安全・安心の横浜へ 「何を言ったかでなく、何をやったか!」

公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

「市民目線で是々非々の対応」について 5568

未分類 / 2022年2月4日

IMG_0370 (1 (3)昨日は経済局、こども青少年局、健康福祉局、国際局から来年度予算案の説明。終了後、横浜市の特別番組として制作される「予算市会の焦点」の撮影へ。予算案に対する公明党市議団としての基本的な考え方や注目点や課題についてお話しました。冒頭に述べた基本的な考え方は以下の通りです。

「今回示された予算案は、これまでの市政の継続性を考慮しつつ、人口減少時代に入った横浜の将来を考えながら作られているように感じます。昨年の市長選で、山中市長は「3つのゼロ」などを掲げられましたが、現在の任に就かれ、財源問題を直視された結果、それらが中々難しいということで、市政の持続可能性を鑑み、まず財政ビジョンの策定を始められることになったと認識しています。冷静な判断だと思います。その後に、中期計画を策定されるということですので、私共としましては、まずは今回の予算案について、市民目線の議論を通じて、是々非々で対応しようと考えています。

例えば、環境問題は最重要課題であり、脱炭素、2050ゼロカーボン横浜の実現に向けた取組みは理解しますが、世界との約束である2030年に2013年比46%のCO2温室効果ガス削減をどうするか。現状では全く足りませんので、早く計画を立てて、実行するよう求めて行きたいと思います。

また、デジタル化の推進に関して、防災や子育て、教育などの分野で大きく予算化されていることは評価しますが、重要なマイナンバーカードの普及は力強さに欠けると感じます。例えば、10万円の給付金事業も、マイナポータルに公金受取口座が登録されていれば、欧米のように即座に、速やかに銀行に振り込むことも可能です。

登録には、マイナンバーカードが必要となりますが、まだ40%程度の普及率です。来年度中の交付完了を目指すと予算案にありますが、カード普及に向け、国のマイナポイント事業について、すべての市民が円滑に申請できる取り組みを求めて行きます。

その他、福祉分野でのヤングケアラー支援や引きこもり対策への取り組みなど、足りないところもありますので、しっかり議論して参ります。」

予算議会、現場の声をカタチにします。

行政のデジタル化と「ホワイトハッカー」について 5567

未分類 / 2022年2月3日

IMG_0370 (3 (2)昨日も終日予算研究会。交通局、政策局、デジタル統括本部・総務局、医療局、市民局、文化観光局から予算案の説明を受けた後、来週行われる議案関連質疑の調整。

デジタル社会への対応のため、横浜市もDX(デジタルトランスフォーメーションの略 ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させるとされています)の推進に力を入れています。来年度予算案では、行政手続きのオンライン化、マイナンバーカード交付拠点増、図書館情報システムの構築などの行政サービスと共に、防災、子育て等の分野でのDX推進も盛り込んでいます。

デジタル化で便利になるのはいいのですが、システムが止まると何もできなくなったり、また詐欺やアカウントが乗っ取られたりと、「性善説」で利用できるほど安心できる環境でないことも事実かと思います。

先日、日経新聞「私見卓見」に「ホワイトハッカー」育てる環境を」と題して、EYストラテジー・アンド・コンサルティングディレクターの西尾素己氏が寄稿されていました。

「2011年、米国がサイバー空間を「第5の戦場」と定義してから10年。いまだ日本は十分にサイバーセキュリティー人材を有しているとはいえない。なかでもホワイトハッカーと呼ばれる、サイバー攻撃の実践的かつ具体的な知識と経験を持つ技術者は、日本に両手で数え切れるほどしかいない。

第5の戦場宣言のちょうどそのころ、私は世界中のホワイトハッカーと共に、犯罪グループよりも先に企業や政府のシステムに潜む脆弱性を発見し報告する活動をしていた。当時はこのような活動は煙たがられ、バグ報告に対する報奨金制度「バグ・バウンティ」も普及しておらず一銭にもならなかったが、多くのことを学んだ。その後複数の企業を経て、現在はコンサルティング会社や大学教授の立場で企業や政府のサイバーセキュリティー戦略を提言している。

サイバー攻撃能力の獲得は各国が知恵を絞るテーマだ。サイバー攻撃能力を国家の定める正義の基準で活用するホワイトハッカーの育成には、極めて実践的な知識が不可欠。この能力をいかに合法的に蓄えるかが最も重要な論点だ。

