から湿った空気が流れ込み、大気の状態が不安定になった。この影響で奄美地方では1時間に120ミリ以上の猛烈な雨っとなったところがあり、奄美市名瀬では18日~降り始めからの降水量が800ミリを超えている。その結果、3名の尊い命が失われました。また、数多くの方々が床得上浸水や床下浸水に見舞われていました。心よりお見舞い申し上げます。
そこで、公明党奄美豪雨災害対策本部を設置し、秋野公造参議院議員と成尾信春県議、築地孝一出水市議は、21日の船で現地へ急行致しました。22日は、朝奄美に到着し、早速、一番被害の大きかった住用町に向かいました。しかし、道路ががけ崩れで通行止めになっておりましたが、どうにかたどりつけました。そこで見た光景は想像を絶する光景でした。避難所となっている体験交流館では、あっという間に増水したため着の身着のまま避難されたことが窺えました。さらに、ようやく連絡が取れた100歳の方には薄い毛布に寝かせなければならない状況でした。
また、体験交流館に多くの方々が避難された「住用の園」では、食べかけのご飯などがそのまま残っていました。至る所で道路が寸断され、河川の氾濫で床上・床下浸水の被害が出ています。なによりライフラインである電気・水道・電話などが滞っており電話での安否などができないことに不安を募らせておられました。
23日は、龍郷町役場で川畑町長から現状を伺いました。龍郷町ではずべての住人の把握ができ、一人確認できない人が死亡と判明されました。川畑町長は、「消防団と職員の頑張りで人命の把握ができた。また、町民の絆のおかげで炊き出しや手伝いができている。しかし、今後どのように取り組むか全く想像できない。」と説明を受けました。その後、円、戸口地区を調査致しました。自分も被害を受けたにもかかわらず、多くのボランティアとして片付けに汗されておられました。
24日は、大和村や笠利町の現場を調査致しましたが、報道にないところで多くの住民の皆様が苦労されている様子を窺いました。
25日は、名瀬市内と龍郷の皆様にお見舞いを申し上げました。
今は衣・食・住が中心ですが、農業や林業漁業など経済に関する被害はさらに多くなると予想されます。国・県としてどのような具体的支援ができるかをしっかり取り組んで参ります。