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風のない秋晴れの日曜日、夕刻より街頭に立ちました。

毎月一回、地域ごとにお手伝いをいただいて立っています。

ちょうど東京では公明党全国大会が行われており、山口那津男代表が再任されましたので、その紹介をさせて頂きました。

今年11月に結党50年を迎えます。

「大衆とともに」の立党精神を再確認するとともに、女性の視点で暮らしを守るという自分のテーマからぶれることなく、

これからもがんばってまいります。

よろしくお願いします。

 

秋の気配が日に日に深くなってきました。

今年は障害福祉計画を見直す年で、策定委員会がもたれています。

福祉健康委員長は一委員として参加させて頂いています。

策定の年には障害福祉施設の見学会が行われるようです。そして、9月19日の今日、見学に行かせていただきました。

行先は、コスモス福祉会の「あおぞら」。きそがわ福祉会の「玉の井ホーム」。樫の木福祉会の「チャイブ」。

最後は(有)フォルツァの「ひなの花」の4施設です。

印象に残ったことは・・・

障害福祉の仕事は強い使命感があってのことだと思いました。

割の合わないこともたくさんあると思いますが、居場所づくりの確保に尽力されています。

福祉計画が着実に結実していることを見させていただきました。

見学に参加させていただき、大変に感謝いたします。

  

 

少し間があいてしまいましたが、視察の報告をさせて頂きます。

8月21日、尾道市に伺いました。

尾道市といっても、合併前の御調町です。

公立みつぎ総合病院に視察に行かせていただきました。

ここの名誉院長の山口昇先生が、40年ほど前に包括ケアのやり方を始められた先生です。

外科医として長崎から赴任をされてきた山口先生は、外科的治療をしては患者さんを治していったそうですが、

退院しても手術をうけた人が再び病院へやってくる。

自分のやり方はいいのだろうかと、考えて始めたのが、保健師とともに退院した患者さんを訪問するというやり方。

寝たきりゼロを目指してケアを重要視するように。

そして今でいう「地域包括ケアシステム」です。

さまざまな事業の説明をいただき、次はDVDの上映だと待っていると、一人おじいちゃんドクターが部屋に入ってこられました。

その方が山口先生でした。

81歳のドクターの静かな語りは、前向きで歴史があり説得力があり、聞き入っていきました。

毎回の視察でお話いただくことはないそうです。たまたま病院にいらっしゃったので、私たちは幸運でした。

一宮市でも地域包括ケアシステムが進んでいくように協力したいと思います。

 
この写真の中央に立つ人が山口昇名誉委員長です。

今年度2回目の本会議が始まりました。

議会は3の倍数の月に開催されます。6月、9月、12月、3月、です。

今日は議案の上程、説明がありました。

この後の日程は、一般質問が5日、8日、9日、39名中16人が通告を出しました。

私は9日の1番目、9時30分からです。その後に同会派の柴田議員が登壇します。

さらには、11日から18日まで常任委員会が行われます。

新庁舎になって傍聴に来られる方が増えたように思います。

また、ユーストリームが今年から始まっています。

モットーの「女性の視点で暮らしを守る」で頑張ります。

空をにらみながらの8月31日の日曜日、一宮市総合防災訓練が行われました。

昨年は雨で中止となっています。

今回の防災訓練は、午前8時にM8で、震度6弱の地震が発生しという想定で、7時30分から始まりました。

訓練参加機関は、36の団体です。

その中には木曽川高校の生徒も防火バケツリレーで参加していました。

一宮市民病院からは「DMAT」が出動していました。

「DMAT」とは「災害急性期に活動できる機動性を持った トレーニングを受けた医療チーム」のことです。

暑い雲を気にしながらも、雨に降られることなく終了しました。

前日の8月30日は、定期的に近隣市町の女性議員と行っている「女性街頭」でした。

テーマは防災。

せめて一年に一度は、防災に関して、見直しや確認をしていただく機会になるといいですね。

  

8月20日から22日まで福祉健康委員会の行政視察に行かせていただきました。

8月21日は、福山市と尾道市です。まず今回は福山市の報告です。

福山市は市民病院における「緩和ケア」について視察をさせて頂きました。

福山市さんとは何度も視察など交流があるようで、(私は新参者で、知りませんでしたが・・・)

大変に和やかな雰囲気で調査をさせて頂きました。

何よりも、緩和ケア担当医のドクターのお母様の実家が一宮市ということで話が盛り上がりました。

福山市民病院の規模が一宮市民病院とほぼ同格で、一宮市民病院は全国でもトップ10に入る、とお褒めいただき、

大変に光栄でした。

緩和ケアとして、05年専従医を迎えて院内活動を開始され、06年4月に緩和ケア病棟が開設。10床でスタート。

09年4月、16床に。そして今年は緩和ケア病棟開設9年目を迎えられました。

病棟を案内していただきましたが、配慮がされた設備でした。

結婚式などの行事も行うことができるそうです。

看取りのためだけの入院病棟ではない。在宅に向けて退院もできる病棟である。

そして緩和ケア医療チームと在宅ケアチームを組織している。

12年の実績は、16床で、入院患者138人、退院患者140人、死亡退院96人、(つまり44人は在宅に移行できた)