欧米諸国はサイバー犯罪者を司法取引で取り込み、情報機関や軍主導の超法規的な活動を通じて彼らの攻撃能力を汎用化し「サイバー兵器」へと昇華させている。中国はIT(情報技術)企業に政府の要請で活動するサイバー攻撃部隊が存在する。ロシアに至ってはサイバー犯罪グループとの密約で国外での犯罪活動を黙認するのと引き換えに、政府との協力関係を構築しているとされる。

各国がかなり際どい例を含めてサイバー攻撃能力の獲得と活用に取り組む中、日本はいまだ法の枠組みにより「防衛」に徹する。日本は国内で攻撃経験の蓄積が困難であることを前提に、国際刑事警察機構の捜査の一環として攻撃オペレーションに参加するなど、国外で合法的に攻撃経験を蓄積すべきである。常にシステムの隙を狙う「攻撃者」の目を持つ人材こそ、日本が育成すべきなのだ。

政府の対策は十分とは言い難く、民間企業はサイバー攻撃に対して自己防衛する必要がある。企業内にホワイトハッカーの適切なポジションと、彼らがすべき「仕事」を定義することが第一歩だ。」

横浜市に限らず、多くの自治体では比較的閉鎖的なネット環境により、外部からの侵入を防ぐようにしてきましたが、DX拡大で今後はより外に門戸を開くことになるようです。更なるセキュリティの強化などは必須となります。

人材の確保と育成。重要課題です。

災害対策「ゲリラ豪雨」予測について 5565

未分類 / 2022年2月2日

IMG_0370 (1 (4)昨日は終日予算研究会。建築局、都市整備局、財政局、道路局、港湾局、水道局から予算案の説明を受けた後、来年度予算案とは別に本定例会に提案された議案関連質疑の調整。なにかとあります。

災害対策は喫緊の課題。想定外の自然災害が続く中、徹底した防災減災対策が必要です。横浜市の危機管理室は、日頃から横浜地方気象台と連携を密に、市民への情報発信をしています。

先日、日経新聞がゲリラ豪雨の被害防止に向け、国が次世代レーダーを開発するとの情報を発信していました。

「政府は頻発する豪雨災害を受け、雨雲を迅速に予測できる体制整備に乗り出す。総務省は2022年度から雨雲の検知時間を従来の10分の1まで短縮できる次世代レーダーの開発に着手し、25年度の実用化をめざす。気象庁も22年末までに各地の気象レーダーを更新して予測能力を強化する。深刻さを増すゲリラ豪雨の被害防止につなげる。

気象庁によると、日本で1時間当たりの降水量が50ミリ以上の大雨の発生回数は11~20年に年間で平均334回程度と、1976~85年の約1.5倍に増えた。2018年の西日本豪雨では愛媛県、広島県、岡山県など広範囲に被害が及んだ。21年7月の静岡県熱海市の土石流被害など甚大な被害も相次ぐ。

大きな雨雲の発生から豪雨が降るまで15分程度の事例が多い。雨雲をより早く検知できれば準備や避難の時間を確保でき、被害を軽減できる。

総務省が所管する情報通信研究機構(NICT)は22年度中に神戸市内と大阪府吹田市の拠点に新型の雨雲レーダーを整備する。雨粒を立体的に検知する技術により、雨雲の発生をいち早く把握できる。従来5分かかっていた所要時間は30秒程度に縮まる。(中略)

総務省、気象庁ともに必要経費を21年度補正予算に計上した。豪雨被害を防ぐ先端研究は各国にとっても課題だ。豪雨被害が増える中国や竜巻が多い米国でも短時間で雨雲などを観測できる気象レーダーの開発が進む。総務省によると雨雲を高精度で検知する技術は日本に一日の長がある。」

最先端技術を取り入れながら、横浜市民を守る取り組みを求めて参ります。

「ヒトの壁」「ああすれば、こうなる」について 5564

未分類 / 2022年2月1日

IMG_0370 (3昨日、横浜市会第1回定例会開会。本会議を終え、予算案を説明する予算研究会が始まりました。昨日は教育委員会、消防局、温暖化対策統括本部・環境創造局、資源循環局からの説明を受けました。

