昨朝は青葉台駅前での街頭演説の後、市会で各種打ち合わせと共に、米州友好横浜市会議員連盟として米国大使館関係者の来訪を歓迎。夜は地元の会合。
3.11、あれから11年。今、世界は天災でなく、人災に翻弄されています。
「なぜロシアは侵攻したんですかね?」とは民間企業に勤める後輩の声。お互いロシアの素人ながら、思うところを話し合いました。難しい選択を迫られている状況。下記はメモです。
思い通りにならないから暴れる。こういう人とはどのように付き合うことが賢明なのか。距離を置くことのできない場合はどうするのか。京都アニメーション放火殺人事件や凶悪なストーカー事件を思い出した。
いかなる理由があろうと、ロシアのウクライナ侵攻、人殺しは許されず、絶対悪として歴史の汚点になることは間違いない。また、国内の自由な報道を非合法化するというのは、北朝鮮と同じということになる。恐らく殆どの国民が求めているものとは異なる状況を為政者が作っているのではないか。
米国をはじめ、広がる一国平和主義的なものもある。世界的潮流のような話もあるが、ロシアのそれはどうなのか。
ロシアは大国とはいえ、経済的には難しいものがある。日本も成長がほぼ止まっているとはいえ、例えば、平均年収は日本の半分以下、アジア各国と比べても低い状況。不満は募る。
ネットの「せかいじゅうライフ」見ると「ロシア連邦国家統計局(Rosstat)の発表(2019年11月時点 1ルーブル=1.7円にて計算)によると、ロシアの平均月収は46,285ルーブル(約78,700円)。ボーナス3ヶ月として、平均年収は694,275ルーブル(約1,180,300円)。
また、モスクワに限定すると、平均月収は88,657ルーブル(約150,700円)となり、平均年収は1,329,855ルーブル(約2,260,750円)。
ボーナスや残業代の有無、週休日数の違いなどにより差が出てきますが、色々な人に話を聞いている感じではだいたい平均年収として5万ルーブル位だという印象だったので、ロシア全体の平均については妥当だという感じですが、モスクワについては想像より少し高い印象でした。
日本の国税局が発表している平均年収が約441万円ですから、ロシアの平均年収と比べるとかなり差があることが分かります」とのこと。
一方、ロシアの人々が考える祖国への想いとはどのようなものか。共産主義が失敗だったとはいえ、体制、イデオロギーは残りつつ、祖国が小さくなっていく。領土が取られていく、経済的にも落ちるばかり、惨めな状況が続き、さらに苦し状況を突きつけられているとしたら。
不満がたまっているのは国家だけでなく、国民はどうなのか。情報統制があるとしても、どれだけのロシア人が今回のことを支持し、また反対しているのか。きな臭い状況が続いても、これまでのプーチン大統領の支持は低くない。
侵攻、侵略がなど絶対に許されるものではない。そうせざるを得ない状況に追い詰められた人間の心理として考えた場合、どのような行動に出るか。武器を持っている。まわりはどう対処するか。弱腰になるのか、威勢よく「叩き潰せ」というのか、共に生きる道を探るのか。
ここに至るまで各国はロシアとどのように対話してきたのか。ウクライナはどのように対処してきたのか。目の前の惨事は降ってわいた話ではなく、長い経緯と発生原因がある。
今週、NHKが2014年5月に放送した「引き裂かれる祖異国で~ウクライナ・独立広場の若者たち」を真夜中に再放送した。8年前、ロシアがクリミア半島を制圧された時から「戦争になる可能性は高い」とされてきた。ドネツク地方などの東部問題が語られていた。過酷な長い歴史の中で生きてきたウクライナ国民。
ロシアのウクライナ侵攻前に編集されたニューズウイーク3月1日号に、「『ウクライナ奪還』プーチンの本気度」と題した一文がある。筆者は元イスラエル外相で歴史家のシュロモ・ベンアミ氏。
「帝国が静かに崩壊することは決してなく、敗北した大国は常に失地回復の野心を抱く。第一次大戦後のドイツがそうであり、現在のロシアもまたそうだ。
