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バックナンバー 2011年 4月

選挙に当選した市議会議員の任期は4年です。羽村市議会議員の場合は、平成19年の5月1日から平成23年4月30日でした。つまり今日で任期が満了となったのです。

今回勇退された公明党の市議会議員も今日が最後となりました。12年間の活躍本当にお疲れ様でした。また、他会派でも勇退された議員の方もおられます。主義主張は違っても、市民の皆さまの付託を受けて活動されてこられたものと信じております。今後ともそれぞれの得意な分野で、社会貢献されていかれるものと確信いたします。心よりご検討をお祈り申し上げます。

また今回の当選者は、いよいよ明日からが任期の始まりとなります。心してこの4年間、働いていかなけれなりません。選挙広報やはがき、あるいは演説や相談などで述べてきた約束を果たすための戦いが始まります。

私もその一人として、責任と自覚をもって今日から明日へまい進してまいります。

今日は二つの小学校で学校公開とPTA総会が開催され参加させていただきました。

午前8時20分、児童たちは自分の好きな本を取り出して黙々と読み始めました。朝の10分間読書です。

その後も各教室を廻り、他の学校に移動して、そこでも授業を参観させていただきました。

また午後からはPTA総会に参加しました。小作台小学校では、最初にOJB(小作台ジュニアバンド)の演奏があり総会が開会。また東小学校では、総会最後に羽村市東ジュニアオーケストラが見事な演奏を披露してくれました。

地域と学校と保護者が一体となって子どもを育む時代を拓きたいものです。

今日羽村老人クラブ連合会、通称羽老連(はろうれん)の定期総会がありました。また午後から、地元の老人会でも定期総会が開かれました。

そこでお話させていただいたことは、急速に高齢化していく社会で、今後は「支えあう社会」「共生の社会」が大切になってくること、そして、対立から対話への転換が必要なことなどでした。

計画停電の影響で市内施設が閉まり、人と人とが交流する場が失われました。改めて、直接会っての対話が大切であるかを痛感した体験となったと、多くの方がうなずいておられました。

羽村市公明党として、今回3人から4人と1名増となりました。選挙結果がわかった翌日、当選証書を受け取ったその直後に、4人で集まり6月議会の一般質問の打ち合わせをしました。

先輩議員が勇退して、2人が新人の議員です。皆で意見を出し合い、強い政策集団として団結して頑張ってまいります。

選挙を通し、多くの方からいただいた貴重なご意見を、政策として練り上げていく作業が開始されます。休むことなく、弛むことなく戦いを進めてまいります。

「自分たちが出来ることは何でもしたい。」大震災の復旧・復興支援に対し、多くの羽村市民の皆さまは、このような気持ちを持っておられます。その声をかたちにしたエピソードをご紹介いたします。

今年も羽村市のチューリップも40万球の花が満開となり、多くの観光客に訪れていただきました。チューリップの球根植えや球根掘りは、農家の方と市民、市と観光協会等が協力して取り組んでいます。さらにそれを支えておられるのが、田んぼを所有されておられる農家の方とその仲間たちです。

今年のチューリップまつりは中止となりましたが、訪れてくれる方に少しでも楽しんでもらおうと、焼き鳥などのお店を出して、そこに義援金の箱を設置されたのです。4月1日から22日間設置をして、7万925円が集まりました。募金の中には、旧1万円札や百円札など今では珍しいお札も入っていました。

市長に手渡した後、今後の観光振興について意見交換されておられました。

羽村市長に義援金を提出 (いしい撮影)

被災地の子ども達の心のケアを目的に絵本を寄贈する運動が始まっています。

東日本大震災の被災地に真心のエールを送ろうと、大阪府の大東市で今月3日、市内在住の青年有志らでつくる「ブック・エイド大東事務局」が復興支援イベントを開催。

イベントでは、被災地の子どもたちの心のケアに役立ててもらおうと、絵本の寄贈(ブック・エイド運動)コーナーが設置され、この日だけで1055冊が届けられたそうです。

しかし絵本なら何でもよいとは限らないと思います。被災地の子どもの状況に合わせて、希望がもて、夢がふくらみ、心が温かくなるような内容の作品にすべきでしょう。

何人かの児童文学者の方にお伺いしましたところ、考えておらくれるそうです。私もできることを応援したいと思います。

統一地方選挙の後半戦が終了しました。羽村市でも18の定数に対して21人が立候補。まれにみる大激戦となりました。そして、今日の午後、当選証書授与式に参加させていただきました。