ところで、先日、市役所の書店に並んだ養老孟司氏の近著「ヒトの壁」を手に取りました。いわゆる「壁」シリーズの6作目。いつも面白いです。

前作にもありましたが、今回も記憶に刻まれた言葉のひとつが「ああすれば、こうなる」。「都市は『ああすれば、こうなる』を優先する意識が作った世界である。しかしいかに意識が優越しても、統御できないものが存在する。人個人に当てはめるなら生老病死がそれであろう。それを押しとどめようとしても、人力及び難しである」。都市の「根源はヒトの意識という秩序活動にある。じゃあどうするか。秩序を高めようとしなければいい。それが真の省エネである。合理的、効率的、経済的にものごとを進行させる。それ自体の非合理性、非効率性、非経済性はコロナ騒動でよくわかったのではないか」。

「ああすれば、こうなる」。確かに色んな場面で「あるなあ」と思います。

面倒なのが、成熟した社会にありがちな、過去の成功体験を引きずった「ああすれば、こうなる」。しかし、問題の根本的な何かが変わらなければ、見た目を変えても、こねくり回しても、何も変わらない。それどころか、状況は悪化を続け、周りも迷惑。わかっていても「変える勇気」がない。一度止まって、まわりの声を聞きながら、ちょっと考えた方がいい。

一方、実験のように、何かに挑戦し、もし失敗しても、その原因を確認して修正し、次に挑めばその実験も価値あるものになる。しかし、失敗の反省なく、挑戦を続けるだけで、いつも同じような失敗を繰り返すケースがある。原因を「直視する勇気」がない。これは価値を見出しにくい。学習効果の乏しい「ああすれば、こうなる」。

いずれにしましても、養老先生の指摘は、いつも的を射ているなと思います。

先日、日経新聞が書評を掲載していました。

「ベストセラー「バカの壁」で知られる解剖学者、養老孟司(84)が新著「ヒトの壁」を刊行した。新型コロナ禍で浮き彫りになった、ヒトの脳が抱えるどうしようもないちぐはぐさに注目する。

心や社会の問題を医学の知見を交えて論じた「バカの壁」(新潮新書、2003年)で、人間は「自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている」と指摘した。同書は450万部を突破し、平成を代表する新書となった。「一番大きいのは強い主張があるわけじゃなかったから、反感を買わなかった。読んで不愉快になると誰も買ってくれないから。すんなり入ったのではないか」。広く受け入れられた理由を淡々と話す。

現代人の盲点

コロナ禍は「現代人の人生に関する根源的な問いを、いくつか浮かび上がらせた」とみている。21年12月の新刊「ヒトの壁」(新潮新書)では、テレビ画面でさして疑問もなく並んで映し出されるコロナウイルスの電子顕微鏡写真と人体の対比に注目した。この2つ、実際には大きさがまったく違う。

極小のウイルスを見る精度でヒトの細胞、個人、社会を見ようとしたらどうなるか。「細胞ですら大き過ぎて、情報処理が完全にはできない」。そこに「現代人の盲点」が隠されていると考察する。

細部を科学的に見ようとすればその分、全体は膨張する。これを「部分を見れば全体はボケる」と表現する。それぞれ目線が違う専門家や官僚、政治家らが集まって議論するコロナ対策の、ちぐはぐさの一端がそこに見いだせる。

コロナ禍では日々発表される感染者数などの統計数字が「事実」として認識されている。こうした現代人の認識も「いわば神様目線である」と疑問を呈す。

かねて「死は二人称でしかない」と述べてきた。一人称の「私」が死んでも、死んだ時には「私」はいない。三人称は「誰かの死」であって、ヒトの感情は動かない。二人称の「知っている人の死」だけが確実にヒトに影響を与える。「数字は、本来は抽象的だ。僕の周りでコロナになった人はいなかった。数字は自分の目で確認した『事実』ではない」と話す。

普段は言いたいことがたまってから1つのテーマに沿って執筆するスタイルだ。本書はステイホームで空いた時間に、雑誌や新聞の求めに応じたテーマで書いた文章をまとめた。それがかえって自身にとって「抽象的」と思えたコロナや、「無関係」であった五輪などにも目を向けさせ、幅広いテーマについて考察を重ねる機会となった。

20年夏には、心筋梗塞を患い、闘病も経験した。80代になっての大病で、死生観に変化はあったのだろうか。「そんな劇的なものではなかった。だって痛くもかゆくもなかったから」

