今日は羽村市では中学校の卒業式で、私は2中の第44回卒業式に出席させて頂きました。
「何かあったら、いつでも学校に相談に来て下さい」という暖かい校長先生のお言葉。
「3年後はオリンピック・パラリンピックを迎え、皆さんは18歳となり、どういう形で関わり、力を発揮されているか、
また、選挙ができるようになり、未来を託していきたい。皆さんの成長を楽しみにしています」という来賓の皆様のご挨拶が印象的でした。
子ども達にとって楽しく充実した中学校生活だったことを卒業生の挨拶の中で感じました。
女子生徒はオイオイ泣いていたり、男の子達も。涙は電波して来賓席まで。
子ども達は素直に育っていると感じました。
寒い卒業式でしたが、6クラス201名の卒業生の皆様、大変おめでとうございました。
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午後は市民相談で動き、夜は会合へ。その後も市民相談などの対応を。最近花粉に反応するようになって来ています。困ったものです。今後はもう遅いかも知れませんが、マスクで少しでも防御していきたいと思います。
今日は最終議会が行われ、私は「バランスのとれた受動喫煙防止対策を求める陳情」等、3つの陳情に賛成討論を。その中で討論に託した私の思いを感じ取られた議員が数名声をかけてくれました。
白熱した議論の末4時過ぎ終了。その後、議員全員協議会では議会が終わったばかりでしたが、そこには分厚い資料。概要説明が5時ごろ終了。
市民相談の対応は休憩中のチョットした時間を利用して。時間が予定より押していて、用事を済ませ、家族の夕食を作る時間が無いので、お弁当を購入して自宅へ。
すぐに夕方6時からの職員の皆様と議員の懇談会がゆとろぎにて。この3月に退職される職員の方々、現役の部課長さん、理事者の皆様と懇談させて頂きました。
ある職員さんと「未来を見据えたまちづくり」について語り合いを。「今がどうだからではなく、未来を見据えて着々と動いて行かなければならない」と職員さん。
全く同じ思い。私もこれまで2年間、モノレール推進特別委員会の委員長を担わせて頂きましたが、モノレール反対を唱える議員もおられます。
全体では前へ進めながら、個人的にも議論をさせて頂きましたが、私の思いは「モノレールは何十年先になるか分からない。だから、今の私たち議員(委員)の役割は、未来へ希望を繋げること。」です。
止めるという判断は未来の人がいつでもできます。でも、計画に入らなければ、未来はない。国や東京都の前向きな動きがあった今だからこそ、行動を起こすことが大切だと思い、進めてまいりました。
今の委員の役割は、未来の人たちのために計画に入るように動くこと。繋げること。
まちづくりに携わる職員さんは、区画整理反対を唱える人々と日々論戦されておられます。思いに共感し、その熱い使命感に触れて、私まで嬉しくなりました。
本日、福島へ合宿免許を取りに行っていた四男が無事終了して帰宅しました。
緊張の日々だったようで、お腹の調子がずっと悪かったとのこと。
小さい頃から私の車に乗ってきた息子は、結構簡単では?と思っていました。息子自身も「簡単そう」と思っていたようです。
実際に教習所へ行って、とても大変だと感じたようで、自分でやってみなければ分からないことも勉強したのだと思います。
自宅に帰ってきた息子は、福島では雪も降ったが寒く感じなかった。うちの家の方がよほど寒いと。
我が家の1階の暖房は古くて使用していません。こたつのみ。家の中でコートを着るほど我が家は本当に寒かったのだと実感です。
1階の暖房、買わなければ…。(今頃?)
