レストハウスや旧日銀支店など被爆建物6件を国史跡へ
“声なき証言者”後世に/広島市
(12月7日付 公明新聞)
広島市内最大級の被爆建物「旧陸軍被服支廠」(国・県所有)が国の重要文化財に指定される見通しとなる中、同市などが所有する被爆建物6件からなる「広島原爆遺跡」も国指定文化財(史跡)に指定される方向だ。推進した公明党の平林晃衆院議員と市議会公明党(碓氷芳雄幹事長)はこのほど、同市中区の平和記念公園内にあるレストハウスを視察した。
■文化審答申「痕跡を顕著に残す遺跡」
被爆建物6件は、いずれも爆心地から2キロ以内に位置し、国の文化審議会から「被爆の痕跡を顕著に残す遺跡」と評価された。今後、国の官報告示を経て指定され、史跡になると、保存や活用のために国の補助金を活用できるようになる。
建物は、①内部が全焼した平和記念公園レストハウス(旧燃料会館)②爆風の痕跡が残る旧日本銀行広島支店③炭化した木れんがなどが残る本川小学校平和資料館(旧本川国民学校校舎)④当時の「伝言」が壁に残る袋町小学校平和資料館(旧袋町国民学校校舎)⑤被爆直後に被害の第一報を発信した中国軍管区司令部跡(旧防空作戦室)⑥梁が破損したままの多聞院鐘楼――の6件。
この日、平林氏らが視察したレストハウスは、1929年に大正屋呉服店として建設され、45年8月6日の被爆時は県燃料配給統制組合の事務所として使われていた。爆心地からの距離は約170メートル。市が登録する被爆建物86件の中で原爆ドームに次いで近い。
当時、地下室を除いて全焼したが、鉄筋コンクリート造りの建物は原形をとどめた。被爆当日は37人が勤務し、地下室にいた1人を除く36人が犠牲となった。
その後、82年にレストハウスとして再整備。2020年7月のリニューアル後は、観光案内所や特産品などが並ぶ売店、被爆ピアノが置かれた休憩所に加え、被爆時の状況を知ることができる資料や写真が並ぶ展示室が設けられた。地下室はほぼ改修前の状態で保存され、常時見学が可能となっている。
■国、地方の公明議員が連携し推進
市議会公明党はこれまで、被爆建物の文化財指定に向け、議会質問などを通じて強力に推進。21年1月には旧防空作戦室の建物内部を視察するなど、被爆建物の保存・活用策を探る現地調査を重ねてきた。
同7月には、公明党の斉藤鉄夫副代表、谷合正明参院幹事長、平林氏と党広島県本部(代表=栗原俊二県議)の田中勝・平和創出委員長(市議)が文部科学省を訪れ、萩生田光一文科相(当時)に要望書を提出。原爆ドームを国の特別史跡に指定するよう求めるとともに、旧陸軍被服支廠やレストハウスなどを文化財に指定し、保護に努めるよう要請していた。
視察後、平林氏は「戦争や核兵器の悲惨さを伝える“物言わぬ被爆者”であり“声なき証言者”である被爆建物を後世に残すため、これからも全力を尽くす」と語った。
最大級の被爆建物 広島・被服支廠が重文に
「物言わぬ証言者」未来へ
公明、現場主義の論戦で道開く/文化審議会が答申
12月4日付 公明新聞)
「物言わぬ証言者」を未来へ――。原爆の被害を受けながら、倒壊を免れた最大級の被爆建物「旧広島陸軍被服支廠倉庫施設」(広島市)が国の重要文化財に指定される見通しとなり、喜びが広がっている。文化審議会が11月24日に重文指定を文部科学相に答申したためで、公明党が道を開いた。
外壁がレンガ造りの倉庫4棟が約500メートルにわたって並ぶ被服支廠。1914年に建設され、軍服や軍靴を製造していた軍需工場で、鉄筋コンクリート造りの現存する最古級の建物だ。爆心地から2・7キロにあり、変形した鉄扉など被爆の爪痕が今も残る。原爆投下直後には臨時救護所となり、多くの人が亡くなった場所でもある。
今回の答申は、先駆的な技術で建てられた点や、被爆後も継続して使用されるなどの歴史的価値が評価された。重文指定により、耐震工事など保存に向けて国の補助金を使えるようになる。こうした国の動きをリードしたのが、公明党だ。
全4棟のうち3棟を所有する広島県が2019年12月、地震による倒壊の危険などを理由に「2棟解体、1棟外観保存」との案を公表する中、党県議団(栗原俊二団長)は即座に全棟保存を主張。20年1月の衆院代表質問では、斉藤鉄夫幹事長(当時)が「全てを残してこそ、被爆の実相を後世に伝える訴求力がある」と国に支援を訴え、安倍晋三首相(同)から「県の議論を踏まえて国としてしっかり対応していく」との答弁を引き出した。
同年8月には、山口那津男代表が現地を調査。その後も国会・地方議員が21年7月に文科相に、今年7月には財務副大臣に文化財指定を求めるなど一貫して推進してきた。
■戦争の愚かさ伝える遺跡/「保全を願う懇談会」の内藤達郎事務局長
市民団体「旧被服支廠の保全を願う懇談会」の事務局長で被爆者の内藤達郎さん(82)は、重文指定について「朗報でとても喜ばしい」と歓迎する。その思いを聞いた。
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被服支廠には四つの顔がある。一つは、100年以上前に、レンガ造りと鉄筋コンクリート造りを併用した珍しい構造による建築学的な価値。二つ目に戦争遺跡、被爆建物であり、これほど大きな施設は他に類がないこと。三つ目は、臨時救護所となって多くの人を受け入れ、亡くなっていった事実。最後に、軍需工場として果たした加害者責任、負の側面だ。
私は、核兵器の非人道性を伝える「原爆ドーム」と戦争の負の遺産を伝える「被服支廠」を合わせて広島の歴史遺産だと考えており、両方なければ、戦争の愚かさを語り伝え切れない。その意味でも、被服支廠を歴史に残す意義は極めて大きい。
保存には公明党の国会質問が大きなターニングポイントとなり、力強く動き出した。大変に感謝している。この遺跡を核廃絶の足掛かりに、後世に伝え残していきたい。












