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カテゴリー(平和・共生社会)

市民相談の後、羽村市の生涯学習施設ゆとろぎで、「平和の企画展」が開催中で見てまいりました。東京大空襲、ヒロシマとナガサキの写真、千人針や当時の軍服なども展示されていました。

「平和はいいね」朝の連続ドラマのひとコマで、主婦がつぶやいた言葉です。太平洋戦争が終わり、何気ない日常に感動する場面でした。

夏は平和について考える大切な時期です。子どもと、家族と、友人と語り合いたいものです。

今日は66回目の長崎「原爆の日」を迎えました。6日は広島の日でした。

ラジオ体操の後、朝の駅頭よりこの日を出発しました。早朝より暑い日差しが照りつけた一日でした。

国会ではやっと特例公債法案の見通しが見えてきました。民主党、自民党、公明党の幹事長会談で合意し、今国会での成立の道筋が開かれました。懸命に取り組んでいる被災地のことを思うと、早期実現が望まれます。

平成18年4月27日に設立された、「羽村・横田友好クラブ」に参加させて頂きました。

その目的とするところは、羽村市と横田基地内の日米両国民の文化交流を通じ、友好をはかり相互理解を深めることにより、平和を維持し国際親善を促進するとしています。

協定書に記された通り、この6年間多岐にわたる活躍をされてこられました。会員の皆さまに心より感謝もうしあげたいと思います。

震災直後には、アメリカ大統領は、にほんへの復旧・復興支援をいち早く表明され、事実、「ともだち作戦」を実行されて今日に至っています。

友好といっても、人の顔が見える一対一の対話から始まります。昨年度の活動報告でも、家族のようなお付き合いをしてきたと述べられておりました。これこそが大切だと痛感しました。

今後の益々のご活躍を祈って会場を後にしました。懇親会にも参加させていただきたかったのですが、お通夜があり先に失礼させていただきました。

昨日のことになりますが、武蔵野市内で武蔵野ユニセフ協会の設立総会に参加させていただきました。私が取り組んでいる教育相談のNPO法人が武蔵野市にある関係で関係者の方からお招きいただきました。

私とユネスコとの接点は、中学一年生の時にさかのぼります。入学した岡山の中学ではユネスコクラブがあり、そこに所属していたのです。

戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」、あまりも有名なユネスコ憲章の前文です。

当時この言葉に感動し、ユネスコクラブを通しながら、世界の様々な動きを強い関心をもって見ることができたことを覚えております。自分の住む地域から世界をながめ、世界から我が地域を見てみる。中学生にとってとても大切な体験となりました。

ユネスコとは、国際連合教育科学文化機関のことであり、United Nations Educational Scientific and Cultural Organization の頭文字をとって、UNESCO(ユネスコ)と呼称されています。

1945年の第二次大戦後、人類が二度と悲惨な戦争を繰り返さないようにとの願いを込めて憲章が採択され、翌年に創設されました。本部はパリにおき、その活動は多岐にわたり、世界を網羅しています。あの有名な世界遺産活動もユネスコです。

総会の基調講演では、これまでのユネスコの歴史と現在から未来に向けての取組み等のお話があり、とても示唆に富んでいました。

一念発起して、今私ができることを開始してまいります。

多文化共生の社会。羽村市にも海外から日本に来られ暮らしている方がたくさんおられます。多文化共生とは、互いの文化を尊重して共に同じ社会で助け合って暮らしていくという意味です。

羽村市では、長年にわたって日本語を教えるボランティアの方々が活躍されております。今日は、そのお一人と懇談させていただきました。以前から交流のある方で、多文化共生は議会でも質問させていただいております。羽村市もボランティアの方の活動に期待しており、協働して支援することを議会質問の中で支援を約しています。

他の国々から来られた方は、生活様式や言語が異なります。多文化共生の精神も日本社会に根付いているとはまだ言えないでしょう。そうした中でボランティアの方々の存在が大きいのです。利用者の方は、言葉を教えてもらうだけでなく、人と人との関わりで信頼関係が生まれ安心して暮らしていけると言っておりました。

多文化共生の社会構築に向けて、私のできる活動を今後とも皆さんと共に推進してまいります。

昭和20年3月10日の未明から東京下町を中心にアメリカの爆撃機B29が大量の焼夷弾を投下した。木造づくりがほどんどだった東京のまちは、またたく間に火の海となり、10万人以上の尊い命が奪われました。その多くが非戦闘員である子どもや女性であったといいます。

右の写真は、ひとつは漆原智良先生の口演童話『東京の赤い雪』、ひとつは日野多香子先生の絵本『七本の焼けイチョウ』。いずれも東京大空襲の惨劇を風化させないために生まれた作品です。

何の罪のない多くの命を奪う戦争を、絶対に許してはいけない。犠牲になられた多くの方に黙とうすると共に、平和を誓う日としたい。

2月16日(水)から20日(日)までの5日間、羽村市生涯学習センターにおいて東京空襲資料展が開催されています。順次、国立会場、江戸東京博物館会場でも開催予定です。東京都の資料に以下解説がありました。 

東京は昭和17年(1942)4月18日に初めて空襲を受けました。その後、昭和19年(1944年)夏以降、空襲は本格化し、昭和20年(1945年)3月10日、現在の墨田区、江東区、台東区を中心とする下町地区にアメリカ軍のB29爆撃機325機が来襲して、大規模な空襲を行いました。この2時間余りの空襲で10万人ともいわれる尊い生命が奪われました。そして終戦を迎える昭和20年8月15日までに100回を越える空襲が続き、東京は焼け野原となりました。 

 会場には、当時の写真とともに焼け出された遺品が展示されております。この悲しみを二度々繰り返さないでとその遺品たちは語っているようでした。

『平和への誓い―高校生が記録する岡山空襲』 昭和52年発刊

私には戦争と平和を考えるようになった原点があります。今から34年前の高校生の時、戦争体験の記録集を仲間達と一緒に出版しました。『平和への誓い―高校生が記録する岡山空襲』という本です。取材を通し、戦後30年を経過しても戦争体験を語りたがらない方が多かったことに驚きました。それほど戦争の傷跡は心の奥深くまでえぐっていることを知ったのです。

戦争ほど残酷なものはない。このことを次の世代に語り次ぐことはとても大切です。私にできる活動を進めていきたいと思っています。 

今日はうれしい出会いがありました。動物虐待や放置に対して草の根運動をされている方との出会いです。 動物愛護に関して共感できたことがうれしかったのです。これまで公明党は、動物を大切にする社会こそ、命を大切にする社会との思いで取り組んできました。日本ではペットが行方不明になると、遺失物として届け出ることが多いそうです。動物は命であり「もの」ではありません。環境省の調査によると年間28万匹の犬や猫が殺処分されています。無責任な飼い主の虐待や飼育放棄が後をたちません。しかし動物には不思議な力が秘めれていると思います。会話しなかった高齢者の方が犬を飼うことによって明るくなったり、心を閉ざしていた子どもの心が開いたり等皆さんの周りにもこのようなお話はあるのではないでしょうか。

犬や猫が嫌いな人もいます。大好きな人もいます。それでもお互いを理解しながら共存できる地域社会を目指してまいりたいと議会でも取り上げてきました。私どもが受ける犬や猫に関する市民相談も様々です。個々の現実と向き合いながら、動物との共生社会を目指してまいりたい。

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羽村市 石居尚郎
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