ハンセン病問題を通して差別・偏見のない社会へ
小さな声に耳を傾け人権尊重の精神を

県議会公明党・県民会議は9月17日に神戸市内で、定例の研修会を行いました。陶山賢治・MBC開発株式会社代表取締役社長を講師に迎え「ハンセン病が問いかけたもの」をテーマに講演していただきました。陶山氏は読売新聞社会部記者として韓国在住日本人妻報道で日本新聞協会賞を受賞するなどの活動を経て、MBC南日本放送の報道局長、専務取締役などを歴任し現職を務められています。


陶山氏はまず、ハンセン病について感染力や発病力が非常に弱く、療養所職員の感染者が90年間で確認されていないことや歴史的にも大流行した事実がないことなどを説明。

続いて、プロジェクターを使ってハンセン病問題の歴史的経緯を解説。中では、「らい予防に関する件」(1907年・明治40年)が制定され、国が患者を療養所に入所させ社会から隔離する政策をとり、1931年(昭和6年)の「らい予防法」では在宅患者も療養所に隔離し、全国に国立療養所を配置していったことなどを振り返りました。その後、「らい予防法」(1953年・昭和28年)が成立し、1996年(平成8年)になってようやく「らい予防法」が廃止されたが、高齢化や偏見差別などもあるため療養所に残った人もあったことなどにふれました。

1998年(平成10年)に元患者らが熊本地裁に「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟を提訴し、2001年(平成13年)元患者側の勝訴判決が出され、政府は控訴せず和解に至ったことを示しながら「この裁判を通して多くの人がハンセン病について知るきっかけになった。判決の中で、らい予防法の違憲性とともにらい予防法の隔離規定を改廃しなかった国会議員の違法性・過失性が指摘されたことの重みを考える必要がある」とし「ハンセン病問題が問いかけたものは、国家やジャーナリズムの責任、我々も気づかなかった責任や見て見ぬふりをしていた責任は免れない」と自身の考えを話しました。

さらに、陶山氏は格差社会や子どもの貧困拡大、ワーキングプアなど現代社会が抱える課題を挙げ「それらをしっかり見つめ、根源的な解決が不可欠だ。差別は、差別される側はもちろん傷つくが、差別する側の人間性も崩されていく。あやまちを繰り返してはならない」と訴え、最後に「ハンセン病作家の島比呂志氏の『耳あるものは聴くべし』との言葉が心に残っている」と述べ、小さな声に耳を傾けて活動している公明党議員にエールを送っていただきました。

この後、らい病患者への偏見やこれまでのような対応が行われた根本原因や行政側の難病患者等への取り組み姿勢のあり方などについて質疑し、意見交換しました。

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兵庫県 谷井勲
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