10月20日(土)AM10:00から記念式典が開式されました。
昭和27年(1952年)1月、「東京都板橋区立金沢小学校」ができました。同年2月28日の開校式では児童数は641人、教職員は15人の13学級でスタートしました。
学校のある場所は加賀藩の下屋敷のあった所で、当時の住所、東京府北豊島群板橋町字金沢にちなんで、「金沢小学校」とつけられました。
金沢小学校の教育目標
「かしこく」・・・進んで学習し、自分の考えをもち、創意工夫して実践する子ども
「やさしく」・・・相手の気持ちを考え、よりよい人間関係を育む子ども
「たくましく」・・健やかな体と心をもち、めあてに向かって粘り強くはげむ子ども
学校内には約80種類2000本の木があり、緑豊かな環境で児童たちは学校生活をおくっています。
これからも金沢小学校が地域とともに益々の発展を遂げられますことをご祈念いたします。
平成24年10月13日(土)、前野小学校体育館にて式典が執り行われました。
創立60周年、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。
前野小学校は昭和27年(1952年)に開校しました。
前野小学校の教育目標は変化の激しい時代を、心豊かにたくましく生きぬく児童の育成を目指して、次の目標を設定しています。特に平成24年度は、学習や生活の基盤となる心の意育成に重点を置いています。
◎思いやりのある子・・・互いの気持ちを理解しようとする心を育てる。
進んで学ぶ子・・・・・・・自ら課題を見付け、考え、工夫して学習しようとする力を育てる
たくましい子・・・・・・・・心と体をきたえ、最後まで粘り強くやり抜く力を育てる
前野町あたりには、今から約7000年くらい前(縄文時代)から人が住んでいたと考えられます。その頃は、東京湾の海水が川越の先まで入っており、見次公園や高速道路の下、坂下から高島平にかけての土地の低いところは海でした。
今から2200年くらい前(弥生時代)、米作りが日本に伝えられました。そのころの人々が住んでいた家の跡や土器が前野町の各地で発見されました。
この発見された土器を前野式土器といい、弥生式土器の中では一番新しく、今から1700~1800年くらい前に作られました。
校章や校歌に土器が使われています。
この校章は開校当時制定されたものです。前野町式土器と三個のペンを組み合わせています。
組み合わせた3つの土器は、「正しい心」「優れた知恵」「丈夫な体」を意味します。
3つのペンは前野小学校が志村・志村第一・第二小学校の児童によって誕生したことを表しています。
これからも前野小学校が地域とともに益々の発展を遂げられますことをご祈念いたします。
ありがとうございました。
平成24年10月11日・12日に岩手県盛岡市岩手県民会館にて開催されました。
全国都市問題会議とは,都市の抱えるさまざまな問題や地方自治の課題について,全国の市長および市議会議員をはじめ自治体関係者と学識経験者などが一堂に会し討議するとともに,情報交換を行う場です。
今回の議題は「都市の連携と新しい公共~東日本大震災で見えた『絆』の可能性~」で、基調講演、主・一般報告、パネルディスカッションが行われました。
昼休みには、さんさ踊りと伝統芸能を披露していただきました!
パネリストには岩手県陸前高田市長の戸羽市長もいらっしゃり、「これからも東北を忘れることなく形ではなく心で支援を続けて欲しい」との説得力のある心のこもった「絆」についてのお話がありました。
がれきの処理はようやく進み始めましたが、一方ではがれき受入れを拒んでいる方もいるのが現実です。
また他にも、高台移転や企業再生には多くの問題があります。縦割り行政に任せるだけでなく、地方自治体や民間団体の横のつながりを構築して、口先だけではなく本当の「絆」を深めて参りたいと決意しました。
≪石割さくら 会場に向かう途中の盛岡地方裁判所構内にて≫
石割桜(いしわりざくら)とは巨大な花崗岩の割れ目から育った直径約1.35m、樹齢360年を越える桜です。
1923年(大正12年)に国の天然記念物に指定された。寛永年間頃に南部藩主の分家にあたる北監物の庭園であったといわれ、明治初期には桜雲石と呼ばれていました。
家老の屋敷内の庭にあった巨石が落雷をうけてできた割れ目にエドヒガンザクラという桜の種子が入り込み成長したという伝承も残っています。
10月8日(月)午前10時から板橋区町会連合会仲町支部主催、板橋区青少年健全育成仲町地区委員会共催で、板橋区立第一中学校にて開催されました!
