安全・安心の横浜へ 「何を言ったかでなく、何をやったか!」

公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

「自然」と「再現性」について 6509

未分類 / 2024年8月31日


昨日は大雨の影響で予定されていた会合等が中止に。自然の猛威を改めて感じるこの頃です。

先日、「磯田道史と日本史を語ろう 達人たちと探る歴史の秘密」(文春新書)を読みました。歴史家・磯田氏と出口治明氏、半藤一利氏、堺屋太一氏など各界の方との対談。読み応えがありました。その中でも、解剖学者の養老孟子氏とのやり取りが秀逸でした。

「都会の人間は田舎に「参勤交代」せよ」との見出しから。

磯田 「話をまとめると、まず中世までリアリズムの時代が続いたが、近世の江戸時代の初頭から脳化社会というシンボルを重要視する理念的な社会が生まれた。太平洋戦争の敗戦でリアルなモノづくりの時代へ移りますが、現代が昔と異なるのは自然と離れたところでモノづくりをしている点ですね。」

養老 「当然、自然に対する見直しが起こってくるはずですが、まったく頼りない。現在、日本の自然を見直す仕事をしているのは官でなく完全な民です。好きな人が勝ってにやっている状況です。全部民間でやるべきだという考え方もありますが、国が自然を動かすと大きいですからね。まさに江戸時代の殿様のように自然を一気に変えることができます。

自然は基本的にデリケートなシステムです。しかし、そのシステムは非常に単純なもので壊せます。自然を構成する人間だって、殺すのにはナイフ1本で十分ですが、ナイフは人間に比べたらまったく単純な構造です。鉄砲の玉もそうでしょう。殺人とは、人が人を殺すことですが、理科的に考えると、人が人を殺すのは容易ではない。つまり素手で殺し合いをすれば、相手は逃げもするし抵抗もする。よほど力の差がないとできないですね。

ところが、ナイフのような非常に単純な道具を使えば、人間はころっと死んでしまう。いくらホンダが「アシモ」を作るのに膨大なお金と時間をかけても、それよりはるかに複雑にできた人間をぶっ壊すのは、ナイフ1本で事足りるんですよ。

この価値観の落差こそが、本来人間を殺してはいけない理由ですよね。それは結局、システムをいかに尊重するかです。人間は月まで飛ぶロケットをある意味簡単に作れますが、ハエや蚊を作ることはできない。同じ飛ぶにしても、システムとしてのハエや蚊の高度さは、ロケットなど問題ではないのです。「お前、蚊を一匹潰したな。代わりに蚊を一匹つくってみな」と言われたら完全にお手上げですよね」(中略)

養老 「こうしたシステム論を19世紀に後半から科学は無視してきました。学者が論文ばかり書いてきたせいです。生物に関する論文をいくら集めても生物にはなりません。システムを情報に変換するのが学者の仕事ですが、システムは複雑なものですから自分では作れない。工学的に言えば、同じモノがつくれた時が、最後に「わかった」という時ですね」

磯田 「自ら作ったものが同じように生きて動いて、初めて生き物がわかったといえるわけですね。「再現性」が科学においては重要なのでしょうか」

養老 「その通りです。生物に関していえば同じものはつくれません。そう考えれば、およそ自然を考えなしに壊していくことが間違いだとわかるはずです。ある高校生が「豚などの家畜を殺して食べているのに、どうして人間を殺してはいけないんだ」という質問をしたんですが、その答えは「豚の再生産は家畜というかたちで確保されているが、人間はそうではない」ということになります」