今でも発見の日々

一方、生活スタイルには変化が生まれた。「運動は虫取りだけ」と公言していたのが、自宅周辺の1時間の散歩が日課に加わった。「ただ歩くだけじゃつまらないから」と、草花の写真を撮影してアプリで種類を調べながらのウオーキングだ。日々の発見の多さに「いかに今まで無視してきたかがわかる。去年と比べて全然花が咲いていないとか気づく」と目を丸くする。

最近では長年かわいがった飼い猫「まる」の死も大きな変化だったという。「(仕事などで)硬いことばかり考えているから、まるの顔を見ると力が抜けた。それがなくなったから、考えがだんだんとがってしまう」。寝ているまるの頭をたたくのが癖だった。「しょうがないから、今はお骨をたたいている」とつづり、その不在と向き合っている。」

よろしかったらどうぞ。

「ドライブ・マイ・カー」について 5563

未分類 / 2022年1月31日

IMG_0370 (1 (4)我が家のポスターを三浦のぶひろ議員と山口代表の連記に貼り替えました。夏の勝利に向けて動きが続きます。

埼玉県で発生した立てこもり事件。医師が猟銃で打たれ死亡。犯人は「母が死んでしまい、この先いいことがないと思った。自殺しようと考え、自分1人だけではなく医師やクリニックの人を殺そうと思った」と供述。訪問看護師の約半数が現場で暴力を経験。米国では2人で訪問し、うち1人は警察官か警備員とのことです。他方、12月に大阪市北区の心療内科で起きた放火殺人事件。25人が死亡。

以前、精神科医の片田珠美氏が新聞への寄稿で、復讐願望が強いと、「一人で死んでたまるか」という心境になりやすく、できるだけ多くの人々を巻き添えにして、拡大自殺を図ろうとする。このような復讐願望の根底には、自分の人生がうまくいかないのは「他人のせい」「社会のせい」と考える他責的傾向が潜んでいることが多い。当然「自分だけが割を食っている」という被害者意識も強い。

他責的傾向と被害者意識が強いと「なぜ自分だけがこんな目にあわなければならないんだ」と考えやすい。だから多くの人々の命を奪う無差別大量殺人であったも、本人の思考回路の中では、正当化されてしまう。

被害者意識が強く、他人のせいと考える人が増えており、今回の事件の模倣犯が出るのではないかと危惧している。」と指摘されていました。

まだ見ていないのですが、最近話題の映画「ドライブ・マイ・カー」は「拡大自殺」を描写しているとか。

先日、日経新聞コラム「春秋」が記していました。

「昨年のカンヌ映画祭に続き米国で数々の批評家賞を受賞、3月に決まる米アカデミー賞でも有力候補という。濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」を遅ればせながら映画館で見た。劇中劇の形で主人公の心情を代弁する舞台「ワーニャ伯父さん」の台詞(せりふ)が心にしみた。

「泡と消えた人生!」「ああ、気が狂いそうだ……」「母さん、ぼくはもうダメです」。チェーホフの名戯曲には、人生を棒に振った中年男の悔恨と絶望の嘆きがあふれている。ヤケを起こして正気をなくし、ついには拳銃を振り回す――。いつしかその姿はスクリーンを抜け出し、現代の光景と二重写しになって見えた。

「人生を終わらせてほしい」「死刑にしてくれ」。昨年来、いくたび同様の叫びを聞いたことか。無関係な人々を巻き込んで、自分のみならず他人の人生をも終わらせようとするおぞましい犯罪。許せない、とただ憤っても「拡大自殺」と今風の言葉でくくってみても、彼らが抱える闇を理解したことにはならないだろう。

せめて絶望という病に寄り添う言葉はないものか。ワーニャには心優しい姪(めい)が語りかける。「生きていきましょう。長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう」(浦雅春訳)。映画の主人公には悲しみを潜(くぐ)った人との交感がある。もちろん人生は映画のようにいくまい。それでも、と寒空の下ドラマの余韻に身を沈めた。」

