政治信条
大衆と共に語り
大衆とともに戦い
大衆の中に死んでいく
この公明党の立党の精神
が死ぬほど好きです。
昭和28年9月に山口きくおは諌早市の西小路町で、生まれました。五歳の
時に母を亡くし,一人しかいない妹は別々に暮らさなければならないという
不遇には見舞われてはいたものの、心優しいご近所の皆様から見守られな
がら、小学校四年生までは普通の生活(と言っても物心ついたときから近
所の豆腐屋さんの御好意で朝五時から豆腐売りをさせていただき、中学
生からは新聞配達で生活費の足しにしていた。)を送っていましたが、ある
日父が病気で入院する事になり、私は叔母のうちに預けられる事になりま
した。小学校から帰ってくると家中の拭き掃除(二階建て)をしてそれから
夜は、叔母の仕事の手伝いをして文房具代を稼いでいました。
これも叔母の躾の一環ではなかったかと、感謝しています。「人様から後
ろ指を指される人間だけはなるな」が叔母の口癖でした。質素で謹直な素
晴らしい叔母でした。今、諌早市議会議員として縦横無尽に活躍できるの
もこの幼少時代の訓練があったればこそと感謝しています。
しかし、叔母の家で夜中に目を覚まし、よくお父さんと言って泣いていたそ
うです。
そんななか、中学二年のときに父が退院してきました。一緒に住めるのを
とてもうれしく思ったのを今でも覚えています。しかしその幸せも長くは続き
ませんでした。父の病気が再発し、定時制高校在学中の17歳のとき父は
67歳の生涯を閉じたのです。このときまでの自分の人生を振り返っていつ
も思うのは当時の生活保護所帯の子供には年末に文房具の支給があっ
たように覚えています。そのときにいつもなんて有り難いのだろう、いつか
必ず大人になったら社会にご恩返しをするのだと子供心に誓っていました。
この頃の苦労や誓いと皆様の御厚情のおかげで、20歳の頃には諌早ボ
ランティアの会に所属し、様々な活動にいそしむ事が出来ました。そのお
陰で、NBCラジオから取材を受けた事も有りましたし、社協の軽トラックで
明るい社会を作る運動の垂れ幕をさげて市内を何度となく巡回した事も、
いい思い出になっています。亡くなられた社協の三田村さんには大変お世
話になりました。市のボランティアの研修で日田市に視察に行かして頂い
た事も、非常に懐かしい思い出です。
私が現在、市議会議員として皆様方のお役に立ちたいと思うのは、この様
な子供の頃の誓いがあるからです。断じて皆様方を裏切れない断固たる
理由がそこにあるからです。私にはお世話になった皆様方にご恩返しをす
る事以外に市議会議員に挑戦した理由はありません。だから声を大きくし
て皆様にお伝えしたいのです。「みんなの意見をよく聞くきくお」が一生懸
命頑張るのは当たり前です。だから精一杯使って下さい。政党が違うとか
町内が違うとか、頼みにっかけんとか一切関係ありません。私はあなたの
意見を市議会や県会議員や国会議員に伝える為に皆様方のお力で市議
会議員にさせて頂いたのですから・・・、どうか気軽に声を掛けてください。
「山口きくお」一生懸命頑張ります。
このような様々な思い出を胸に懐きながら、大衆とともに語り大衆とともに
戦い大衆の中に死んでいくとの公明党の立党精神を胸に新・諌早市建設
のために死に物狂いで頑張ります。
