令和元年8月8日~9日にかけて、板橋区議会各会派(公明2名、自民2名、共産1名、立憲1名)6名で参加しました!
前日は、青少年ピースフォーラムに参加し、築城昭平(ついき しょうへい)さんによる被爆体験講話を聴きました。
1945年8月9日(木曜日)午前11時2分、原爆はそれまでの人々の命と生活を奪いました。
築城さんは当時、長崎師範学校在学中、軍需工場へ学徒動員され爆心地から1.8Kmの学校の寮で、当日の夜勤にそなえ睡眠中に被爆し、全身火傷を負いました。特に左腕と左足先は重傷を負ってしまいました。
睡眠中に爆弾攻撃に命を守るため真夏に布団をかぶって寝ていました。布団をかぶっていたことが、一命を取りとめることになりました
命ある限り、被爆者として核がなくなる世界のために、世界中の人々に体験談を話していきたいとおっしゃられていました。
また長崎市は被爆者の心を受け継いでいると言われ、これからも市民が一体となって核廃絶に向けた取り組みを行っていくと決意を述べられました。
その後、長崎原爆資料館を見学しました。
改めて甚大な被害を受けた長崎の資料を拝見し、平和活動・平和教育の大切さを認識させていただきました。
翌日、8月9日は平和祈念式典に出席しました。
世界初、被爆者による合唱団の合唱により式典が始まりました。
【被爆者合唱団】
長崎市議会議長が式辞を話されたのち、安倍総理、公明党山口代表などによる献水・献花がおこなわれました。
長崎市長による長崎平和宣言では、すべての国のリーダーに対して、被爆地を訪れ、原子雲の下で何が起こったのか見て、聴いて、感じてください。そして、核兵器がいかに非人道的な兵器なのか、心に焼き付けてくださいと訴えておりました。
平和への誓いでは、被爆者代表 山脇佳朗氏が当時11歳、爆心地から約2kmの自宅で被爆をし、爆心地500mで亡くなった半焼けになった父の遺体の頭蓋骨の中から脳みそが流れ出して逃げ出してしまった体験談を赤裸々に語られておりました。
そして安倍総理に向けて、被爆者が生きている内に世界で唯一の被爆国としてあらゆる核保有国に「核兵器を無くそう」と働き掛けてください。この問題だけはアメリカに追従する事なく核兵器に関する全ての分野で「核兵器廃絶」の毅然とした態度を示してくださいと訴えられました。
児童合唱の後、安倍総理が挨拶をされました。
安倍総理は「核軍縮をめぐっては各国の立場の隔たりが拡大している」としたうえで、「『核兵器のない世界』の実現に向けて、核兵器国と非核兵器国の橋渡しに努め、双方の協力を得ながら対話を粘り強く促し、国際社会の取り組みを主導していく決意だ」と述べた一方、核兵器禁止条約については言及しませんでした。(NHK NEWS WEB)
最期は合唱団による「千羽鶴」を歌っていただき、平和への誓い、願いをこめました。
今回参加させていただき、今日の平和がある事を当たり前だと思っては行けないと強く感じました。
平和構築に向けて、区議として何ができるか?子ども達にどのような教育をしていくか?私にとって議員として、平和構築に対する責任を感じる機会となる式典となりました。












