熊本城の歴史
慶長12(1607)年、茶臼山と呼ばれた台地に加藤清正が当時の最先端技術と労力を投じて、名城熊本城を完成させます。
熊本城を築城した加藤清正(かとうきよまさ・1562年-1611年)が肥後に入ったのは、27歳の時でした。尾張(現在の愛知県西部)出身で、豊臣秀吉(1537年-1598年)とは、双方の母親がいとこ同士だったという説があります。
豊前小倉城の城主だった細川忠利は、2代にわたった熊本城主の加藤家が改易された後、肥後に入国しました。細川家は、織田信長(1534年-1582年)、豊臣秀吉(1537年-1598年)、徳川家康(1543年-1616年)に仕え、戦国の世の中をくぐり抜けてきた大名家です。
海外でも知られる「五輪書(Book of five rings)」の著者であり、江戸時代の有名な剣豪宮本武蔵は、寛永17(1640)年57歳のとき、藩主細川忠利に招かれ、現在の千葉城(ちばじょう)町付近で晩年を過ごしたと言われています。
明治10(1877)年2月におきた西南戦争で、熊本城は50日あまりにも及ぶ籠城戦の舞台となりました。
城内には熊本鎮台司令長官谷干城(たにたてき)率いる鎮台兵3500人が籠城して薩摩軍13000人と戦い、熊本城は近代戦を経験した城となり、また難攻不落の堅城であるということを名実ともに実証しましたが、開戦直前に天守と本丸御殿一帯が炎に包まれました。原因には放火・自焼などいくつかの説がありますが、いまだに特定はできていません。
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