公明党は結党以来、庶民の中から候補を選出し、庶民の力で議員へと押し上げ苦労した人が報われる世の中を作り上げるために働いてまいりました。様々な理由から現代社会の仕組みに生き辛さを感じたり、孤独や貧困に苦しむ方々が今も沢山存在します。今は調子がよく、元気に仕事が出来ている我々もいつそうした状況になるかもしれません。私は貧困対策、障がい者への支援、ニートや引きこもりの方々に対して何か私の立場で出来ることはないのか、との思いでこれまで20年間議員として仕事をしてきました。その中で就労支援に積極果敢に取り組まれる方や、障がい者支援に粘り強く取り組んでおられる方々との出会いを通じて“出来ることはまだまだある!”という事に気付かせて頂きました。
今の苦しい環境に、歯をくいしばりながら頑張っている方、様々な理由により思うように働けず、生活に困窮する事態に直面している方、そうした方々の労苦が報われる社会、全員が持っている“幸せになれる権利”が行使できる社会を築き上げるために今後もこの身を投じていく覚悟でございます。
その為に今回の県議会議員選挙必ず当選を勝ち取り仕事をさせて頂きたく、皆様には大変にご苦労おかけいたしますが、何卒“つぼい”を宜しくお願い申し上げます。
「いい人・いい街・あまがさき」
伊丹市議会議員に初当選させていただいたのは平成11年、現在私は公明党東兵庫総支部(伊丹市川西市猪名川町宝塚市三田市)の総支部長をしておりますが20年前の当時は公明党尼崎総支部に属していました。そこには今はお亡くなりになられた私の心から尊敬する冬柴鐵三さんが衆議院議員として所属していました。「まじめに働く人が報われる社会を築きたい」弁護士として様々な現代社会の問題に苦しむ庶民に寄り添ってきた冬柴さんが政治の信条として掲げてきたテーマです。冒頭の「いい人・いい街・あまがさき」は冬柴さんが好きだった言葉です。「いい人」とは市民一人一人の幸せを願った言葉、「いい街」は住みよい街づくりを目指す、良い政治をして街を国をよくしていきたい、との決意のことばと受け取れます。
昨年住宅ローン企業が発表した「本当に住みやすい街大賞2018in関西」で、兵庫県尼崎市のJR尼崎駅周辺が1位になりました。戦後復興から高度成長期の真っただ中にあった昭和40年前後、尼崎は公害の街としてその名が知られていました。ヘドロの蓄積した悪臭のする川、モクモクと工場の煙突から舞い上げる煙、車の排気ガスによる大気汚染、50年前のこの光景からは想像も出来ないほどの変身を尼崎は成し遂げました!冬柴さんは住んでいたJR尼崎駅ヨコのマンションの方々からも本当に愛されていました。告別式を終えて火葬場へと向かう途中冬柴さんを乗せたその車は遠回りをしてそのマンションの前を通過しました。その時たくさんの住民の方々が涙しながら見送って下さったとのお話を息子さんからお伺いいたしました。
尼崎の、否日本のすべての方の労苦が報われるための社会基盤の構築に人生をかけた冬柴さん。きれいになった阪神尼崎駅横の川には現在、鯉が群れをなして泳いでいます。
人を幸せにすること、よい街づくりをすることが政治の使命であると思います。私「つぼいけんじ」も冬柴さんと同じ思いで頑張ってまいります。
アグネスチャンさんのインタビュー記事に感動しましたので紹介をさせていただきます。
「今も世界では多くの国や地域が紛争状態にあります。その要因は宗教や主義の違い、民族の違い、貧富の差などです。さらに根底には自分たちが一番正しい、自分たちと同じでなければ許さないという「違いを認めない」姿勢があると思います。これが多くの不幸を生んでいます。
私たちが平和のために出来る事は、皆が同じになる事でもそれを望むことでもありません。違いを認め合う。尊敬・尊重し合う。互いの文化や考え方を学んで一緒に楽しむ。共に生き、共に栄えようという気持ちで暮らしていくことです。」
「違いを楽しみ受け入れる事をいかに子供たちに教えるか。それが平和を前進させるカギです。教えていくのは政府や学校の先生だけではなく、親や地域で子供たちに接する私たち一人一人です。」
「違いを楽しめることはその子自身が幸せを味わえるかどうかのポイントでもあります。」「日本には今後海外から多くの人が訪れます。自分が世界に出なくても世界がやって来ます。他の国から来た方と接しても怖がったり嫌がったりせず親しく付き合う。自分の中に壁をつくらず固定観念や決めつけを排していけるかが肝心だと思う。」
長年日本ユニセフ協会の大使を務めるなどグローバルな視野で子供たちを見守ってきたアグネスチャンさんのこうした捉え方は「世界の平和」や「人の幸せ」といった人間にとっての最重要テーマを考える時、最も重視しなければならないことだなと感じました。
1月28日通常国会が召集され会期は6月26日までの150日間。この間統一地方選挙が行われ、その直後に新天皇が即位され元号が改められる。名実ともに時代の変換期に我々は直面することになります。今国会では新時代の日本の国づくりに重要な課題、全世代型社会保障の実現に向けて教育費負担軽減に関する事やその財源となる10月の消費税引き上げに伴う対応策など生活者に密着した課題が話し合われることとなる。参議院選挙を前にどうしても政局に走りがちな論戦に偏ることなく、国民が安心して暮らしていける社会の実現に向けて有意義な議論となることに期待しています。国の動向をうけ兵庫県議会でもしっかり県民生活の充実に向け働きかけていきたいと決意いたします。
まずは眼前の戦いを勝ち切らないと!
