「貞観政要」と「目安箱300年」について 5234
昨日は誕生日メッセージを頂戴しまして有難うございました。私から他の方の誕生日に発信していないので申し訳ないです。ご容赦ください。
中国・唐の第2代皇帝、太宗・李世民の言行録「貞観政要」。太宗と臣下が行った政治の要諦がまとめられています。北条政子、徳川家康、明治天皇も愛読したとされ、今も立派な方の愛読書として紹介されるケースが少なくありません。受験の時にはその名前を覚えただけでしたが、大学時代は薦められて解読本を読みました。最近では立命館アジア太平洋大学学長でライフネット生命創業者の出口治明氏が「座右の書『貞観政要』」と題して出版され反響を呼んでいます。
そこには、あらゆる組織におけるリーダーは、3つの鏡(三鏡)を持たなくてはならないとあります。
「鏡に自分を映し、元気で明るく楽しい顔をしているかチェックする(銅の鏡)」
「過去の出来事しか将来を予想する教材がないので、歴史を学ぶ(歴史の鏡)」
「部下の厳しい直言や諫言を受入れる(人の鏡)」
今の自分の表情(状況)、歴史、第三者の厳しい意見を知る。これらが不可欠であるというもの。「人の鏡」を持つかどうかは、賢者か愚者か、仁君か暴君かの大きな分かれ目。すっかり忘れたのか、そもそも知らないのかわかりませんが、それらが欠落した姿を時々見かけます。
他方、江戸時代には「目安箱」が市井の声を届ける力となりました。先日、公明新聞コラム「北斗七星」が記していました。
「時は江戸時代中期。町医者・小川笙船から幕府に投書が届く。市中の貧しい人々のために施薬所(薬を与える施設)を設けて。そのために薬園を開いて薬草の栽培を。また疫病の流行時に備え、病人を収容する無料の養生所を設置してほしいと。そして、この願いが小石川養生所の誕生へとつながる(『小説 徳川吉宗』、童門冬二著)
今年は幕政への声を募る「目安箱」が享保6(1721)年に設置されて300年に当たる。徳川7代将軍・家継が早世する中、紀州藩主として藩の財政を建て直した実績などから後継者になった吉宗。
将軍に就任後、徹底した倹約令を実施し財政改革などに取り組む一方、広く要望や意見を求めて政治に反映させていく。投書には、こうした「享保の改革」を痛烈に批判する内容も。
しかし吉宗は、「我が身の災難を顧みず、政治の是非得失について直言してくれるのは、天下の政道に是非とも必要(要旨)」(『徳川吉宗』、笠谷和比古著)と剛直の士を愛した。衆議の尊重とともに諫言の重要性を折りに触れ説いたという。
翻って試練の時代に直面する今こそ、衆望に応える政治が求められる。国民の不安を真正面から受け止め、政策として練り上げ制度化する。そこで初めて民主主義の原点である「国民のための政治」は実現される。」
政治家の「不可欠な資質」なんだろうと思います。自らの戒めにと思います。