人の命は今の一生で終わるのかどうか。宿命を変えることができるのか。「生老病死」など自分に力ではどうしようもない宿命にさいななまれる人生。

人は生まれながらに違いがあり、生きていく中で現れる違いもある。自分らしくと言われても、「なぜ自分だけが」と思う心。

乗り越える力、宿命を変える力、外でなく自分見つめ変革させる力。そして、寄り添う力。

それが信仰の力かと思います。

横浜市「環境課題マッチング会」について 5562

未分類 / 2022年1月30日

IMG_0370 (1 (4)昨日は朝から晩までオンライン。会議、会合、環境イベント、政治学習会の計4本。オミクロンの拡大が深刻です。

そのうちの一つ。横浜市が2050年までの脱炭素化「Zero Carbon Yokohama」の実現と SDGsの推進に向け、若者の視点を取り入れるため「企業等×学生の環境課題解決マッチング会」を開催。私は温暖化対策・環境創造・資源循環委員会に所属。勉強のため参加しました。

参加企業が提示した環境課題に対し、6つの市内大学生チームが、事前のヒアリング 等調査・研究をした上で具体的な解決策を提案。 提案された解決策は、実現可能性などを総合的に審査員が評価。また、大学生からの解決策提案と共に、高校生からの環境発表も行われました。

Z世代の具体的な提案、積極的な姿。それこそ、彼ら彼女らが、どんどん活躍できる環境を作らなくてはと感じました。

企業が提示した環境課題テーマ。例えば、IKEA港北は「サステナビリティー(持続可能性)をいかに消費者の方に身近に感じていただき、日常生活の中で意識をしていただけるか? 特にサステナブルで健康的な生活を送る為にどのような意識が必要なのか」。

株式会社 Looopは「企業の経営者や幹部に対して、収益拡大(コスト削減含む)と同時に脱炭素経営の必要性を理解させることができるのか? 」を提示。これは市にしてみますと、横浜市民の脱炭素への行動変容をどう促すかにも通じる課題。

その他、株式会社大川印刷、株式会社横浜八景島からも課題が提示され、学生たちから解決策が提案されました。

問題はここからどうするか。イベントは「手段」。「目的」は脱炭素。

これに限らず、あらゆる場面で「手段」が「目的」と化した場合に、それが達成されることはありません。

大事なことは、具体的な行動。「一歩を踏み出す勇気の後に歴史がある」。そう思います。

料理家から見た「豊かさの原動力」について 5560

未分類 / 2022年1月29日

IMG_0370 (1 (2)昨日は葬儀参列の後、市会で断続的な打ち合わせ。その間、横浜市の来年度予算案の発表会見が行われました。来週から予算議会が始まります。

先日、日経新聞の連載「成長の未来図」に、料理研究家・土井善晴氏のインタビューが掲載されていました。「豊かさの原動力、家庭に」との見出し。とても大事な内容だと思いました。

「経済成長が鈍り、従来の発展モデルが再考を迫られている。料理研究家の土井善晴氏は未来を切り開くヒントが家庭や生活の中にあると語る。食の領域を超えて幅広く研究者と交流する土井氏にこれからの社会のあり方を聞いた。

――豊かさを手に入れるには何が必要ですか。

「いまは色々なことが行き詰まっている。プロの料理界は進化しすぎ最先端のガストロノミー(美食)は分子料理といった化学の世界まで行ってしまった。音楽家も演奏技術の追求が極限に達して壁にぶち当たっている。同じように経済は合理性を過剰に追求してきた結果、地球温暖化や環境汚染が深刻になっている。自然や社会に様々なひずみが生まれてしまっている」

「経済の多くは家の外にあるものでまわっている。しかし私たちが根源的な豊かさを感じられるような、まだ発見されていないものは家庭や生活の中にある。誰だって幸せな家庭を築きたいと思っている。それを満たすものこそが次の経済の原動力になると思う」

――家庭では多くの女性が仕事と日々の生活の両立に悩んでいます。

「女性だけが家事を押しつけられるのはおかしい。大昔には男は狩りに行き女は家を守った。今は女性も外で一生懸命仕事をしている。状況を変えるには男も子供も料理をしてみてはどうか。私が提唱している『一汁一菜』(ごはんと味噌汁)という献立は何にも難しくない。時間や心に余裕があるとき魚を煮たり肉を焼いたりすればいい」

「料理は単に栄養を得るものではない。料理は利他性だ。料理を作ることは愛すること、作ってもらうことは愛されることだ。料理があることで家族が生まれる。そのときの家族は誰であってもよい。家のごはんが食べられない子供もいる。自分で料理を作って友達と食べれば、そこにも新しい家族が生まれる」