1/29公明新聞に”夜回り先生”で有名な水谷修氏が公明党地方議員に対して過分な評価を頂いておりますので一部ご紹介させていただきます。
『「この国から貧しい人や忘れられる人をなくしたい」「子どもたちが幸せな国に」という私自身の決意と行動にどこよりも深く共鳴し力を貸してくれているのが公明党であり、その国会議員と地方議員だ。他党の場合、国会議員を頂点にその下に地方議員がいるというピラミッド型の関係になりやすいが公明党は違う。「困っている人、大変な人の代表」という同じ使命感を共有する仲間として一体となって動くからだ。引きこもり対策危険ドラッグ対策心の病対策など数多くの取り組みを具体的に前進させてくれている。これは国会議員だけでも地方議員だけでもうまくいかない。全国の国会地方議員が一つのチームとなり地域に根をはる党員支持者と手を携えながら日夜行動しているから現場の声が国会に届き国政を動かし、国の施策が効果を発揮できるよう自治体を動かすことも出来る。・・・・公明党が力を発揮できるのは国政で与党であることも大きい。私立高校授業料実質無償化や低所得世帯を対象にした大学など高等教育の無償化が今後実施されていくがこれは公明党が与党にいるからこそ出来たと評価している。与党であるがゆえに難しい判断選択を迫られることもあるが公明党が与党にいるからこの国が進む道を誤らないようにする事が出来ている。
公明党議員が地域にいないことによる不利益は大きい。4月の統一地方選では全員が必ず勝ち抜いてもらいたい。』
公明系議員が誕生したのは昭和30年(1955)の統一地方選挙でした。その後昭和38年(1963)の統一地方選を経て党の前身である公明政治連盟の地方議員が1,000名を超えその基盤があって翌年(1964)公明党が誕生しました。
公明党と他党の地方議員の決定的な違いとは「大衆とともに」の立党精神を胸に刻み大衆の中に飛び込んでいくことです。
国会や地方の議員、党員、支持者が連携して政策実現を進める「ネットワークの力」は「公明党の大きな資産」とも称されています。
例をあげると、2007年公明党が主導してドクターヘリの全国配備を目指す法律が成立した際、法律が出来たことで兵庫県をはじめ各地で公明党の地方議員がドクターヘリの導入を提案し一気に全国展開への道が開かれ”空飛ぶ救命室”により多くの方の命が救われています。
また昨年これまで公明議員がいなかった”空白区”で初議席を獲得した北海道安平町、むかわ町では9月の北海道胆振東部地震の際公明党のネットワークを生かして即座に避難所の環境改善など復旧復興を進めました。
「議員さんの仕事って何?」「議員さんていつも何をやっているの?」「議会って何?」など最近地域の方々と触れ合う機会にこのような質問を受けることがあります。
そこでこれまで長らく休んでいたブログを再開することとし皆様に地方自治体の議会や議員についてご理解頂けるよう乱文ではありますが書いていきたいと思います。
国会は外交や防衛、全国的な規模や視点で行わなければならない施策や事業を扱うのに対して、地方自治体は生活者に密着した身近な課題などを対象として様々な事を決めていきます。具体的には医療費の助成や保育所の設置などの地域福祉や、道路、水道、ごみの処理、警察、消防など住民の安全や健康、環境保全に対するサービスなどです。
中央大学の佐々木信夫名誉教授は、地方議会の役割とは①自治体の予算や条例などを決定する「決定者」②決定後の執行について監視する「監視者」③住民に代わって政策提案する「政策提案者」④議会での決定内容を住民に報告して民意を集約する「集約者」の4つに整理しています。