2005年にロシアのプーチン大統領は、ソビエト連邦の崩壊を「20世紀最大の地政学的惨事」と呼んだ。そして、国境の外にいるロシア系少数民族を保護するという口実で、その惨事を覆そうとしている。(中略)
14年にウクライナ南部のクリミアを併合した後、プーチンは熱狂的な観衆に、クリミアは「人々の心の中では常にロシアの欠くことのできない一部」だと語り掛けた。ウクライナは正統派キリスト教王国としてのロシアの象徴であり、首都キエフは「ロシアの都市の母」とされている。
最近もプーチンは、「ウクライナは国ですらない」「ウクライナの領土の『大部分』は私たちに与えられたものだ」という長年の主張を繰り返している。(中略)
90年2月にベーカー米国務長官はソ連のゴルバチョフ大統領に、NATOは「東に1インチも拡大しない」と約束した。同年9月の東西ドイツ統一の枠組みを定める「2プラス4会議」で、ソ連はドイツのNATO加盟のみ承諾した。しかし、結果として、冷戦末期にロシア西端のレニングラード(現サンクトペテルブルク)はNATOの東端から約1900キロ離れていたが、現在は160キロほどに迫っている。」
これをどう見るか。一方、約1か月前の2月8日号では、元CIA工作員のグレン・カール氏の寄稿には次のようにあった。真逆の中身。
「ソ連の崩壊後、NATOは東欧の国々を続々と加盟させた。プーチンや多くのロシア人はこれを裏切りと見なしている。30年前にアメリカがNATOの東方不拡散拡大を約束したと、ロシア側は考えているのである(実際には、アメリカもNATOもそのような約束をしていない)」
記憶では前者の話が事実だったと思うが、どちらの主張が正しいのかわらない。しかし、根本的な相互不信、惨事の原因であることは間違いない。
話し合いをしてこなかったのか、話しても通じ合えなかったのか。「対話」があったのか、外交という名のもとに主張をぶつけ合っただけだったのか。
日本の民主主義からすると、「どれを選ぼうと自由だろ。西がいいから西でいいだろ」と思うのは当然。しかし、価値観が異なれば、場所によってはそうはいかないものがある。各家庭では考え方が異なり、ある局面において、対処する方法も、導き出す結論も異なるとの同じではないか。
人間のすることは、国同士の話し合いも、人と人の対話も似たようなものではないか。
「人生それぞれ。今の状況は、自分が作り出したものだし、自分の問題だから、自分でよく考えろ」と突き放すのは簡単だが、本当に相手が困っている時に「色々あるけど、一緒に考えよう。一緒に乗り越えよう」とするのが「対話」ではないか。
「負け犬は、負け犬の人生を歩め」とする利己的な発想が、理性ある成熟した民主主義社会に生きる人間の思考だとは思えないし、あってはならない。同じ人間だと考えることができるかどうか。
他方、人の命に差別があってはならない。同じ人間とは考えない、民族論などを盾にした差別的、選民思想的発想と言動はナチスと変わらない。
翻って、日本の社会は大丈夫なのか。行政的な仕組みだけでなく、人間の力、社会の力は大丈夫かと気になる。
結局、どれだけ偉い人でも、どのような立場の人でも、人生は「人間力が試されている」ように感じる。
「行くところまで行く」とするのか、どこかで折り合いをつけるのか。停戦が長引くほど被害は拡大する。しかし、「無理が通れば道理が引っ込む」ようなことでは問題だ。とはいえ、「ウクライナと共に」とはどうすることが最善なのか。
ウクライナから国際社会への助けを求める声が届いている。しかし、西側の都合で応えきれていない状況。
ウクライナの大統領から「ロシアの石油を買うお金が銃弾に替わる」と言われて、買うのをやめるかといえばそうではない。また「飛行禁止区域に」と言われても、そうすれば更なる大惨事になるからやらない。
西側にとっては、自由な価値観を守るのか、エネルギーなどを大事にするのか。いかに国際秩序を守るのか。
難しい判断を迫られている。
ウクライナを応援する、戦闘を支えるとしても、このままの状況が長引くほど、ウクライナの人命が奪われ続けることになる。
何があろうと、戦争は絶対にダメだ。どのような理屈があろうと、すぐにやめるべきだ。