安全・安心の横浜へ 「何を言ったかでなく、何をやったか!」

公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

<消防団> 特別警戒着任中!

未分類 / 2024年12月31日

年末年始、消防車両が街を巡回!防火・防犯、火の用心!お気をつけて!良いお年をお迎えください
#青葉消防団

「今日より明日へ」について 6631

未分類 / 2024年12月31日

今年もお世話になりました。大きなことは言えませんが、来年も理想に向かって一歩前進を重ねたいと思います。「昨日より今日。今日より明日へ」。

先日、日経新聞コラム「サッカー人として」に、三浦知良選手が「否定だけを返さずに」と題して掲載。常に前を向くカズさんらしい一文。途中からです。

「何もできなかったと感じた試合でも、分析のフィルターを通すと、自分が周りのためになった一面が浮かび上がりもする。無駄に思えた走りでDFが引きつけられ、味方に有利な局面が生じている。「これを続けていればいい結果につながる」との前向きな分析も数々、もらうことができた。

もちろん反省はする。でも、できつつあることにも目を向ける。自分では「そこでそのプレーは無理」と感じても、分析上・理論上はできたはずのプレーがある。そのギャップを一歩でも埋めたい。何歳になっても、理想に近づきたい。

「私は思い出より憧れが好きだ」。そう語ったフランスの登山家がいるらしい。

きのうの、きょうの自分を、あしたは超えたいと思いながら過ごしている。そのためには苦しみにも向き合うはずで、それは僕にとっては練習。だからどこへ赴くにも練習用具一式は携えていく。リフレッシュで渡欧した先のローマを、「寅さん」の装いで闊歩(かっぽ)しながらも、トランクには練習着をしのばせてあります。

憧れても、つかめない方が多いのは分かっている。だとしても回想に身を沈めるでなく、苦しみの先の憧れ、未来へ向かって走る。」

幸せは充実にある。充実は苦しみを乗り越えた先にある。師の教えにつながるものを感じます。

気持ちくらいは、カズさんに負けないくらい頑張りたいなと思います。

来年も宜しくお願いします。

「日中友好」横浜・上海の友好交流推進について 6630

未分類 / 2024年12月30日

今春、18年ぶりに中国の上海・蘇州へ。大きく発展し変貌した彼の地。政治的な課題はあるものの、住んでいるのは同じ人間同士。普通に生活する人々の幸せのために、仲良くあって欲しいと思います。

先週、岩屋毅外相が中国の王毅外相と北京で会談。共通の利益を追求する「戦略的互恵関係」の推進を確認。日本が中国人向け査証(ビザ)の発給要件を緩めると表明。石破政権の友好交流への積極姿勢が伺えます。国際情勢に不透明さが増す中、両国は懸案解決が重要です。

原子力発電所の処理水放出で中国が停止した日本産水産物の輸入再開。中国当局がスパイ罪で起訴したアステラス製薬の社員の扱いなどが懸案かと思います。早期のハイレベル対話で解決へ進んで欲しいと願っています。

先月、11月18日、上海市審計局の皆さんが横浜市に来られ、都市課題について意見交換しました。こうした継続的な日中友好交流はとても大事。自民党所属、日中友好横浜市会議員連盟会長・佐藤茂会長と、横浜市の佐藤広毅副市長と共にやり取りさせて頂きました。

今年4月の上海市訪問では、様々な方々と交流。

上海市人民代表大会の皆さん、山中市長とゴンジェン上海市長との会談、副市長との懇談、瀬之間前議長と上海市政治協商会議の皆さんとの交流に同席。どの場面においても介護福祉が話題となり、すべての交流で「共に学び合おう」とのやり取りを目の当たりにしました。

国は違えども、これが現代に生きる人間の本音であり、交流の重要性を強く感じました。

国家間の情勢がどうあれ、横浜上海の両市は、市民の平和と幸福のため、いかなる風が吹いても、微動だにしない強固な友好関係を築き続けるべきであり、共通の課題解決に向け、協力し合うことが重要です。