磯田 人知でもって再生不可能なものを壊すことは、よほど考えなければならない。それは自然破壊をしてはならないことのひとつの理由になりますよね。」

台風もそうですが、年々威力を増す自然の猛威。すでに来年が気になります。

長年にわたり、先のことを考えず、自然環境を破壊し、変化させてきた人間。

その結果、人間が生きていけない環境になってきたように感じます。

自然の利用は、「再現性」の確保が前提、との旨の指摘に唸りました。

自分で責任をとれることはやっていい、とも取れます。

環境破壊も、戦争も、人間の意志で始まるもの。

人間が、自身を自然の一部と考えるか。自然の支配者と考えるか。

共存を選ぶか。利己的な行動を続けるか。

大人の対応が求めらているように感じます。

「法律相談」について 6508

未分類 / 2024年8月30日

昨日は市民相談対応の後、市会での打合せ、団会議等。ご相談頂く内容の解決に向け、弁護士、社労士、司法書士等、専門家を必要とするケースが少なくなりません。また、今日もそうですが、弁護士の先生方にご協力を頂き、無料法律相談を行って頂きます。

先日、公明新聞コラム「北斗七星」が記していました。

「地域でわずか2人の弁護士が、案件ごとに被告側と原告側を入れ替わりながら法廷に立つ。NHK連続テレビ小説「虎に翼」で、新潟地方・家庭裁判所の三条支部に東京から赴任した主人公の裁判官・寅子が面食らっていた光景だ。

描かれたのは1952年のこと。だが、世紀が変わっても、地方で弁護士が少ない状況は実際に続いていた。2003年、弁護士がゼロないし1人の地域は、全国に203ある地家裁支部の管轄区域のうち58に上った。

「弁護士ゼロワン地域」解消へ与党として力を尽くすのが公明党だ。困った時に相談できる公的機関「法テラス」創設を06年に実現。弁護士常駐の事務所をゼロワン地域に設けるといった司法過疎対策を強力に後押しする。

今では、弁護士1人の2支部を残すまでに改善している。法テラスは、経済的に余裕のない人が法的サービスを受けるための支援も行い、トラブルから庶民を守る。

寅子のモデルである日本初の女性裁判官の三淵嘉子氏は1938年、司法試験に合格した際に述べた。「世のため、人のため、自己の最善を尽くしたい」。公明党は、政治を庶民の手に取り戻すために結成された。深き使命を誇りに日々、精一杯、前進していきたい。」

今日も頑張ります。

「成年後見制度、どう見直す」について 6507

未分類 / 2024年8月29日

昨日、すすき野団地における「個・孤の時代の人生ケアシステム」の実証プロジェクト報告会に参加。 代表の黒澤史津乃さんは、国も認めるその道のリーダー。家族機能の弱体化による全世代の孤独・孤立の問題。横浜市でも大きな課題となることが確実な中、家族がいても、いなくても、安心して最後まで暮らしつづけられる仕組みの構築を目的に、昨年秋よりプロジェクトを実施。今後、国の事業として引き継がれます。昨日は鈴木太郎横浜市会議長からも挨拶がありました。他の自治体でも取り組みが進められていますが、いいところを学びながら、安心の横浜を目指します。

こうした取り組みと共に、充実が求められるのが成年後見制度。課題はありますが、必ず乗り越えていく必要があります。

先日、日経新聞が「成年後見制度、どう見直す」と題し、司法書士の名倉勇一郎氏へのインタビューを掲載していました。

「認知症など判断能力が不十分な人に代わって資産管理などを担う「成年後見制度」を巡り、国で見直しの検討が進んでいる。認知症患者は2030年に約523万人に増える見通しだが、能力が回復しない限り利用を中止できないといった不便さが指摘されており、利用が伸び悩んでいる。成年後見人として豊富な経験を持つ専門家に改革の方向性を聞いた。

――成年後見制度は不動産売却などの課題が解決しても、一度選任すると原則として亡くなるまで利用をやめられない。なぜか。

「成年後見制度は本人の権利を制限する仕組みだが、現状では、成年後見人らが本人に代わって行えることを『できるだけ広くする方が安心』という意識が根強い。親族だけでなく、司法書士などの専門職にもその傾向がある。その分、本人の権利が広く制限されることになる。それが本当に適切か疑問を持つ姿勢が必要だ」

