今こそ考えたい、「非核三原則」の重み
最近、国際情勢が大きく変化する中で、「非核三原則の見直し」や「核共有(ニュークリア・シェアリング)」について、さまざまな議論が聞かれるようになりました。
安全保障の観点から、核抑止力を含め、さまざまな意見があることは承知しています。
何があっても日本を守り、日本国民の命と暮らしを守り抜く。そのために、我が国の防衛力を高めていくことは必要だと私は考えています。
しかし、その一方で、核兵器については、通常の兵器とは全く違う次元で考えなければならないと思います。
広島、長崎。
日本は、世界で唯一、戦争による原子爆弾の惨禍を経験した国です。
一瞬にして多くの尊い命が奪われ、その後も長い年月にわたって、被爆者の皆さまが苦しみ続けてこられました。
核兵器が一度使用されれば、その被害は一国にとどまらず、人類そのものの存続に関わる問題となります。
だからこそ私は、「核兵器を使用することは、人類の破滅への道を開くことにつながりかねない」との強い危機感を持っています。
先日、日頃からお世話になっている法律事務所から、非核三原則についての法的な整理と、現在の見直し議論についての解説をいただきました。
その中で改めて考えさせられたのは、非核三原則が単なる一時的な政策ではなく、長年にわたる国会での議論や政府の答弁などを通じて、日本の国是として積み重ねられてきたということです。
「持たず、作らず、持ち込ませず」
この三つの原則には、戦争被爆国としての日本の歴史と、核兵器による惨禍を二度と繰り返してはならないという、先人たちの強い決意が込められているのではないでしょうか。
もちろん、安全保障環境が厳しさを増す中で、理想論だけで国民の命を守ることはできません。
現実を直視し、外交力、防衛力、日米同盟を含めた抑止力をどう組み合わせ、日本を守るのか。
これは、感情論ではなく、冷静かつ現実的に議論していかなければならない重要な課題です。
だからこそ、核兵器についても、目先の軍事的合理性だけで結論を出すのではなく、核兵器がもたらす人類への甚大な被害、そして核使用の連鎖が世界にもたらす危険性まで含めて、慎重に議論する必要があると思います。
私は、「日本を守ること」と「核兵器のない世界を目指すこと」は、決して相反するものではないと考えています。
むしろ、唯一の戦争被爆国である日本だからこそ、安全保障上の現実を踏まえながら、核兵器の使用を許さない国際的な規範を守り、核兵器のない世界に向けて努力する責任があるのではないでしょうか。
被爆者の皆さまが長年訴え続けてこられた「核兵器のない世界」
その願いを、私たちの世代が決して風化させてはいけないと思います。
安全保障は、国民の命を守るためにあります。
だからこそ私は、日本を守り抜くための現実的な安全保障政策と、核兵器のない世界を目指す努力。その両方を大切にしていきたいと思います。
今こそ、冷静に、そして真剣に「非核三原則」の持つ意味を考えてみたいと思います。

