30km圏内の真実
国には優秀な研究者や技術者、行動力、勇気をもった人材が確かにいるのに、いざという時に、国はその力や可能性を用いない。保身かエゴか面倒なのか・・国で当初発表した放射能測定も上空500mでの数値を基に市町村別で避難地域を決めている・・人は「大体」の処に住んでいるのではなく、一人ひとりが「住所」を持って生活しているわけです。放射線がきっちり市町村別に拡散するならいいですが、現実は同じ市内でも濃度が異なる地域が存在しています。決して目には見えない放射線。すぐにはわからない影響力。その見えないもの、わからないものに、立場を捨て、いや、専門知識をもつ人間の立場から挑んでいる方にお会いした報告。
ある日、所沢市にある(株)アールキューブの松永社長から連絡を頂きました。この社長、先取の気性に富み、ひらめきと直感力に加え、並以上の感受性と行動力の持ち主(と私は感じている ほっぺからヒマワリの種を出しそうだとも感じている)
「また何かひらめいたのかな」と思いつつ話しをお聞きすると、「NHKの特番を見て、被曝覚悟で現場に乗り込み放射能汚染マップを作成している人を知った。国は議論ばかりでこういう人をなぜバックアップしないのか!俺は何をすればいいのか!」等、やや興奮状態に最初はびっくりした。すぐにインターネットでその番組の一部を見ました。松永社長のいう「無知のおそろしさ」は自分のことだと知りました。
この社長、翌日からいろんなところに連絡をしまくり、その人、木村真三さんに会うアポをとったとのことでまたびっくり。いわき市民会館で行われる木村さんのいわき市放射能測定報告会の終了後に会う約束とのことで、同行させて頂くことになり、松永社長と社員の方たちと6月19日に行って参りました。
市民会館は超満員。初めて知る、聞く話しがたくさんありましたが、私は専門ではないので詳しく伝えることができません。いわき市にある新聞社の「日々の新聞」をもとに、報告させて頂きます。
放射線衛生学者の木村真三さんは、かつて放射線医学総合研究所に勤め、東海村の臨界事故の際には一番に調査に入った、それでも事故から一週間で、半減期が短い核種を補足できなかった。(当初放射線量を支配していたヨウ素131の半減期は1週間程度、セシウム134は2年、セシウム137は30年といわれている)
その後、厚生労働省の研究機関に勤務し、自主的に三ヵ月に一度、チェルノブイリを訪ね、調査を十年以上続けている。
今回の原発事故が起きた時、上からは「自発的な調査しないように」と指示された。関係部署に「指揮を執らせてくれるならやります」とメールを送ったが、何の返答もなかった。これまで、もし事故が起きたら対応できるように研究してきた。それに、半減期の短いヨウ素131が消えてしまう前に現地で何が起こっているのかを調べ始めたかった。木村さんは職場に辞表を出した。
例えば農耕地にしても「土を耕す前に測定できたら。耕してしまうと混ざってしまってだめになる。なぜ、そのリスクを考えないのだろう。緊急事態は初動をきちんとやれば、対応が早く終わる」と、木村さんは言う。これから食品汚染が怖く、そのため空間線量より汚染レベルの方が重要という。
木村さんが使用している測定記録装置は、環境放射能測定の先駆的科学者の岡野眞治さんが作った、世界に三台しなかいものだ。膝にのせて車を走らせる。時間と六秒ごとの位置、検知された放射線の種類の特別な波形を三十秒ごとに走りながらリアルタイムで記録していく。そのデータを基に汚染状況を分析し、ホットスポットを見つけ、放射能汚染マップを作る。
アメリカのエネルギー省や文部科学省が発表した放射能汚染地図は、上空500mを飛ぶ無人機がポイントでデータを取り、そのデータをつないでいくため、間を勝手に色分けし、目測の部分もある。木村さんの作る汚染マップはより正確で、無人機の汚染地図ではわからない高濃度汚染地域も見えてくる。上空500mよりも、地上の道があるところに人がいて、人がいるところに集落があり、その放射能汚染の影響が木村さんは気になる。