――経済には文化の土台が必要と主張しています。

「経済が弱くなっているのは文化の土台が弱くなっているからではないか。今までの日本は均一な商品を大量に生産してきた。多様性を重んじようといっても結局は均一的な方向に向かってしまう。そういった社会では文化は置き去りにされてしまう」

「家庭には多様性がある。それぞれの家にそれぞれのお雑煮があるように、家庭の中に文化がある。ヨーロッパを旅すると我々は豊かな文化に憧れを抱く。彼らには日々の生活を大切にする土台があるからだ。こうした生活の土台がなければ文化は次の世代に引き継がれていかない」

どの世界でも、「ひとかどの人」というのは人を納得させる力があることを感じます。

「カンニング」について 5559

未分類 / 2022年1月28日

IMG_0370 (3昨日は市会で断続的な打ち合わせの後、自民党主催の虐待を受ける大学生の生活保護制度適用に関する勉強会に参加。その後、お世話になった大先輩・手塚静江元議員の通夜に参列。

「そんな暇があるなら、○○できるだろ」「そんな根性あるなら、○○するなんて、なんてことないだろ」等々、他人の評価は簡単でも、本人にとっては大変なことがあります。このケースはどうだったのかわかりませんが。

大学入学共通テストの問題が試験中に撮影されて外部に送られた問題。19歳の女子大学生が香川県内の警察署に出頭し、関与を認めたことが分かりました。スマートフォンを上着の袖に隠して撮影したとの供述。警視庁が詳しいいきさつを調べているそうです。

日経新聞コラム「春秋」が記していました。

「中国の官吏登用試験「科挙」は、6世紀末に始まり、一時の中断をはさんで、20世紀初頭まで1300年も続いた。食料や布団を会場に持ち込み、泊まりがけで論語などの古典計62万字の知識を問う壮絶な一戦である。最終段階で、皇帝が臨席した時代もあったようだ。

合格すれば高位の役人の地位が約束され、教養人として尊敬を集めた。歴史家は「学識ある者が政治を行う文治主義が定着した」と制度を評価する。科挙はほぼ全ての男性が受験でき、その分、競争も激しかったらしい。不正の小道具として、細かい字がみっしり書かれた下着や指先ほどの豆本が今に伝わり、哀れを誘う。

21世紀、カンニングはデジタルの世界で繰り広げられるようだ。大学入学共通テストの問題の一部が、試験中に何かの機器で撮影されネット経由で流出。受け取った学生が解答を返信していたという。警視庁が解明へ動き出した。それにしても周囲が鉛筆を手に集中する中での不審な挙動、誰も気付かなかったのだろうか。

11年前、京都大の問題を試験中にネットへ投稿、答えを得た予備校生が逮捕された。携帯電話をももに挟み、隠れて入力したと聞く。そんな技を磨くくらいなら、と科挙の不正ツールを知った時と同じ、うら悲しさを覚えたものだ。焦りが勉学ではなく、あらぬ方への努力に向かう。昔も今も人を惑わす試験の魔物である。」

デジタルの悪用。大人の世界もそうですが、やめた方がいいと思います。

「こども家庭庁」の議論について 5558

未分類 / 2022年1月27日

IMG_0370 1 (((((「これって、本当ですか?」地元の保育士の方からメールが届きました。その方の友人が首相官邸ホームページ内を検索していると、「『子どもへの方針』2.大人や行政が主体となって家庭、学校、地域で取り組むべきことについて」との内容に関し、「子どもを厳しく『飼い馴らす』必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう」などの記述があったとのこと。「本当かな?」と思い確認すると、平成12年7月7日(金)教育改革国民会議第1分科会(第4回)の資料で、「一人一人が取り組む人間性教育の具体策」についての委員発言の概要にありました。世の中、様々な意見がありますが、自由とはいえ「日本の首相官邸のHPに相応しくない」旨のお声をいただきました。

今国会では「こども家庭庁」の議論が行われますが、先日、日経新聞コラム「春秋」が記していました。

「家庭」という言葉は江戸時代から使われていたらしい。飛田良文さんの「明治生まれの日本語」によれば、天明年間(18世紀末)には「家庭指南」なる書があったという。もっとも、現在とはニュアンスが違い「厳父が子女に示す教訓の意味を濃厚にふくんでいる」。

そういえば、古くは家庭教育を「庭訓(ていきん)」と言った。いかめしい雰囲気の「家庭」が、往時の武家社会などでは普通だったに違いない。それが明治の世になり、英語のhomeの訳語として広まってゆく。こちらは元来、ゆったりくつろげる場所を指すから苦しい訳である。イメージがずれたまま、1世紀以上がたつわけだ。

