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今日、8月9日は長崎に原爆が投下されて67年。そして、「長崎原爆の日」である。

「8月9日」は問いかける。広島に投下された原爆はウラン型、長崎はプルトニウム型である。なぜ2度も原爆が投下されたのか?

なぜ、長崎までも・・・

長崎で被爆した体験を取材すると、共通する証言が得られる。「朝から空襲警報が鳴った。しかし、すぐに警報が解除されたので、防空壕から外へ出た。その後、原爆が投下された」

原爆搭載機を含む米軍の爆撃機B29が、少数で来襲。それを偵察機と判断したためであった。だが、大本営参謀の備忘録によると、広島に原爆を投下したB29が発したものと同じコールサインを、長崎投下の5時間前、日本軍は傍受していた(「原爆投下」松下秀文・夜久恭裕共著、NHK出版)。2度目の投下を察知しながら、手をこまねいていたことになる。

原爆の歴史を知るほどに確信するのは、原爆とは、生命を奪う「権力の魔性」の産物にほかならないという事実である。核兵器廃絶への運動とは、人間の「魔性」を克服し、善性を開発する究極の人権闘争であると確信する。

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門真市 内海武寿
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