今秋の決算特別委員会・総合審査では、今後、介護福祉分野における上海市との都市間交流を、継続的に進めるべきと市長に質問。

市長は、「4月の訪問では、私も上海市長と会談させていただき、その中で先生ご指摘のように、介護福祉分野に関する話題が多くございました。高齢介護をはじめ、両市が抱える共通の課題を確認し、改めて協力して解決に向けて努力していくこと重要であると考えました。今後、本市の上海事務所を活用し、上海市政府に加えて上海の福祉関連団体や福祉関連の企業等とも連携しながら、お互いの知見の共有を図りたいと思います。共に学び合う気持ちを大切に取組を進めてまいりたいと考えています」と答弁。

国際都市・横浜が、世界の平和と安定に果たすべき役割は少なくありません。

先日、日経新聞コラム「春秋」が記していました。

「台湾と中国が和解して、台湾は独立を失わずに中国の後押しで国連に加盟する。朝鮮半島では南北の統一が実現する。1996年に刊行され、世界中で反響を呼んだハンチントン著「文明の衝突」が可能性の一つとして描いてみせた東アジア情勢だ。設定は2010年。(中略)

中国を上回る経済力が日本にあったのは過去の話。ハンチントン氏はそうした未来がいずれ来ることも見越しながら、米中という2つの大国とうまく向き合うことが「東アジアと世界の平和を維持するうえで決定的な要因になる」と説いた。日本にいまできることは何か。もうそんな力はないと、嘆いているときではない。」

これも現実かと思います。お互い、いい時もあれば、そうでない時も。

一人の人間もそうですが、どの様な時も「変わらない」というのが友情だと思います。

引き続き、両国の友好交流を強固なものにすべく、私にできることを、精一杯取り組みます。

「自宅の防犯術」について 6629

未分類 / 2024年12月29日

昨日から消防団の年末年始消防特別警戒が始まりました。いくつかの消防小屋へご挨拶。私は大晦日の夜に着任。火事が増えています。防火・防犯、お気をつけください。

先日、公明新聞が「ウチは大丈夫?自宅の防犯術」と題して記していました。ご紹介します。

「闇バイト」を巡るニュースが連日、報じられているように、各地で強盗被害が発生しています。いつ自分も事件に巻き込まれるか、不安を抱えるシニア世代の方も多いのではないでしょうか。そこで、元警視庁公安部捜査官で防犯コンサルタントの松丸俊彦さんに自宅の防犯対策について聞きました。

空き巣・強盗の被害で最も多いのは、玄関の鍵を閉めずに外出したスキを狙う「無締り」です。「すぐ近くだから」と、開けたままにせず、普段から少しの外出でも鍵を確実に閉めるようにすることが大事です。

次に多いのが、窓ガラスを割って入る方法です。防ぐ手だてとして、まずは窓ガラスにフィルムを貼ること。全面に貼ることが難しい場合は、鍵の周りだけでも効果的です。

窓ガラスが破られた事態を想定し、窓を開けられなくする「補助錠」も取り入れると良いでしょう。

窓の上に設置することがオススメですが、届かない人は下の方に設置しても問題ありません。重要なのは侵入経路をふさぐことです。

■逃げ込む部屋(パニックルーム)を確保

しかし、こうした対策を施しても「闇バイト」の実行犯は「ここにお金がある」「高齢者の1人暮らしだ」などの事情を知っているため、無理やりにでも押し入ります。

こうした事態に備えて、逃げ込んだり、立て込んだりできる部屋「パニックルーム」を確保してください。犯罪の多い海外では防犯対策として浸透している方法です。寝室などの部屋で鍵が一つなら二つに増やすか、ドアストッパーでも代用できます。なるべく犯人と対面しないように工夫してください。

身の安全を確保したら110番に電話し、警察が来るまで切らずに実況し続けてください。警察が駆け付けてくる平均時間は約8分。パトカーのサイレンが聞こえるまで約6分。これらを目安に持ちこたえましょう。

