「かもしれない運転」と「だろう運転」について 6791
昨日は青葉区民春季剣道大会に伺った後、町田市でご挨拶まわり。旧知の町田市議・村松としたかさんのポスターがあちらこちらに。誠実そのもの、素晴らしい人格の人・村松さん。都議選に挑戦される予定です。
車で移動。飛び出してくる、突っ込んでくる自転車にヒヤッと。「ルール、ありますけど、、」と思いつつ、「気をつけねば」と改めて感じました。
先日、コラム「名字の言」が記していました。
「運転免許証の更新時の講習でのこと。講師が問いかけた。「『かもしれない運転』と『だろう運転』があります。皆さんはどちらですか?」
配布された「わかる 身につく 交通教本」によると、「かもしれない運転」は“もしかすると○○かもしれない”と、自分に厳しい予測を立てて準備する運転。「だろう運転」は“たぶん大丈夫だろう”と、自分に都合のいい予測をする運転。講師は、常に緊張感を持ち、危険を予測する能力の向上を訴えた。
生きるうえでも大切な視点と思った。例えば、ネット上での言葉のやりとり。歌人の俵万智さんは言語学者の川原繁人さんとの対談で、言葉を使うことが安易に捉えられており、「みんな無免許で好き放題に乗り回している印象があります。だから言葉の暴力や行き違い、事故が多発する」と(『日本語の秘密』講談社現代新書)
自分中心の「だろう運転」でなく、他者の立場を考える「かもしれない運転」は人生万般に通じよう。
冒頭の講師は「皆さんは『かもしれない運転』でお願いします!」と。多忙の中でも想像力を働かせ、相手の身になってみる努力を惜しむまい。」
気を付けます。