夜の会合では、終了後に市民相談を複数頂きました。
「福島県民お断り」というタイトルの作文がネット上で話題になっています。
こちらは、宮城県女川町の中学3年生「門馬瑠々 (もんまるる)」さんの作品で、仙台法務局長賞を受賞しています。新聞にも掲載され、私も感動し涙が出ました。
その感動の作品がこちらです。
「福島県民お断り」。
それは、福島県民の私に大きなショックを与えるものでした。
小学校三年生まで、私は福島県南相馬市で生まれ育ちました。
南相馬といえば野馬追が有名で、昔からの歴史を大切にしてる町です、
私は、そんな南相馬の町や人が大好きでした。
しかし、五年前、東日本大震災の影響で原子力発電所が爆発し、全てが変わりました。
放射能の影響から、南相馬市は一夜にして人の住めない町になってしまいました。
この事故の影響で、私は家族と一緒に、親戚がいる栃木県に避難することになりました。
ところが、その途中に寄った店で、とても衝撃的なものを見てしまいました。
それは、駐車場に停めてあった車に、
「福島県民お断り」
と書かれたステッカーを貼った車があったのです。
私はそれを見て、これからのことが不安だったこともあり、
「え?」とただただパニックになり、
意味を理解したとき、悲しい気持ちになりました。
震災から5年が経過した現在でも、福島県に対する偏見はまだまだ消えていません。
それは、祖母の知人が熊本地震の際に、支援物資を届けに行ったときのことでした。
決して近いとはいえない熊本に、福島から行ったのにも関わらず、
「福島の物資はいらない」
と現地の方々に拒否されたそうです。
現地の方々も、放射能の被害を恐れての発言だったのでしょう。
しかし、被災した方々のために、
直接届けてにきてくれた人に向かって
どうしてそのような心ない言葉が言えるのだろうとむなしさがこみ上げてきました。
結局、その場所では物資は受け取ってもらえず、別の場所で受け取ってもらったそうです。
この話を聞き福島県の風評被害は今なお続いているのだと恐ろしい気持ちになりました。
同じ日本人なのに、どうして福島県から来ただけで、このような酷い言葉をかけられなければならないのでしょうか。
私が育った町や人が否定されるならば、私の今までの人生までも否定されている気がしました。
震災後、私は自分の気持ちを人に話すことが苦手になっていました。
「福島県民だ」という周りの人達の視線がとても気になったからです。
しかし、そんな私の心を新たな出会いが変えてくれました。
小学校五年生の時、私は宮城県の女川町に引っ越してきました。
見知らぬ土地での生活はとても不安で、これからどんなことが待っているのか心配でたまりませんでした。
また「福島県民だ」と悪者扱いでもされるのかと思っていました。
自己紹介を終えて指定された席に着くと、周りは男の子達でした。
するとその中の一人が、私に「福島から来たんでしょ?」と聞いてきました。
私はその質問にひどく動揺し、この後何か言われるのだろうかと思いました。
しかし、聞こえてきたのは私の想像するものではなく「大変だったね」という気づかいの言葉でした。
他の子達も
「友達にならない?」「一緒に遊ぼう」
などと、とても優しく接してくれました。
女川町もまた、震災で大変な被害を受けました。
友人の中にも、津波で家や家族を亡くした人がたくさんいました。
それでも、明るく毎日を過ごしている友人を見て、女川の人たちの力強さを感じました。
同時に、苦しい思いをしているのは自分だとばかり主張して、
ふさぎ込んでいたのが「なんだこの人達の方が辛かったんじゃないか」
と思い、自分が情けなくなりました。
女川町の人達は、本当に強い人ばかりで、何度も助けられました。
私がここまでの体験で感じたこと、それは「偏見」と「共感」です。
「偏見」とは、自分の勝手なものさしで周りのものを判断することです。
相手の気持ちを無視した、とても自分勝手な行動だと思います。
みなさんは、人と関わるとき、偏見を持って接することはないでしょうか?
