昨日、横浜市会第1回定例会開会。本会議を終え、予算案を説明する予算研究会が始まりました。昨日は教育委員会、消防局、温暖化対策統括本部・環境創造局、資源循環局からの説明を受けました。
ところで、先日、市役所の書店に並んだ養老孟司氏の近著「ヒトの壁」を手に取りました。いわゆる「壁」シリーズの6作目。いつも面白いです。
前作にもありましたが、今回も記憶に刻まれた言葉のひとつが「ああすれば、こうなる」。「都市は『ああすれば、こうなる』を優先する意識が作った世界である。しかしいかに意識が優越しても、統御できないものが存在する。人個人に当てはめるなら生老病死がそれであろう。それを押しとどめようとしても、人力及び難しである」。都市の「根源はヒトの意識という秩序活動にある。じゃあどうするか。秩序を高めようとしなければいい。それが真の省エネである。合理的、効率的、経済的にものごとを進行させる。それ自体の非合理性、非効率性、非経済性はコロナ騒動でよくわかったのではないか」。
「ああすれば、こうなる」。確かに色んな場面で「あるなあ」と思います。
面倒なのが、成熟した社会にありがちな、過去の成功体験を引きずった「ああすれば、こうなる」。しかし、問題の根本的な何かが変わらなければ、見た目を変えても、こねくり回しても、何も変わらない。それどころか、状況は悪化を続け、周りも迷惑。わかっていても「変える勇気」がない。一度止まって、まわりの声を聞きながら、ちょっと考えた方がいい。
一方、実験のように、何かに挑戦し、もし失敗しても、その原因を確認して修正し、次に挑めばその実験も価値あるものになる。しかし、失敗の反省なく、挑戦を続けるだけで、いつも同じような失敗を繰り返すケースがある。原因を「直視する勇気」がない。これは価値を見出しにくい。学習効果の乏しい「ああすれば、こうなる」。
いずれにしましても、養老先生の指摘は、いつも的を射ているなと思います。
先日、日経新聞が書評を掲載していました。
「ベストセラー「バカの壁」で知られる解剖学者、養老孟司(84)が新著「ヒトの壁」を刊行した。新型コロナ禍で浮き彫りになった、ヒトの脳が抱えるどうしようもないちぐはぐさに注目する。
心や社会の問題を医学の知見を交えて論じた「バカの壁」(新潮新書、2003年)で、人間は「自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっている」と指摘した。同書は450万部を突破し、平成を代表する新書となった。「一番大きいのは強い主張があるわけじゃなかったから、反感を買わなかった。読んで不愉快になると誰も買ってくれないから。すんなり入ったのではないか」。広く受け入れられた理由を淡々と話す。
コロナ禍は「現代人の人生に関する根源的な問いを、いくつか浮かび上がらせた」とみている。21年12月の新刊「ヒトの壁」(新潮新書)では、テレビ画面でさして疑問もなく並んで映し出されるコロナウイルスの電子顕微鏡写真と人体の対比に注目した。この2つ、実際には大きさがまったく違う。
極小のウイルスを見る精度でヒトの細胞、個人、社会を見ようとしたらどうなるか。「細胞ですら大き過ぎて、情報処理が完全にはできない」。そこに「現代人の盲点」が隠されていると考察する。
細部を科学的に見ようとすればその分、全体は膨張する。これを「部分を見れば全体はボケる」と表現する。それぞれ目線が違う専門家や官僚、政治家らが集まって議論するコロナ対策の、ちぐはぐさの一端がそこに見いだせる。
コロナ禍では日々発表される感染者数などの統計数字が「事実」として認識されている。こうした現代人の認識も「いわば神様目線である」と疑問を呈す。
かねて「死は二人称でしかない」と述べてきた。一人称の「私」が死んでも、死んだ時には「私」はいない。三人称は「誰かの死」であって、ヒトの感情は動かない。二人称の「知っている人の死」だけが確実にヒトに影響を与える。「数字は、本来は抽象的だ。僕の周りでコロナになった人はいなかった。数字は自分の目で確認した『事実』ではない」と話す。
普段は言いたいことがたまってから1つのテーマに沿って執筆するスタイルだ。本書はステイホームで空いた時間に、雑誌や新聞の求めに応じたテーマで書いた文章をまとめた。それがかえって自身にとって「抽象的」と思えたコロナや、「無関係」であった五輪などにも目を向けさせ、幅広いテーマについて考察を重ねる機会となった。
20年夏には、心筋梗塞を患い、闘病も経験した。80代になっての大病で、死生観に変化はあったのだろうか。「そんな劇的なものではなかった。だって痛くもかゆくもなかったから」
一方、生活スタイルには変化が生まれた。「運動は虫取りだけ」と公言していたのが、自宅周辺の1時間の散歩が日課に加わった。「ただ歩くだけじゃつまらないから」と、草花の写真を撮影してアプリで種類を調べながらのウオーキングだ。日々の発見の多さに「いかに今まで無視してきたかがわかる。去年と比べて全然花が咲いていないとか気づく」と目を丸くする。
最近では長年かわいがった飼い猫「まる」の死も大きな変化だったという。「(仕事などで)硬いことばかり考えているから、まるの顔を見ると力が抜けた。それがなくなったから、考えがだんだんとがってしまう」。寝ているまるの頭をたたくのが癖だった。「しょうがないから、今はお骨をたたいている」とつづり、その不在と向き合っている。」
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