「国際的には、認知症などで能力が低下していたとしても、制限される期間や範囲を極力小さくすることが権利擁護の観点から大切だという考え方が一般的だ。法改正と並行して『担い手』の意識改革が欠かせない」

――途中で利用を終えられる見直しとして、どんな形が望ましいか。

「成年後見制度には本人の判断能力に応じ、(能力低下が重い順に)成年後見、保佐、補助と3種がある。現行法でも、補助の場合は能力が回復していなくても存命中にやめられる。だが、そうした使い方が浸透していない。これも『担い手』の意識が影響している」

「見直しの方向として、まず利用に一定の期間を設ける。期間が過ぎたら、利用を継続する必要があるかや、医療や介護、行政支援などで対応できないかを客観的に点検する。点検を経たうえで、利用を終えるか、期間を延長するかを決めるのが妥当だ」

――改正が進めば、成年後見制度の利用は増えるか。

「利用者が認知症患者らの数と比べて少ないから問題だというのは乱暴な議論だ。成年後見制度はいわば『最後の手段』。認知症患者らが増えても利用が増えないのは、親族や地元行政などが支え、社会生活を成り立たせている例が多いからかもしれない」

「ただ、現行法でも柔軟な使い方ができるはずの補助や、本人の判断能力があるうちにあらかじめ契約する任意後見の利用が極めて少ないことには懸念がある。制度の認知度が低いため、補助や任意後見を使うのが適切な人が機会を逸している可能性がある。法改正で終わりではなく、国が普及活動にしっかりと取り組むことが欠かせない」

継続的な周知の拡大と利用しやすい制度の改善が重要。引き続き、安心の仕組みづくりを進めます。

「才能とは自分を信じること」について 6506

未分類 / 2024年8月28日

昨日は市会での断続的な打ち合わせ等。夜、妻と病院へ。昨年の長男夫婦の男の子に続き、一昨日、長女夫婦に男の子が誕生。孫2号。

先日、コラム「名字の言」が記していました。

「芥川賞作家・松本清張の最終学歴は高等小学校(現在の中学校)卒業だった。家が貧しかったためだ。バカにする人もいたが、恥じることはなかった。

学歴は「人格や実力にはいささかも関係のないこと」「下らない意識に自らを萎縮させることは、己れが敗北者になる道である」と反骨精神を燃やし、名作を生み出した(『私のものの見方 考え方』学陽書房) (中略)

ロシアの作家ゴーリキーは「才能とは自分を信じることだ」(野崎韶夫訳)と。誰しも無限の可能性がある。自らの力を信じ、挑戦し続ける人に行き詰まりはない。」

可能性、開くも、閉じるも、君次第。

自分に負けるな、孫2号。

台風と自然の猛威について 6505

未分類 / 2024年8月27日

昨日は青葉台駅前での市政報告の後、市会で断続的な打ち合わせ。夜はお世話になった方の通夜へ。世界一暑い場所とされる米カリフォルニア州のデスバレー。私の出身地の京都と同じ盆地ですが、今年は7月6日に53度を記録したとか。

日経新聞コラム「春秋」が記していました。

「地図からは消えたが、江戸時代に照(てり)降町(ふりちょう)と呼ばれた通りがあった。日本橋の一角だ。地名の由来が面白い。履物を扱う店と雨傘屋が軒を並べていた。晴天の日は下駄(げた)が買い求められ、雨になれば傘が売れる。転じて、笑う人の横に泣く人がいる状況のたとえにもなった。

この往来が変わらず存在していれば、どんな光景になったか。連日のように、尋常ならざる「照」と「降」に見舞われる昨今の夏である。午前中から30度を超える外気に体力を奪われ、夕方は大粒の雨。先日は電車のダイヤが大幅に乱れ、散々な目にあった。かばんに忍ばせていた折り畳み傘も役に立たない激しさだった。

それもこれも、気温上昇と湿った空気のせいだという。いわゆる「大気の状態が不安定」な時に起きる。民間気象情報会社のウェザーニュースによると、昨夏に発生したゲリラ豪雨は9万回以上で、前の年の1.2倍だったとか。今年も同程度になると予想している。暑気も豪雨も生命にかかわる。農作物の被害も心配だ。