■不審に思ったら…#9110へすぐ電話

家の防犯対策とともに強盗を地域に寄せ付けないことも重要です。強盗は侵入する前に販売、修理業者などを装って訪問したり、電話をしてきたりします。このとき、少しでも不審に思ったら警察相談専用電話「#9110」に連絡してください。その際、不審な訪問や電話があったことを伝え、「今後どうすればいいですか。何に気を付けたらいいですか」と相談すると、具体的なアドバイスを得られます。」

「パニックルーム」は知りませんでした。

お気を付けください。

「暖簾」と「昆布」について 6628

未分類 / 2024年12月28日

昨日は年末のご挨拶まわり。「好きな小説は」と聞かれると、大体、山崎豊子さんのデビュー作「暖簾」を挙げます。一介の丁稚から叩きあげ、親子二代で昆布屋の暖簾(のれん)を守り抜くことに全力を傾け、不屈の気骨と大阪商人の姿を描いた一冊。明治から昭和にかけての物語。作者の実家の話でもあります。

山崎豊子さんの実家は、大阪・船場の老舗昆布舗「小倉屋山本」。今年生誕100年ということで、今も営業されているお店が記念の佃煮昆布を発売。美味。私としては、記憶に残る買い物でした。

印象に残る一文をいくつか。

・「旦那はん、そんな無茶な、命が危のうございます」

「阿保!同じ商人でも、大阪商人は、命を懸けて商いするものや、狡猾(こすう)儲けて、銭溜めて喜ぶだけのそんじょそこらの田舎商人と違うねんぜェ、わいは、捨身になって商いする大阪商人や」

・「確かに暖簾は商人の心の拠りどころである。武士が、氏、素姓を拠りどころとするように、商人の心構えを決めるところだ。しかし、それがすべてではない。昔のように古い暖簾を掲げておれば、安易に手堅く商いできた時代は去った。現代の暖簾の価値は、これを活用する人間の力によるものだ。徐々に復活してきた顧客の暖簾の懐古に、安易にもたれてしまう者は、そのまま没落してしまう。暖簾の信用と重みによって、人のできない苦労も出来、人の出来ないりっぱなことも出来た人間だけが、暖簾を活かせて行けるのだった。」

・「もう、ちゃんと軌道に乗ってるし、、、、」

「自分のレッテル貼ったもんは、自分が作り、自分が目を通して売るのが当たり前やないか。大体、この頃、自分の店で作らんと、自分の目も通してないええ加減な商品が多すぎるやないか、わいの名前をつけた品もんは、わいが見る。」「表見や誇大な宣伝などでは顧客は動かされなくなり、他の店が追随できないような商品を一刻も早く市場に売り出すことだけが商いの勝負だ」

よろしかったらどうぞ。

原水協のノーベル平和賞受賞について 6627

未分類 / 2024年12月27日

鴨志田東交差点から鴨志田中央交差点に向かう道路の側線が消え、近隣住民の方々から「危険なので対策して欲しい」とのお声を頂いてました。土木事務所と協議。整備が完了し、昨日現場を確認。お喜びの声を頂いてます。

今年の大きな出来事のひとつに、原水協(日本原水爆被害者団体協議会)へのノーベル平和賞授与がありました。左派系の政治的イデオロギー闘争に振り回された歴史もありましたが、世界が認める見事な授賞だと感じました。

原水協結成の発端は、1954年(昭和29年)3月、ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験による第五福竜丸事件を機に、東京・杉並の婦人グループなどが始めた原水爆禁止の署名運動。

その運動は全国に波及し、この年の8月には原水爆禁止署名運動全国協議会が結成され、翌年の5月には原水爆禁止世界大会日本準備会が発足。そして、8月6日から3日間にわたり、被爆10周年を迎えた広島で、第1回原水爆禁止世界大会が開催されました。

この大会を踏まえ、協議会と準備会が合流。原水禁運動の中心を担う組織として誕生したの原水協でした。いわば、原水協は、平和を願う民衆の呼びかけから始まった、党派を超えた、社会のあらゆる人々からなる国民運動がもたらした結晶でもありました。

しかし、その後は長年にわたり共産党、社会党、総評系が主導権をめぐってイデオロギー対立を続ける。現在はそれらを乗越え、党派を超えた今日の原水協があることを書いておきたいと思います。

