羽村市には元議員、元理事者の方々有志でつくる会があります。名前を青葉会といいます。設立して40年になるとのことです。
今日の夕刻、青葉会の総会の後、理事者・現職議員との懇親会が市内で催され、私も喜んで参加させていただきました。現在の羽村市の繁栄を築いてこられた諸先輩の皆さんとの語らいは有意義なものです。
この非常時ともいえる難局をどう乗り越えていくのか。現役を勇退された後もそれぞれのお立場で活躍されている皆様方です。集われた誰もが、真剣にふるさと羽村の未来に目を向けておられました。
豊かな経験と新しい時代を切り開こうとする新鮮な感覚。その総力戦でこの難局を乗り越えていこう。その気概を感じる今日の集まりとなりました。
公明党東京都本部主催による、夏季議員研修会に参加してきました。毎年この時期に開催される研修会です。その時々の重要課題をテーマに講師の方を招いています。
今年は、東京大学医学部付属病院の中川恵一放射線科准教授による講演でした。中川先生は、がんの高精度放射線治療を専門とされており、今回の福島第一原発事故における放射線とがんについてお話されました。
先生は、放射能に対しても、正しく認識することが大切であると述べられました。
また日本では、2人に1人はがんになる時代であり、なんと男性は6割の人ががんになる時代に入ったそうです。それでもがんに対する取り組みは後進国であり、欧米諸国が減少しているのに対し、日本のがん患者は増えているとのこと。がんの早期発見は健康なうちに受診することにつきると述べておられました。
この後、原子力政策について斉藤幹事長代行が、国政について山口代表がお話されました。
羽村市では18人の議員がおります。それぞれ異なる考え方をもつ議員で構成されるのが議会です。その議会を円滑にかつ効率的に進めるために打合せをする会を、議会運営委員会といいます。この議会運営委員会は、議会運営の責任者である議長の諮問的な位置づけを帯びた機関と言われています。
今日は9月議会に向けて議会運営委員会が開催されました。議案や一般質問、陳情書や日程・会期などについて話し合われました。初日は9月6日で、30日まで開催されます。特に9月議会は決算審査特別委員会も開かれる大切な議会となります。
私も前回議会運営委員会の委員としてその一端を担ってきました。今回は副議長として議長を支え議運を見守る立場となりました。議会運営に関しても私自身まだまだ学び続けていかなければなりません。
今日の議会運営委員会を拝見し、なにをするにしても、基本を踏まえることが大切だと思いました。どう振る舞うことが市民の皆さまの期待に応えていける議会になるのか、議会改革・議員改革を18人の議員諸氏と共々に推し進めていくことを改めて自覚しました。
その後は、会派の打ち合わせ。そして調査活動、市民相談の対応と今日もあっという間の一日となりました。
午前中は、羽村市の通級学級に通う児童・生徒、そして卒業生、保護者が年に一度集まる行事が開催されました。今年で10回目となる行事名は、「集まる日の会」。会場となったのは松林小学校の体育館でした。
朝の会の後、集団遊び、そうめん流し、スイカ割りと楽しい行事が続きました。毎年準備の段階から通級の卒業生たちもスタッフとして手伝っているそうです。
案内状を見て喜々として集う通級の卒業生。中学生になった人、高校生、大学生、社会人もいます。皆さん年に一度のこの行事を楽しみにしていました。
お世話になった先生に会える、仲良しの友人に会える、先輩に会える場、自分たちが素でいられる安心の場なのでしょう。参加された皆さんの顔を拝見して、羽村市の通級学級の質の高さを思いました。
行事の後の反省会では、中学生たちが大学生や社会人となった先輩たちに進路についてアドバイスを受けるそうです。かしこまらず、行事の後なので自然体で話ができるのだと担当の先生は言っておられました。
教育の成果は卒業生を見ればわかると言われます。今日集った後輩を思う卒業生の姿に接し、羽村市の通級学級の取り組みが、長年にわたって真摯に行われてきた証を見させていただきました。
日ごろより真剣に教育現場で戦っておられる教師の皆さまに、心から敬意と感謝を申し上げます。羽村市の特別支援教育が更に充実するよう、私なりに支援していく決心です。
夜は、福祉施設の夕涼み会にご招待いただき、楽しいひと時を過ごさせていただきました。
今日の公明新聞に、診療放射線技師の主張が掲載されておりました。私も同意見で、関心をもって読ませていただきました。
新学習指導要領に、30年ぶりに「放射線」に関する内容が組み込まれることになったことを評価する内容でした。
放射線の人体への影響を考える場合、3つの観点が重要になってくるとのこと。第1が、どれだけの量を被爆したのか。第2が、外部被爆か内部被ばくか。第3が、子どもなのか大人なのかとの観点でした。
その上で、放射線被ばくを避ける方法を3つ提示。1つが、放射線源より距離をとる。2つ目が、被ばく時間を短くする。3つ目が、放射線源を鉛等で遮蔽することだそうです。
この放射線防護の3原則を知っておくだけでも、被ばく線量を少なくすることができます。今後の放射線教育の充実に期待したいと思います。
昨日、日本記者クラブにおいて公明党の斉藤鉄夫元環境相が、党のエネルギー政策について講演をしました。
再生可能エネルギーの導入促進を図るべきとの骨子で、公明党のエネルギー政策は「段階的に原子力への依存を減らす方向」との見方をしましました。また、電力の安定供給と二酸化炭素排出量削減も同時進行との考えにも言及。
羽村市の6月定例議会、即刻に脱原発を進める意見書が他会派から提出されました。おおむね主旨は理解できるものの、段階的に原子力発電への依存を減らし、クリーンで安全な代替えエネルギー政策を推進していくことが現実的であるとの考えを、公明党として示しました。
今後ともエネルギー政策に強い関心をもちながら、9月議会へ臨んでまいります。
午前中は一般質問の通告書を提出してきました。おそらく質問する日は、9月6日の最後か、9月7日の最初になりそうです。
午後は東京たま広域資源循環組合議会の議員として、埋め立て処分事業とエコセメント事業を視察してきました。
この組合は、多摩地域の25市1町の自治体で構成されている一部事務組合で、日の出町の二ツ塚に廃棄物広域処分場があります。多摩地域に住む約400万人が出すごみの一般廃棄物を処理しています。
長いトンネルを抜けて目に飛び込んでくるのは大きな工場施設です。ごみの中間処理施設から運びこまれた焼却灰をもとにセメントを作る工場です。このセメントを、「エコセメント」といいます。
エコセメントのメリットとして、埋め立て処分場の延命化が図れたことだそうです。当初は平成25年には埋め立て地はいっぱいになる予定でしたが、エコセメント事業によって30年以上いっぱいになる時期を延ばすことができたとの説明を受けました。また、エコセメント工場の建設によって、極端に埋めるごみの量が減ったそうです。
一昨年でしょうか、徳島県の上勝町に視察に行ってきました。その町は清掃車が一台も走っていない町でした。町民の一人ひとりが資源回収所に自宅から出たごみを持っていくのです。そして約40種に分類してごみというものを出さない。すべて資源とするという循環型社会の模範ともいうべきところでした。
自然環境豊かな日の出町に穴を掘り、ごみを埋める施設を建設。さらに膨大な金額を投資してエコセメント工場を作る。逆説的な考えかも知れませんが、ごみがゼロの社会になると、この施設も必要なくなります。
そのような社会の建設は、人の価値観を大きく転換しないと出来上がらないのかもしれません。今日の視察を通し、改めて「ごみゼロ」社会に向けての挑戦を確認させていただきました。