原発の事故直後から現在まで、木村さんは調査のために、福島県の浜通りと中通り、会津の一部を車で五千キロ近く走った。目的は、事故が起きた時からの放射能の拡がりを把握し、被災地の住民に情報を提供すること。さらに住民の放射線被曝をより低く抑えるための情報提供や汚染データの公開。そして事故の調査・分析すること。そのために、自分で現場に入り、目で見て、データを測定している。
いわき市の志田名と萩という地域は、福島第一原発から30km圏内にあり、事故後、屋内待避区域に指定されていた。それに高濃度の汚染があることもわかっていたはずだった。しかし4月22日になぜか指定区域が解除された。「ここを区域対象外にしてしまっていいのだろうか」木村さんは言う。――― 採取した土の分析結果は、表層から5センチより、5cmから10cmの方が放射能濃度が高く、汚染が地下に浸透していることがわかった。それは放射能汚染が進んでいることを意味する。二つのセシウムの合計濃度(㎡辺り)でみると、道路脇の土は225キロベクレル、田んぼが379キロベクレル、畑が969キロベクレル、ビニールハウスが3.1キロベクレルだった。
チェルノブイリの被災三ヵ国であるロシア、ベラルーシ、ウクライナの法律では、㎡辺り555キロベクレル以上1480キロベクレル未満の地域を移住対象地域(第二ゾーン)に指定している。畑の値は第二ゾーンにあてはまる。この付近には赤のビニールテープのバツ印があって「文部省」と書かれている。国は測定していて、汚染濃度をわかっているのに何もしない。今回の原発事故後に木村さんが見てきたなかで、このような高濃度の汚染地域は、3月16日時点の双葉郡の原発から4kmのホットスポットの土壌で、それより高いぐらいという。
25年前のチェルノブイリの事故は原子炉が大爆発をして、中に入っていた核燃料物質、さまざまな放射性核種が飛散し、まだらな汚染が起きた。半径30kmは排他的避難区域(完全立入禁止)とされているが、汚染のひどいベラルーシは60kmまで立入禁止区域になっている。現地を見てもいない専門家が「チェルノブイリで死んだのは28人」などと言っている。でも、木村さんの調査では最低5万人ががんで亡くなっている。ほかにも強制移住で自暴自棄になって自殺した人たちがいる。人の報告書を読んで、あたかも見てきたかのように解説する専門家がいるけれど、現場はそんな状況ではない。だから、木村さんは日本がいま犯そうとしている問題点をつぶさに見て、報告していこうと思った。
調査を続けているチェルノブイリのまちと志田名・萩がオーバーラップするという。
人口三万人のチェルノブイリのそのまちは事故から3年経って、高濃度汚染地域とわかった。それも国会議員の情報公開によって。原発事故の収束宣言をしたかったのと、補償する余裕が国になかったためで、事実を知った住民は大混乱し、数万人規模のデモが起き、それがソ連崩壊のきっかけの一つになったとも言われる。
首相官邸の災害対策のホームページで調べると、計画的避難区域と緊急避難区域の見直しという項目があり、それが最後のチャンスという。(以上、日々の新聞 第198号2011年6月2日 より抜粋させて頂きました)
報告会終了後、挨拶。松永社長の「会社をあげて木村さんを支援したい」との申し出に、木村さんも大変喜んでいました。後日東京での再開を約束し、木村さんはそのまま次の郡山の会場に向かって行った。郡山では、市民の多くの皆さんが持っている測定器の「ちゃんとした使い方」の説明を行うとのこと。それぞれの地域で簡易測定をしてもらい異常値が出たところから詳細測定をするらしいです。
木村さんは言ってました「(国も)あとに続いてくれるだろうと思っていたが・・」
まだまだ木村さんの調査を待つ市町村がたくさんあり、木村さんの戦いは終わらない。そして、松永さんの新たな戦いが始まる。私はこの報告を皆様にすることから始めた。
長文になり恐縮です!m(__)m
※ご意見ご要望はこちらにお願い申し上げます take_miura_komei@yahoo.co.jp

