猛暑はこの先もしばらく続くようだ。台風10号の列島への接近が予想される。自然の猛威の前に、下駄屋と傘屋が一喜一憂するような情緒はない。ちなみに「照降無(てりふりなし)」は、晴れようが雨だろうが無関係。つまり状況の変化に影響されず、確実だという意味である。照降無に命と暮らしを守る手立てはないものか。」

来年の夏の暑さが、今年を上回ることが容易に想像されるここ数年の夏。

環境問題への対処。干ばつや洪水などの異常気象により、人が住めなくなった土地から「気候難民」が大移動する事も予想されるこの頃。その先に想定される様々な問題。

次世代のへのバトンタッチこそが今を生きる人間の役目かと思いますが、人類に残された時間はそう多くないように感じます。

「きょうのご飯は?」について 6504

未分類 / 2024年8月26日

昨日は市民相談対応の後、午前、午後と地元の会合へ。帰宅後、久しぶりにお好み焼き作りました。私にできる数少ないもののひとつ。今日で横浜市立学校は夏休みが終わります。各ご家庭では毎日のお昼ごはんなども大変だったと思います。

先日、公明新聞コラム「北斗七星」が記していました。

「学校は夏休み。「きょうのご飯は?」と子どもに聞かれ、メニューに苦労している家庭もあるかもしれないが、“家で食べるご飯”は、いつの間にか特別な存在へと変わっていくようだ。

エッセー集『思い出ごはん』(PHP研究所編、PHP文芸文庫)には、著名人の忘れられない味や料理がつづられている。小説家の山口恵以子さんは亡き母を思い、〈母の漬けたあの、甘味のまったくない沢庵が食べたい。まろやかでとろけるようなビーフシチューが食べたい〉〈思い出の味を定義するなら、「お金では買えない味」に違いない〉と書く。

〈家族が家族を思って作る手料理は、この世にたった一つしかない〉と作家の古内一絵さん。〈「あなたはきんぴらが好きだから」と母は言うが、それは違う。私が好きなのは「きんぴら」ではなく、世界に一つの「お母さんのきんぴら」なのだ〉と。

料理研究家の土井善晴さんは言う。「私たちは他者(家族)を思うから料理するのです。料理は愛情。料理する、すでに愛しているのです」「料理することが、思いやりの心を生み出しているのです」(『味つけはせんでええんです』ミシマ社)。この夏、普段は料理しない人も、挑戦してはどうだろう。」

私のお好み焼きに「愛情は」と聞かれると、「エイヤー!」なので怪しいものがありますが、年齢を重ねると共に、手作りの良さを感じます。

「世代を超えて学び合う」について 6503

未分類 / 2024年8月25日

昨日は県本部での会議の後、区内2か所の夏祭りへ。どちらも地元の老若男女が集い、交流する、賑やかなお祭りでした。

つい先日、市の幹部と議論した際、「今の若い世代は人とかかわる機会が少ない。別の世代や普段かかわらないような人との交流が、人としての成長には大事」との指摘がありました。確かにそうだと感じました。人が生きていく上で、食事も運動も思考も、様々な場面でバランスは大事だと思います。

公明新聞コラム「北斗七星」が記していました。

「若い人から学ぶ姿勢が大切――。思考の柔軟性が失われがちな中高年者への教訓として使われる言葉だ。ただ、デジタル化により従来の技術やサービスが次々に陳腐化する今は、もっと切実な意味合いがある。

上の世代は、若い世代の感覚や知識を実質的に学ばなければ社会の変化についていけない。しかし、頭で分かっていても抵抗感を持つ人は多い。

25年近くも前になるが、自治体のIT講習会で講師を務めていたことがある。当時は自分が若く、参加者は年配者が多かった。中には会社の重役と思われる人もいた。気を遣ったが、謙虚な人が多かった。進行を補助するボランティアも年配者たちだった。今思えば経験豊富な技術者だったかもしれない。にもかかわらず、役割に徹してくれた。