一日平均患者数9.6人、平均在院日数22.3日。

と、素晴らしい取り組みです。印象に残ったのは、

仕組みも然りですが、医師や看護師など篤いスタッフの人財が素晴らしいと思いました。

 

  

8月20日から22日、福祉健康委員会の行政視察に行かせていただきました。

一日目は広島市です。

前日も何度も天気予報を確認していました。当日の早朝、広島市で局地的に大雨が降り、土砂災害の報道です。

駅に委員のみなさんがそろったところで、先輩議員のアドバイスで広島市に同行の職員の方から確認をしてもらうことになりました。

移動しながら返事をお聞きすると、「どうぞお越しください」とのこと。

広島市に降り立つと、曇り空、この市内にそんな大雨が降っているとは思えない天候です。

路面電車に乗り市役所へ。

予定を3~4分遅れて到着。

お見舞いを述べつつ、「病児・病後児保育事業」の説明を受けました。

平成16年から開始される当初から病院での開設ということでした。

医師会との協力・連携が必須の事業です。

実績も多く、お母さんたちにはいざというときの心強い事業になっているようです。

予定より早めに切り上げて失礼しました。

その後、市役所から徒歩で原爆祈念資料館へと一行は足を向けました。

さまざまな意味で記憶に残る視察となりました。

  

   

8月19日、遠野市です。

遠野市の総合防災センターで視察を受け入れていただきました。

行ってから知ったのですが、市長がご説明をしていただけるということです。

初めにDVDを見せて頂きました。

遠野市のこれまでの後方支援の足跡でした。東北大震災の前から取り組んでおられます。

公明新聞にも紹介されていたようです。(勉強不足でした・・・反省)

DVDの後、市長から説明頂きました。

市長の話の冒頭は妖怪の話です。

「以前に水木茂さんが遠野市に来られたときにお会いした。その時、

河童や天狗など妖怪は人間と共存できるもの。共存できないものが幽霊であると真剣に語ってくれた。

人口減少の遠野市は、妖怪が1万人はいる。1万人加算して交付税を真剣に頼んだことがある・・・。

そんなことを真剣に考えた。」と。

また、「最近、公明党の山口代表と会ったが、真剣に聞いてくれた。的確なコメントをくれた。感動した。」と。

本田市長の思いの深い真剣な話に惹きつけられました。そして、

リーダーシップというものを考えました。

この3日間、大変に実り多い視察となりました。

  

8月18日、陸前高田市の行政視察の後、JR大船渡線BRTで大船渡市に向かいました。

景色は時折望む海、山なみ、そして土地のかさ上げ工事、工事、工事。

長距離の移動の中で盛り土の工事はあちこちで見かけました。被災地があまりにも広いことを痛感しました。

午後から大船渡市の行政視察です。

高地にたたずむ庁舎は被災されておらず、立派な建物でした。

最初にDVDを見せて頂きました。高台ににげた市民が撮影されたものです。

言葉になりません・・・

説明頂いた後、実際に市街地を案内いただきました。高台に逃げるとき、時間との闘いなので急で段差の大きな階段を

みなさんは上られたようですが、本当に急階段です。

高台から見ると、広範囲に工事をしています。町並みは戻っていません。

DVDにあった高台にも行かせていただきました。

震災前の街を知りませんが、真新しい家屋や屋根瓦を見ると少し想像がつきます。

学校の校庭に立っている仮設住宅と災害用住宅にも連れて行ってくださいました。

仮設住宅は最初なかったお風呂の追い炊きがついているそうです。

阪神大震災の仮設住宅は10年あったそうですが、

平地の少ない東北はどうなるのでしょうか。

そんなことを考えながら、次の地、遠野市へと一行は向かいました。

  

 

8月18日、陸前高田市への行政調査です。

陸前高田市は津波で壊滅状態となり、町が消えたところです。

市役所はいまだプレハブで、再建する場所も未定だそうです。

全職員の3分の1の方が亡くなりました。

説明頂いた職員の方も震災後に入庁された方でした。

町のどこを見ても元住宅街でした、駅前通りはにぎやかでした、と説明をいただいても想像がつきません。

そこらじゅう盛り土の工事ばかりです。

長い長いベルトコンベアが動いていましたが、それは山を削り、その土砂を運んでいるのです。

毎日トラックで4000台分の土砂を運んでいるそうですが、この技巧で10年分を1年でできるとか。

運んだ土砂は盛り土にしますが、かさ上げは12メートル。これはビルの4階だそうです。

そのベルトコンベアは、被災して中がぐちゃぐちゃの道の駅の近くです。

そのそばに町で1件というガソリンスタンドがありました。

復興の道のりは厳しく遠いものだと痛感しました。

司令塔が3分の1の力を失い、役所の庁舎も失うことはその後の復興にも影響が大きいことも痛感しました。

被災者の方たちにあらためてお見舞い申し上げます。そして、復興が進むように祈ります。

   

   

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一宮市 平松邦江
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