「あの人はテストの点数が悪いから頭が悪い」や「あの人は口数が少ない人だから暗い人だ」など、
ちょっとした偏見で他人を見ることは誰にでもあることだと思います。
しかし、その偏見が無意識のうちに人を傷つけるということを忘れてはならないと思います。
逆に「共感」とは、相手のことを思いやり、相手の立場に立って行動することです。
私が女川に来てから、私の心に寄り添ってくれた友人たち。
私の痛みを自分の痛みとして捉え共に乗り越えようとしてくれたことにとても感謝しています。
だからこそ、自分もまた、
傷ついている人がいたら共感し、手を差し伸べることができる人間になりたい
と思うようになりました。
私は将来、自分を救ってくれた人達のように、苦しむ人の助けになりたいです。
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福島県民が抱える苦しみや、悲しみを表した非常に素晴らしい作品です。
震災から6年あまりたった今現在でも、なかなか風評被害や、偏見はなくなりません。
一人でも多くの方にこの文章が読まれ、一刻も早く福島やその他被災地への偏見がなくなることを祈っています。
本日3日目の平成29年度予算審査は、議論が白熱しギリギリ5時半過ぎに終了しました。
ヤングママさんを始め、多くの市民の皆様のご意見などを反映させて頂くために、とても沢山の質問をさせて頂きました。その一部をご紹介します。
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・「保育士さんの処遇改善の予算、キャリアアップ補助金の配分は保育園運営者に任されているが、キチンと保育士さんの給与に反映されているかの確認はされているのか」
→市で把握しているのは、認定こども園、家庭的保育者、認証保育所で、そこは確認している。認可保育園は東京都が管理している。
・東京都の保育士さん(正職員)の給与改善で27年度は、平均28万7千円に、29年度では、32万3千円になると言われているが、非常勤の給与は平成27年度に平均どのくらい上がったのか市で把握している実績は。
→キャリアアップ補助は非常勤の場合平成27年度は、平均5、504円/月アップ(市内認定こども園、家庭的保育者、認証保育所)国の補助は、平均6、481円/月アップ
・「ゆとろぎ駐車場には、立体駐車場、第二、第三、第四駐車場があり、総額1670万円という大きな予算が見込まれているが、ベビーカー利用のお母さんから、『一階は駐車場の車幅が狭く利用できない。2階はスロープの道幅も狭く利用できない。
どこかのスペースにベビーカーで降りられる駐車場の確保をしてほしい』との声があるが、予算は増やさず確保できないか」
→ゆとろぎセンター長より、「地下1階に障害者用の駐車場が3台あるので、空いて入れば利用しても良い」との回答でした。
・平成29年度整備予定の公園施設や動物公園のトイレ改修工事で、オムツ替えもできるところはあるか。
→動物公園の新しく整備されるトイレ改修(松林小側、中からも外からも入れる誰でもトイレ)にはオム替えは付かないが、新しく整備する管理棟の中に「赤ちゃん休憩室を設置し、オムツ替え、授乳もできる予定。」
・スイミングセンターのシャワーが2本壊れているが、どういう状態になったら整備されるのか。
→早急に調べて、直せるものなら整備するよう努める。
等々、他多数質問。
本日の西多摩新聞にトワ・エ・モワさんの居場所について掲載されました。
今日は朝から夕方5時まで、平成29年度の予算審査特別委員会が開催され、民生費、衛生費、労働費、農林費、商工費まで審査、土木費、消防費の途中で終了。
夜は、羽村市防災講演会へ。「その時のために」
〜陸前高田市の防災活動から学ぶ女性の視点からみた防災対策〜について
陸前高田市地域女性団体協議会 幹事の佐々木美代子さんより、現場を経験されたとても貴重なお話しを伺い、資料は大切な保存版となりました。
女性が、意志決定機関にいること。避難所運営での物品受け渡しなど女性がいないとどうなるのか。
仕切りがある避難所と無い避難所。その違いは歴然でした。
貴重な講演会で学ばせて頂き、今後に活かして参ります。
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真夜中、筆を持ち「書」を書いていたら、主人より「気づいたら青梅駅に」との連絡。上りの電車はないとのこと。「勘弁してもらいたい」と思いながら、行かずにいられない自分に腹立たしい…。時間との戦いの日々です。
今日は29年度の予算審査特別委員会の初日です。
白熱した議論の中で、歳入、歳出の議会費、総務費までしか進みませんでした。
以前の議会で、東京2020のオリパラに向けて、ホストタウンに手を挙げては。と質問。その後市はスポーツセンターを事前キャンプの候補地として手を挙げています。写真の雑誌は、台湾や韓国の雑誌に羽村市の事前キャンプ地としてPRされています。
羽村市では、シティプロモーション推進課が設置され、今若い人の定住促進を図っています。アニメファンの方から羽村市のことを「天使のまち羽村」(羽からきています)と言われています。夢のあるネーミングです。市のイメージ戦略に活かせないかと質問。
すでに「愛情ギューと ずっと羽村」が決定しており、それで行くとのこと。ちょっと遅かったようです。
イメージ戦略が、若い世代の定住促進のためであれば、外の若い人達が聞いてどのように感じるのか。興味を持ってくれるのか。内から目線でなく外から目線での視点も大切だと思います。
各自治体も推進していますが、地域の資源が活かされますよう、今後も取り組んでまいります。
(写真は家のベランダから見える富士山)