安全・安心の横浜へ 「何を言ったかでなく、何をやったか!」

公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

「団結の源」について 6574

未分類 / 2024年11月4日

昨日は青葉区民祭りの後、神奈川区にある朝鮮学校感謝の集い等へ。どこも集まった人々に楽しんでもらおうと、心ひとつにしての取り組み。秋晴れの下、どこも笑顔でにぎわっていました。

先日、日経新聞コラム「サッカー人として」に三浦知良選手が「『同じ鍋の中身』超えて」と題し、団結の源について寄稿されていました。

「サッカーの現場も人間による社会には変わりなく、政治の世界のように「派閥」と称さないとはしても、類した集団がどうしてもできてくる。同郷、同じ出身校。試合に出られる人たち、外れてしまう人たち。似た境遇にある人間同士はごく自然とグループを組む。

個人主義の強そうなブラジルでも、「パネーラ」という言葉をよく耳にした。「鍋や鍋の中身」の意で、転じて「閉鎖的な集団」といった意味合いがある。

とあるロッカールームの光景。ボス的な存在がいて、彼にたむろして付き添う人がいる。傍らには誰ともつるまない一匹オオカミもいれば、誰とでも仲良くやれるやつもいる。やがてパネーラの間で権力構造めいたもの、序列が生まれる。イタリアでもポルトガルでも習性はほぼ同じです。

出場機会のない連中が集まり、管理者や自分とポジションのかぶる人間への不満を吐き出す。不遇への嘆き、別のパネーラへの悪口。スポーツ界に限ったことでもないんじゃないかな。そこで愚痴を言い合うのかどうかで、伸びない選手と伸びる選手は分かれる。僕としては、愚痴のムラに関わるのはごめん被りたい。

肌感覚の合わない人はいるし、親しい間柄になれない人もいる。それでも、人付き合いでは何か相手のいいところを探そうとしてきた。属するところが違うから嫌だ、駄目だではなく、色々な人々と接することで見えてくるものが広がるし、自分とは別の集団の価値観や意見から生じる良きアイデアだってある。

集団なるものに正と負の両面があると理解したうえで、流されないよう、健全に疑う心を持つこと。自分や自分の属する集団が是とすることを、誰よりも、自分が問いただしていたい。

ピッチの内側では、様々な立場の人々がそれぞれに一物を抱えてはいても、勝利という目標へともにひた走ることができる。派閥もパネーラも超えていける。

鈴鹿で勝利を朴康造監督と喜び合う。僕が32歳で京都サンガにいた時、彼は19歳。同じ寮で僕を「師匠」と慕っていた彼が、44歳の監督となり、「カズ、いくぞ!」と57歳の僕の背中を押す。帰属も属性も関係なくなるような、えも言われぬ一体感や高揚。これを味わえる世界がどこか他にあるでしょうか。」

立場でも、年齢でもない、同じ目標の共有こそが勝利へのカギかと思います。

どの世界でも、団結の根本は目標の共有。同じ目標を達成するために力を合わせることができる。

只、そこがズレていると、目指すところが異なるわけですから、困難が生じます。

チームの目標達成のためなのか、自分のためなのか。この大きな違いで、言葉も行動も異なる。誤ったリーダーの下における団結の強要は惨めで、響かず、敗北へと導く。

大事なことは「何のため」。

サッカーに限らず、チームの勝利のために、如何に貢献できるか。

高いレベルであればあるほど、そこにおけるリーダーの客観性、公平性、そして誠実さは不可欠かと思います。