「正直」について 6572
昨日は神奈川県内広域水道企業団の常任委員会、本会議等。103万円の壁の議論。公明党の提言で昨年から適用され、政府が進めている「年収の壁・支援強化パッケージ」。先の衆院選の公約にもその強化を訴え、今回、国民民主党が議論に加わることで、大きく前進しようとしています。いい話です。この案件も、真っすぐ進んで欲しいです。
先日、公明新聞コラム「北斗七星」が記していました。
「今回の衆院選で公明党は、徹底した政治改革の断行や物価高を克服する経済対策、子育て支援のさらなる充実、防災・減災の強化などを訴え戦い抜いた。
選挙戦では「政治とカネ」の問題を巡って政権に厳しい目が向けられた。「連立与党の公明党にしっかりしてもらわないと困る」との激励を少なからずいただいた。もどかしい思いだ。
ニーチェはギリシャ語の「高貴な者」に「正直な」といったニュアンスがあるとし、それに相反する者たちを「自分自身に対する誠実さも率直さももたない。彼の魂は横目を使う。彼の精神は隠れ場を、抜け道を、裏口を好む」(『道徳の系譜』木場深定訳)と指弾した。
司馬遼太郎は、儒教の徳目「仁義礼智信」の「信」を「正直」と解した。正直であることは近代以降、格が大いに上がり、立憲国家の基礎となった。ゆえに「国家機関や政治家が不正直であれば、(国は)手にもった薄いガラス器具を落とすようにこわれる」(『風塵抄』)と喝破している。
正直、公明正大であること。公明党は結党以来、その当たり前のことが当たり前として通る政治をめざしてきた。政治の「信」を取り戻す改革は公明党が真価を発揮しなければならない。」
頑張ります。