さほど意識していなかったが、講習会で接する年配者の姿勢に敬意を持っていた。だから、実りある講習だったと思ってもらえるよう、自然と力が入った。

今も若い世代が上の世代から多くを学べることに変わりはない。世代を超えて学び合うことができれば、個人の成長だけでなく、社会全体の活力アップにつながる。

学び合うとは、尊重し合うことではないか。世代間の障壁をなくしたい。」

地域行事をきっかけに、つながりが増えていけばと願っています。

幼稚園・保育園に併設「児童発達支援施設」について 6502

未分類 / 2024年8月24日

昨日は谷本公園での打合せ、美しが丘東小学校の給食調理室への設置が完了した空調設備の状況を確認。その後、児童発達支援施設を併設する都筑区の港北幼稚園へ。

障がい児や医療的ケア児の居場所を幼稚園に作りたい。そうした想いで障がい児らの保護者が立ち上げたのが、都築区早渕にある一般社団法人うるの木。港北幼稚園の園内に児童発達支援施設「ゆわっこのおうち」を今年4月に開所。

児童発達支援施設は、障がいのある子どもに対し、日常生活に必要な基本的な動作の訓練、集団生活への適応の指導を進める場所。市内に200カ所以上ありますが、幼稚園や保育園に併設された事業所はまだ珍しい状況。

訓練が目的ではなく、子どもにとってどうなのか。すべての子どもが通園できる環境づくりを目指す同園。真のインクルーシブを見る思いがしました。尊いです。

最近はお子さんに障がいがある、もしくは障がいがあるかもしれないがどうしたらよいか、と不安や悩みを抱えている声を聞く機会が増えています。

同時に保護者の就労などにより地域の保育所等を利用する障がいのあるお子さんの利用も増加しています。また、地域療育センターと保育所等の両方を利用する児童も増加しています。そうした児童の保護者からは、地域療育センターを保育所のように長時間利用することを希望する声もあります。現在の社会情勢からもこの声を受け止め、議会でも取り上げました。

しかし、保育所は保育が必要なお子さんに保育を行うのに対し、地域療育センターは、多数の医療職や福祉職が連携して障害児の療育を行うための専門機関。

そのため、地域療育センターでは、障がい児を受け入れている地域の保育所等への支援として、専門性を生かし、障がいの特性に応じた適切な支援方法等を助言する「巡回訪問」を行っています。只、ニーズに応えられているかというと、様々な声があります。

そうした中、昨日視察した児童発達支援施設の併設。これは大きな力となると感じましたし、国もそうした方針を出しています。只、場所やハードを増やすにしても、港北幼稚園・ゆわっこのおうちのような、「子ども目線」の支援ができるかどうか。

同園では、療育という目線でなく、仕掛けと工夫で、子ども達の「できた!」を積み重ねる取り組みを続けられていて、子どもたちの成長につなげている。運営する園における高いレベルのソフトパワーが必要であることを強く感じます。

運営する先生方の力が必要。子ども達のために、横浜市としてしっかりとお支えし、支援を拡充していく必要があります。

強力に推進できるよう取り組みます。

災害とデマについて6501

未分類 / 2024年8月23日

もえぎ野にお住いの方々から「象さん公園(上谷本第二公園)の雑草がひどくて、何とかならないか?」との声。今年の酷暑は愛護会の皆さんはじめ、各地で作業が困難な状況。このほど土木事務所による草刈が完了。お喜びの声を頂いています。

昨日は終日市会で断続的な打ち合わせ。あやしい曇り空。来週は台風上陸のニュースも。

昨日の日経新聞コラム「春秋」が記していました。

「先日、本紙書評欄が「地震と虐殺」という新刊を紹介していた。関東大震災の直後、各地でデマが乱れ飛んだ。「朝鮮人が放火した」「井戸に毒を投げ入れた」。自警団が組織され、朝鮮半島出身者などに殺意を向けたのだ。101年前の歴史の暗部に迫る労作である。