「こども家庭庁」創設のための法案が、今国会に提出される。かねて「こども庁」と呼ばれてきたのに、昨年末、与党との調整で「家庭」の2文字が入った。子ども政策に家庭への目配りは必須だが、親ばかりに責任を求める発想につながらぬか気になるところだ。虐待に苦しむ子にとっては、不幸にも家庭に救いはない。

にわかに「家庭」を掲げたのは、保守派の要望にも応えたからだとされる。もしかすると、そうした意識には「庭訓」の昔への郷愁でも潜んでいるのだろうか。ちなみに「明治生まれの日本語」によると、随筆家の小島烏水は普及してきた「家庭」という語を「せせこましい」などと退け、あえて「ホーム」と記している。」

様々な議論があるかと思いますが、現状認識も、施策を作るにしても、「子どもたちのために」「子どもたちの声を聞きながら」は大事だと思います。

公明党は昨年5月、当時の菅義偉首相に提出した「骨太の方針」などに関する提言の中で、省庁の縦割りをなくし、子どもと家庭を総合的に支えていく必要性を訴え、こども家庭庁の創設を提案、先の衆院選重点政策でも創設を求めてきました。

「子どもの幸せを最優先する社会の実現」に向け、施策の拡充に注力して参ります。

「事実誤認」と「ウソ」について 5557

未分類 / 2022年1月26日

IMG_0370 1 ()昨日は市会等での断続的な打ち合わせ。コロナの感染拡大で、青葉区はもとより横浜市内全域で保育施設の休所が急増しています。人手不足で医療・介護関係のシフトが組めないとの声。子どもを預ける先がない方々など影響が広がっています。感染者が出た場合、「休所でなく、部分休所の基準を見直せないか」「保育所関係者への3回目接種を前倒しできないか。子どもを見守る人がいなければ、医療も介護も救えない」「濃厚接触者の待機期間の見直しを」等々。当局に現場の声を届け、対策を求めています。

ところで、先日、「事実誤認」に関する気になる記事を目にしました。

辞書で確認しますと、「事実誤認」とは「事実を誤って認識すること、物事を間違えて実際とは異なる内容と理解することなどを意味する表現」のこと。間違いは誰にでもあると思いますが、間違えたと分かれば、訂正するなりするのが常識。とはいえ、世の中には「厚顔無恥」(あつかましく、恥を恥と思わないこと。 つらの皮があつく、恥を知らないこと)と言いますか、間違いをバラまいたまま、「ウソ」を本当のことのようにして、訂正すらしない困り者もいます。

公明新聞コラム「北斗七星」が記していました。

「先の衆院選で掲げた公約実現に奔走する公明党に対し、事実誤認に基づく批判には厳然と打ち返すことが大切だ。

昨年12月14日の朝。北斗子は大阪の壮年支持者からLINE連絡をいただいた。「今朝の民放ラジオ番組で、(18歳以下への)10万円の現金給付は自民党の主張であり、公明党がクーポンにこだわって混乱させていると放送していました」と指摘。事実は逆であり、あまりにもひどい誤報なので、「同じ時間帯で訂正するよう公明党として抗議してもらえませんか」との内容だった。

壮年個人としては番組宛てにメールで抗議したという。北斗子は早速、ネットアプリで放送を聴いた上で、党大阪府本部の石川ひろたか代表(参院議員)に壮年の訴えを伝えた。

対応は電光石火だった。その日のうちに府本部の担当者が、放送局側に電話で連絡を取り、放送内容が事実誤認であり、訂正してもらうよう要請。放送局側も放送内容を確認した上で、正式に事実誤認を認め、翌日の同番組内で訂正と謝罪を行った。長年続く人気番組であり、リスナーも多い。壮年の訴えがなければ、誤認情報と公明党の悪印象だけが流布されたままだったろう。

公明党の真価を地道に語り、理解者を拡大するしかない。勇気ある対話に挑みたい。」

この話は訂正・謝罪で落ち着きましたが、ひとたび「ウソ」だ、「悪」だと分かったならば、それを放置して動かなければ、「ウソ」が「事実」となり、大変なことになります。

世の中には、デマを餌に生きる輩がいます。許してはならないと思います。