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公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

日韓国交正常化60年について 6806

未分類 / 2025年6月23日

昨日は東京都議選。有難うございました。6月22日は日韓国交正常化60年の節目の日でもありました。新政権の対日政策に関するネガティブな報道もありましたが、落ち着いた状況のよう。思い込みなどの報道は不要。大事なことは「事実」です。

先日、日経新聞コラム「春秋」が記していました。

「尹(ユン)紫遠(ジャウォン)という、在日コリアンの作家がいた。戦前から日本に住み、短歌を詠み、朝鮮半島とのあいだを幾度か行き来した。戦後はさまざまな仕事に就き、やがて東京でクリーニング店を営むも生活苦が続く。2冊の本を残して1964年に53歳で没。無名の人生である。

最近になって、この人の軌跡に光があたっている。作品や日記が刊行され、その家族の歩みを追ったノンフィクション「密航のち洗濯 ときどき作家」(宋恵媛、望月優大著)も高い評価を得た。かつて「帝国臣民」とされた人々が戦後は日本への渡航を阻まれ、密航者として辛酸をなめる……。紫遠もそのひとりだった。

「日本人でもあり、外国人でもある。日本人でもなく、外国人でもない」。核心をつく指摘が「密航のち――」に出てくる。日本の高度成長の陰で、数多くの人が居場所なき暮らしを強いられたのだ。65年の日韓条約はそれに一応の救済をもたらし、韓国籍の在日コリアンに永住権を付与した。調印から60年になる。

日本と韓国の関係は、かつて想像できなかったほど厚みを増している。若い層はカルチャーを共有し、往来の足取りは軽い。自然な未来志向がそこにあろう。だからこそ、2つの場所のはざまの歴史にも目が向くといい。戦前の紫遠の歌集「月陰山(タルウムサン)」から1首引く。「ひそやかに人等語れば我れを追ふ話なるかと心尖(とが)りし」

長い歴史の中、為政者達の勝手で苦しんできたのは無名の庶民。

それぞれの大多数の生活者にとっては、お互いに「好きな国」。侮辱したリ、敵対すこともなく、ただ仲良く、平和な関係を発展させたい。末永く続く、日韓の友好であって欲しいです。

朝鮮半島から来た文化で今の日本があるという事実。恩は忘れたくありません。

人間関係もそうですが、お互い長所、短所があります。それも受け入れ、それぞれを知り、関係は続きます。

損得やカネのあるなし、都合のよさだけで判断するといった、了見の狭いようなことでは、気が付いたら「周りに誰もいなかった」という事になるのではと思います。

尊敬される、立派な人の国であって欲しいと願ってます。