地域住民を蛮行に駆り立てたものとは、何だったのか。ノンフィクション作家の安田浩一さんは、過去の史実を掘り起こすだけでなく、現代のネット社会と地続きの病理を浮き彫りにする。私たちはなぜ、人間の心を失ってしまうのだろう。能登半島地震でも虚偽の救助要請などがSNSで拡散され、被災現場は混乱した。

10年ほど前のことだ。当時、東京のJR新大久保駅周辺などで、在日コリアンに罵声を浴びせる「ヘイトデモ」が繰り返された。本社のインターンシップに参加した学生さんに、怒号が飛び交うデモの現場を取材してもらった。この問題に詳しい安田さんにも話を聞いた。確か、渋谷の中華料理店で懇談させていただいた。

在野のジャーナリストは、報道の仕事を志す若者に差別問題の歴史を懇切丁寧に語ってくれた。先週末、朝のニュース番組をぼんやり眺めていると……。インタビュー記事を書いた元学生さんが、記者として現場からリポートしていた。当時の体験が何らかの糧になってくれたらうれしい。今年も「9.1」が巡ってくる。」

災害時にデマが広まる背景には、人が社会的な承認や注目を浴びたいという心理状態「承認欲求」があるとされています。別のことで認めてもらえるように頑張ればいいのにと思いますが、惨めで、迷惑な話です。

対策として専門家は、「デマに騙される可能性を自覚する」「他のメディアと比較」「発信元、情報ソースの確認」「拡散したくなったら、一度立ち止まる」等を挙げています。

台風接近中。事前の備えをと思います。

「スローショッピング」と「オレンジバル」について 6500

未分類 / 2024年8月22日

昨日は認知症施策の一日。栄区のイトーヨーカドー桂台店へ。認知症の方などがサポーターと買い物をする「スローショッピング」の現場を視察。事業者をはじめ種々支援を必要としますが、これからの時代には不可欠な取り組み。一昨年、私どもが議会で取り上げ、当局の尽力と関係者のご協力で、横浜市内のスローショッピング第一号として稼働しています。

その後、認知症の方や家族、介護・医療などに関わる人々が情報交換や交流を深める認知症酒場「あざみ野オレンジバル」へ。足掛け4年。コロナ禍を経て昨日で50回目。皆さん笑顔で大いに賑わっていました。主催者の長田乾先生(横浜総合病院臨床研究センター長、横浜市認知症疾患医療センター長)と認知症施策について、関係者と共に今後について種々やり取りしました。

先日、日経新聞「経済教室」に、中央大学の山田昌弘教授が「変わる家族像(上) 社会保障制度を個人単位に」と題し寄稿されていました。

山田教授は、結婚や仕事の希望がかなわないというリスク高まる。日本の社会保障は従来型人生設計を前提にしている。家族構成や雇用形態の影響少ない年金にしていくためにも、社会保障制度を家族単位から個人単位に変えていく必要があると指摘。

最後の部分で、「老後を迎えたときに、未婚でも離婚・再婚していても、非正規雇用やフリーランス、自営業でも、子どもがいてもいなくても、人並みの生活ができるようにすべきだ。そのためには、今の年金など社会保障制度を「個人単位」に抜本的に構築し直す必要がある。そうしなければ若者は不安の中で、ますます結婚や出産に慎重になり、少子化が深刻化するに違いない。」

示唆に富む内容。社会構造の変化に応じて、仕組みも変える必要がある。それが不十分なため、社会の不安につながっているとも言えます。国で頑張って頂かなくてはなりません。

スローショッピングも、オレンジバルも、超高齢社会が進む中で、変化に対応した新たな取り組み。

何事も一歩を踏み出す時の苦労は大きいものがありますが、関係者の情熱がカタチに。

変化への対応に向け、取り組みを続けます。