先日、コラム「名字の言」が記していました。

「日本原水爆被害者団体協議会にノーベル平和賞が贈られた。ノーベル委員会のフリドネス委員長は授賞決定の際に言った。「世界には、地平線上に暗い空を見ている人たちがたくさんいます」

欧州や中東での紛争に心が痛む。委員長は続けた。「この賞をもって、私たちはそれ(視線)を引き上げたい」「私たちはグローバルコミュニティー(地球規模の共同体)であり、核兵器の脅威は私たち全員に及ぶ可能性がある」(朝日新聞10月12日付)

ノーベル文学賞受賞者、ショインカ氏の言葉を思い出した。「世界ではいくつかの“正義”がぶつかりあい、戦争が起こっているように見えます」との問いに対し、氏は「ほかの人の身になって想像力を働かせることが正義の基本です。ですから、色々な種類の正義があるとは思えません」(読売新聞1995年11月29日付)

(中略)「相手の身になってみる」「その想像力がない正義は、独善となり、対話拒否となり、押しつけとなり、いじめとなる。それは正義という名の悪となる」

「自分の世界の地平線を、ずっとずっと遠くに持っていってほしい」とショインカ氏。想像力で心の地平線を広げ、足元から行動を起こしたい。」

誰もが自分は正義だと思いっている。衝突した時、その正義が同じ方向に向かっていれば、努力して折り合いをつけることができる。

しかし、同じ方向でなかったら、あきらめるか、衝突するか、、、残念な結果へ近付くように思います。

「平和」へ向かうことができるかどうかの分かれ道。

「相手の身になってみる」のか、それとも「自分のことだけ」なのか。

わかりやすい、ひとつの見分け方のように感じます。

「第九」について 6626

未分類 / 2024年12月26日

昨日は市民相談対応、ご挨拶まわりの後、認知症対策について党のオンライン会議等。途中、青葉消防署・鴨志田消防出張所前の横断歩道へ。擦り切れた状態でしたが青葉警察署の尽力で整備完了。お喜びの声を頂いてます。

年末のご挨拶が進むにつれ、昨夜のNHK‐FMもそうでしたが、第九を聴く機会が増えているように感じます。ドイツのフルトヴェングラー指揮のベートーベンが好きで、学生時代に買ったCDを今も聴いてます。

公明新聞コラム「北斗七星」が記していました。

「ベートーベンの9番目にして最後の交響曲「第九」。その初演から今年で200年を迎える。曲が完成したのは、彼が53歳の時。ウィーンの劇場で披露された。

彼はすでに聴力を失っていた。この時、聴衆の拍手に気づかなかった逸話が印象深い。交響曲第何番と呼ぶ習慣がまだない時代。中川右介氏の『第九 ベートーヴェン最大の交響曲の神話』(幻冬舎新書)で正式な曲名を知った。

「シラー作、頌歌《歓喜に寄す》を終末合唱にした、大管弦楽、四声の独唱、四声の合唱のために作曲され、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世陛下に最も深甚な畏敬をもって、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンによって奉呈された交響曲、作品百二十五」

やがて彼の手を離れた「第九」は激動の近現代史を歩み、さまざまな機会に演奏される。ナチス政権下のドイツではヒトラーの誕生日を祝うために。米国では連合国の勝利を願う場で。戦後、冷戦の象徴だったベルリンの壁崩壊に歓喜して。

独裁者、勝利、自由と平和……。人はなぜこの曲を求めるのか。氏は著書でこう評する。「『第九』は、宗教も国家も、言語も、そして音楽すら超越した『何か』なのかもしれない。」

小説などもそうですが、科学技術が高度に発展し、情報の多い、効率性の高い社会で作られたものより、「昔」のものの方が人間の核心に迫る、深さと共感を感じる事が多いような気がします。年のせいかなあ、とも思います。

