大変な大災害、大被害です。なにより人命救助、人命保護が重要。早急な救援、一人でも多くの命を救う支援を望みます。テレビ報道を見ては何もできない自分にもどかしさを感じます。被災された方にお見舞いを申し上げ、心よりお祈り申し上げます。
今日も地元を一日中廻り、地震での被害状況を聞いて歩きました。思った以上に帰宅困難になった方が多いことに驚きました。今日の未明に帰宅した方、午前中に帰宅した方、午後に帰宅した方など、それぞれが工夫して一夜を明かしておられました。また、羽村市内で帰宅困難になりホテルに宿泊した方もおられたようです。
まだ各地で余震が続いています。予断を許さない状況です。ともかく緊張して万全を期していきたい。
今日は予算特別委員会の初日でした。午後3時前、議会中に突然の地震。市役所の5階にいた私たちもしばらくの間、大きな揺れを感じました。今後の対応を考慮して、委員長は散会を宣言。
その後、市内を巡回してみました。羽村市では大きな被害はなさそうでした。一人暮らしの高齢者の方々を中心に訪問し安否を確認。揺れが長くとても怖かったとの声。
時間が経つにしたがい東北地方を中心にだんだんとその被害の大きさがわかってきました。関東でも帰宅できない多くの方がおられます。国も地方も全力で復旧にあたるべきです。被害に遭われた方に心よりお見舞いを申し上げます。
ともかく、今後、通信や電力等ライフラインの影響も受けるかもしれません。これ以上被害が広がらないことを祈ります。緊急事態を想定してしばらくの間は緊張して対応してまいります。
多文化共生の社会。羽村市にも海外から日本に来られ暮らしている方がたくさんおられます。多文化共生とは、互いの文化を尊重して共に同じ社会で助け合って暮らしていくという意味です。
羽村市では、長年にわたって日本語を教えるボランティアの方々が活躍されております。今日は、そのお一人と懇談させていただきました。以前から交流のある方で、多文化共生は議会でも質問させていただいております。羽村市もボランティアの方の活動に期待しており、協働して支援することを議会質問の中で支援を約しています。
他の国々から来られた方は、生活様式や言語が異なります。多文化共生の精神も日本社会に根付いているとはまだ言えないでしょう。そうした中でボランティアの方々の存在が大きいのです。利用者の方は、言葉を教えてもらうだけでなく、人と人との関わりで信頼関係が生まれ安心して暮らしていけると言っておりました。
多文化共生の社会構築に向けて、私のできる活動を今後とも皆さんと共に推進してまいります。
羽村市には防災無線放送設備があります。緊急時など大切な情報を市民の皆さまに伝えるものです。
今晩も「ウヲーン、ウヲーン」と大きな音が響き、火災発生のお知らせがありました。同時に消防車の出動する音も響いています。私もさっそく現場に急行。幸いなことに誤報で、火事ではありませんでした。
火災発生の合図とともに、6分団ある羽村市消防団員は各分団の消防車に乗って直ちに出動します。消防署からも来ます。そうして現場では10台以上の消防車でいっぱいになります。たとえいたずら電話あっても出動するのです。火事でなかったことに安堵して皆さんは解散しました。
その後ろ姿を見ながら、安全・安心を日夜守っておられる消防団の皆さまに心から感謝しました。いつも本当にありがとうございます。
今晩ご挨拶にお伺いしたお宅は、4年前台風被害に遭ったお宅でした。自然と大変だったその時の話となりました。
平成19年年9月7日未明、台風9号による影響で多摩川の水位が急激に上昇し、東京都西多摩地方も大きな被害にあいました。この時、市内に降った雨水を多摩川に放流している那賀幹線開渠部から雨水等が逆流し、羽中4丁目付近では床下・床上浸水の被害が発生。
早朝より市内をパトロールしていた私は、羽村市で唯一水田のある根がらみ前水田地域にも行きました。河岸段丘になっている地形の多摩川沿いにある集落は水浸し、イネも水につかっている状態。見回りを続ける中で、「一番早くかけつけてくれたね」と声をかけていただいた農家の方も心配そうでした。
土手に登り多摩川を見れは、すぐ足もとまで水位が迫っていました。消防団の方が、周辺に溜まった水をポンプで多摩川に流していました。一方、市役所の担当の方も多摩川の水位を見ながら、開渠部の放流を始めるタイミングをはかっていました。その場の状況を見ながら、市の職員の方や消防団の方と、排水ポンプの増設の必要性を話し合いました。その後、改めて市に要請し、翌年には水上公園下に設置してある排水ポンプは、2台から3台へと増設されたのです。
数日後、多摩川上流となる奥多摩町にも被害状況を調査に行きました。V字型に切りたった川の地形は、激流を生み、その被害を大きくしていました。川沿いに続く東京都が管理する遊歩道も、山から崩れた大きな石や木が転がっており、先には進めませんでした。旅館を経営されている方にも当時の状況を聞きました。早速、公明党の奥多摩町議会議員と都議会議員と連携をとり、その後復旧されていきました。
安心・安全なまちを目指し、さらに現場を走ってまいります。4年前を思い出しながら、決意を新たにしました。
午前中から午後にかけては議会の4日目。市長提出議案を審議しました。再来週は予算審査特別委員会の開催です。今回は副委員長として委員長を補佐する役と決まりました。精一杯頑張ってまいります。
今日はうれしいお話をいただきました。神明台2丁目の信号設置の喜びの声です。
最初のご要望から何年かかったのでしょう。実は、公明党前市議の時代から取り組んだ課題でした。事故の絶えない交差点。カーブミラーを増設したり、注意看板を設置しても事故は減りませんでした。あきらめず、都議会公明党議員のもとへ。そこでいっきに前進し、ついに実現した信号でした。
大型トラックが行き来する危険な奥多摩街道。ご要望がありながら、なかなか設置場所が決まりませんでした。西学童クラブの完成にともない、話が進みました。心ある方が市に土地を提供いただいたおかげでした。
こうしたひとつひとつの物語が市民の皆さんとの共有の歴史となっています。これからもがんばり続けていきます。「ありがとう」の声に励まされた一日でした。