今回の選挙は、国難とも言うべき東日本大震災を受けての選挙となりました。自転車遊説とか自粛選挙というような表面的なことよりも、この人はどんな政策をもって立候補するのかを、心ある有権者は選択したかったのではないかと思いました。

だから私は政策を堂々と辻々で訴えさせていただきました。震災後の自らの行動とこれまでの実績、今後10年のビジョンなどです。花粉症で傷んでいた咽を酷使してガラガラになってしまいました。

選挙戦最終日の夕刻、羽村市の東天に大きく鮮やかな虹がかかりました。どんなに大変な時でも、人は希望を失ってはいけない、自らの力を信じて前に進むのだ。虹はそう語っているようでした。大きく弧を描いたその上を飛行機雲が一直線に登っていく様は、感動さえ覚えました。

私自身、さらに研鑽を重ね、多様な人々の中で人格を磨き、陽出ずる世紀を目指し、凛々しく立ち上がってまいりたい。

今日立ち寄った根がらみ前の水田は、一面が鮮やかな絨毯となっています。羽村市は40万球のチューリップが満開の季節をむかえています。多くの方が赤、黄、紫、ピンクなど様々な種類のチューリップを堪能していました。

このチューリップの球根は、私も毎年参加させていただいている市民ボランティアの手により一つひとつ植えられたものです。さらに農家の方の努力もあります。観光協会の方々の尽力もあります。皆さまに感謝です。

いよいよ明日は選挙の告示日です。7日間にわたる選挙活動が開始されます。皆さまと共に紡いできた実績と公約をしっかり語ってまいりたいと思います。

現在の公職選挙法では選挙期間中のホームページの更新ができませんので、このブログもしばらくお休みとなります。

ご覧頂いている皆さまに感謝し、また再開できるよう頑張ってまいります。

救急医療情報キットの配布がいよいよ開始されます。市では現在要綱を作成中とのことであり、本年6月くらいから配布できる見通しだそうです。

昨年12月の議会で高齢者対策の一つとして議会質問させていただきました。救急医療情報キットとは、高齢者や障害者など、かかりつけ医や持病などの医療情報や、薬剤情報提供書・診察券・健康保険証のコピー、本人の写真などの情報を専用の容器に入れ、自宅に保管しておくことで、万一の救急時に備えるものです。

この大震災で、このような事前の準備がいかに大事であるかと思いました。高齢者でなくても、持病をお持ちの方などは、薬の処方箋などを救急用バックなどに入れておくのも大切でしょう。阪神淡路大震災でもこのことは指摘されておりました。

さらにこの制度が拡充され応用されるよう頑張ってまいります。

この3月で皆さまから頂いた大切な声、市民相談件数も3300件を越えました。お話いただいた皆様にこころより感謝申し上げます。

なにより私にとって、現場の声ほど大切なものはありません。その一人の声から政策は生まれ、議会質問ができ、行政施策も変わっていきます。議員はどこまでも市民の側に立つことが大切だと思っています。政治の光があたっていない分野があれば、それを取り上げスポットライトをあてる。これからも、「生活弱者」という言葉をなくすため戦いつづけてまいる決心です。

今日、「選挙広報はむら」が届きました。羽村市議会議員選挙を知らせる内容です。4月17日に告示され、4月24日が投票日となります。

大切な一票が次の市政の方向性を決定づけます。どうぞ投票所に足を運んでいただきたいと思います。また、当日都合の悪い方は、期日前投票が気軽にできます。4月18日から4月23日の期間で、時間は午前8時30から午後の8時まで、市役所分庁舎の1階で行っておます。

私も8年前に初当選させていただき、この期間皆さまと共にたくさんの実績を残させていただきました。現在のホームページに掲載させていただいている実績は、任期が4年ということでその後半の4年間での主なものです。

一人の声を大切に、さらに声にならない声を敏感に感じ取りながら、誠心誠意頑張ってまいりたいと思います。

清流地区から多摩川に向にて羽村の堰を望む桜

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羽村市 石居尚郎
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