弥生小学校鼓笛隊の演奏の下、入場行進が始まりました。弥生小卒業生として、久しぶりに校歌の演奏を聞き、とても懐かしい気持ちになりました。
前日の天候とはうって変わり、秋晴れの運動会日和にふさわしい大運動会となりました。
皆さん全力で競技に参加され、清々しい汗を流されました。大変にお疲れ様でした。
【小学生による徒競走】
【競技で入賞された方への景品授与】
【女性による風船をつかった競技 ≪ごめんあそばせ≫】
【小学生による大縄跳び】
【未就学児による宝探し】
【親子によるボールころがしリレー】
役員・関係者の皆様、無事故の運営をして頂き大変にありがとうございました。
地域行事として実のある素晴らしい大運動会を開催してくださり、心から御礼申し上げます。
楽しいひと時をありがとうございました。
10/6(土)に上板橋第四小学校体育館にて10:00から式典が執り行われました。
昭和7年東京府北豊島群上板橋尋常小学校分教場として開校しました。
昭和19年には群馬県利根郡川場村「都旅館」に集団疎開をするなどの歴史をかさね、昭和22年、現在の校名となりました。
上四小の教育目標
「心のふるさと上四小」 かしこい子 たくましい子 なかよくする子
【式典に向かう通路を華やかにかざる児童が制作したオブジェコとスモス】
【校内に設置されている「ふるさと資料館 80周年記念展示室」】
文教児童委員として、教育環境の充実や児童の皆さんが安心して、楽しい学校生活を送れるように、尚一層努力して参ります。
職員及び歴代職員の皆様をはじめ、地域や保護者の皆様、大変におめでとうございます。
こらからも本校が地域とともに益々ご発展されますことをお祈いたします。
10月5日(金)公明会館にて2部形式で開催されました。
1部の東京都本部大会では高木都本部代表が再任され代表挨拶をしました。
また、平成23年度決算報告が行われました。
引き続き第2部として議員総会が開催されました。
中島都本部長からは今後の取り組みについての話がありました。
山口代表からは本日行われた3党首会談や早期解散を求めるための臨時国会に臨む姿勢の話がありました。山口代表挨拶の後に、次期衆院選比例東京ブロックに公認された高木美智代東京都本部副代表から挨拶がありました。
高木副代表あいさつの後、12区候補の太田あきひろ候補からも挨拶があり、最後は出席議員全員で勝どきを行い、大勝利に向けての決意を固めあいました。
これからも公明党議員としての誇りと自覚と確信をもって全力で働いて参ります。
板橋区ではこの節目となる年にあたり、10月1日区立板橋文化会館にて「板橋区制施行80周年記念式典」を開催しました。
区名の由来となったともいわれている「板橋」は、石神井川に架かる旧中山道の橋であり、江戸時代当時は、長さ9間(16.2m)、幅3間(5.4m)の太鼓橋でした。
この「板橋」を往来したのは、文政4年(1821年)の時点では、加賀藩前田家をはじめ、9か国41大名であり、幕末動乱期の文久元年(1861年)の皇女和宮の降嫁行列も最後に板橋宿に宿泊しています。
昭和7年、「板橋」はコンクリート製の橋に架け替えられ、同年10月の板橋区誕生に花を添えました。
歴史の舞台となった「板橋」の下を流れる石神井川の両岸には、昭和9年以降、中板橋から加賀付近にかけて、約千本の桜の木が植えられています。「板橋十景」にも選ばれるように、区内を代表する桜の名所となっています。
ロンドンオリンピック ボクシング金メダリストの村田選手も表彰をされました。
80年を一つの契機として、板橋区への愛着と誇りがもてる「東京で一番住みたくなるまち」をめざして、未来を築いてまいります。

















































