昨日は大谷選手の特大32号HR、横綱照ノ富士・復活優勝からのパリオリンピック。夏祭りと共にスポーツが盛り上がってます。他方、日本のプロ野球ペナントレースは後半戦へ。先日、東スポが「なぜ3割打者は減少しているのか」と題して広島・秋山翔吾外野手へのインタビューを掲載していました。深いです。
「3割打者はなぜ減少しているのか――。投高打低が叫ばれる球界では「一流打者の証し」でもある打率3割を超える打者が減り、今季の前半戦終えてセ・リーグは3人、パは1人しかいない。2015年に216安打でNPBの年間最多安打記録を打ち立て、17年には打率3割2分2厘で首位打者にも輝き、4度の3割超えを成し遂げた元メジャーリーガーの広島・秋山翔吾外野手(36)を直撃した。
――今年も3割打者が少ない
秋山 どんな野球界にいても打率3割というのは打者の一つの水準で、プロは特にそう思います。アマチュアであれば、もっと上の数字がないと、次のレベルでやるためのスカウティングに引っ掛からない可能性があります。プロで3割を何回打ったかというのは、その個人を説明するのに分かりやすい表現の一つだと思います。当然、今年〝打てた〟となれば〝貴重な選手〟の証しになるでしょう。
――17年にパの首位打者を取った時との違いを感じるか
秋山 その時の野球のレベルがどうだったか。その時1点台のピッチャーが何人いたとか。そういう投手がたくさんいる中で打てた3割か、防御率のトップが2点台後半、あるいは3点台しかいない中での3割か。打者として相対的にどこにいたかも大事かなと。(17年に)僕がパ・リーグで首位打者を取った時も3割は僕と柳田しかいなかった。なら、今のシーズンが2017年と似たシーズンかと言えば、そうじゃない。なぜならあの年に関しては僕はホームランも25本出ました。チームとしても、得点を多く取れていた。今年は個人の成績だけでなく、どのチームも点が思うように取れていないという問題がある。だからといって、バッターとして現状を「それで良し」と思っている選手はいないと思います。
――何が違うか
秋山 中継ぎにしても、リードして出てくる投手とビハインドの展開で出てくる投手でも、最近は150キロを普通に投げてくる。ヒット1本打つことは、さらに難しい時代になっていて、当時(17年)よりも「投手対打者」の格差が開いているのは正直、感じてます。
――どんなところからくるものか
秋山 今は投手も野手もパフォーマンスを可視化できる時代になっています。ただ、野球で言うと打者は変化に対して、常に〝受け手〟です。ピッチャーは情報で得たものをもとに自分がこうしたいというイメージを形にしやすい。それに対して、打者は出てきた変化に対応していかないといけない。人はそもそも未知のものとか、体験していないものに対しては時間がかかる生き物。情報を蓄え、更新し、そこに向けての準備をまた行って。野球に置き換えれば「はい、いきます(投げます)」と仕掛けてくるのは常に投手の方。その仕掛け一つに対応することにも、それなりに時間はかかります。
――打者・秋山としてはどう準備する
秋山 例えば、160キロのマシンを見るってなって10球見る、あるいは打つだけで済ますか。100球打って済ますか。その後の対応の早さも変わってきますよね? だから「数」からやらないと、何が効率的かは分からないと僕は思っています。
――それがあって初めて不要な要素を削る
秋山 例えば、雪山をちょっとしか積んでいないのに穴を掘って、かまくらを作っても小さいし、早くつぶれる。だから「積む動作」は大切だと思っています。「これをやっていて良かった」と思えるのは数年後かもしれませんし、効率、要領が大事なことは十分分かっていますが、やはり僕は練習の「量」というところは必要で大切だと思っています。」
個人情報などは別にして、何でもと言っていいほど「可視化」が進む時代。スポーツなどは可視化で進化していけばいいなと思いますが、社会全体で考えると、見えないものが見えてきてよかった、という事もあれば、見えなくていいものが見えてしまったということも。
合法的に、見えない所で社会を支え、またそこが居場所となっていた人がいる。しかし、可視化され表に出てくることに。それによって居場所もなにもなくなることがあります。
説明するのは難しいのですが、何でもかんでも見えればいい、ということでもないと思うことがあります。
それにしても、秋山選手の言葉。一流は深いなあと感じました。