「消防団活動支援」と「身寄りのない高齢者支援」について 6625

未分類 / 2024年12月25日

先日発行されたあおばタイムズに市政報告を掲載。ご紹介します。

<消防団活動支援>

能登半島地震でも避難誘導、倒壊建物からの救助活動、防犯パトロールなどを担った消防団。先の決算特別委員会総合審査では、消防団の一員としてマニュアル消防車のオートマ化の促進と共に、トラックのような長い消防車の安全運転のため、車両にバックモニターを設置すべきと質問。市長は「消防団の安全な活動に向け、昨年度から車両更新に併せバックモニターを装備しているが、今後は既存の車両にも設置対象を拡げる」と答弁。地域防災力向上のため、消防団活動の支援を進めます。

<身寄りのない高齢者支援>

今秋、日本総合研究所の調査で「身寄りのない高齢者」が2050年に448万人となる見込みとの報道があり、人口比で横浜市は13万人程度。私共は、葬儀・納骨などの相談対応や終活登録制度等の構築に取り組むと共に、すすき野団地での国の補助によるモデル事業に注目しています。現在も身寄りのない高齢者等を支援する民間サービスはありますが、資力のない、身寄りのない方への支援を検討すべきと質問。市長は「個人の経済的な事情に左右されることなく、誰もが最期まで安心して暮らせるような支援策の検討が必要。具体的な施策につなげる」と答弁。老後や終活の不安を減らせるよう取り組みを進めます。

 

<地域トピックス>

あかね台2丁目グラウンド ゲート整備 2024.11完了

視察「漏水事故の復旧工事」について 6624

未分類 / 2024年12月24日

昨日は神奈川県内広域水道企業団の視察で愛知県豊田市へ。令和4年5月に漏水事故が発生した「明治用水頭首工」復旧事業。火力発電所、トヨタ系企業等131の事業所で給水が止まった事故は、現在も復旧工事を進めており、施設の耐震化や老朽化対策についての取組みを調査しました。神奈川県内広域水道企業団では、酒匂川・相模川の2河川を取水源として、飯泉取水堰・相模大堰の2つの取水堰を管理運営。その先に「横浜の水」となって供給されています。

頭首工(とうしゅこう)とは、河川や湖沼から農業用水などを用水路に引き入れるための施設。明治用水は、矢作川を水源として豊田市水源町で取水し、8市にまたがる農地をかんがいする用水で、明治13年(1880年)4月に通水され、現在の明治用水頭首工は3代目とのこと。

令和4年5月 15 日、頭首工左岸側にて堰の上流側から下流側への漏水を確認。漏水防止策を講じたものの、漏水量が増大し、上流側の水位が取水口の高さを下回ったことにより、取水停止。同月18 日に農業用水及び工業用水の供給が停止。

現地調査にて原因の調査を行いながら、ポンプの導入により同月 19 日に工業用水の取水を再開(通常の3割)。同年8月1日に農業用水の通水を再開し、同月 29 日に工業用水の取水制限が解除。約3か月の取水制限だったことになります。

漏水の原因は、堰左岸側においてパイピング現象(老朽化等により堰の下に水の通り道ができる)が発生したことによるものとされ、現在、自然取水により必要取水量を取水しつつ、令和8年6月の工事完了を目指し、復旧事業を行っていました。

原因は、地層、老朽化、設計の3つとのこと。古い技術ではこうなることがわかった今、再発しないように徹底した対策が取られた現在の復旧工事。現在の施設が完成した昭和32年当時からは大きく技術が進歩していますが、同様の事故が発生しないよう、既存の施設をチェックすることができるのかどうか。

教訓にします。

「FIGHT ON」について 6623

未分類 / 2024年12月23日

昨日、横浜のぴあアリーナMMで矢沢永吉さんの今年のコンサートツアー最終公演が行われました。今年のツアー名は「FIGHT ON」(闘い続ける)。75歳の矢沢さん。この言葉だけで痺れます。

3年前、「若い時に一流のものに触れることが大事」との師匠の言葉を思い出し、当時高校1年の4番目に「最高のロックを見せる」と、立ち見でしたが一緒に武道館で行われた永ちゃんのコンサートへ。(写真)

私は「ぶっ飛び」ましたが、息子はそれなり。

その後、「ゆずのコンサートに行ってくる」と言ってました。

親子だから同じと思ったら大きな間違いです。

来年も「FIGHT ON」。頑張ります。