昨日はお世話になった方への弔問、市会での作業、ご挨拶まわり等。政策懇談会がひとまず終了。業種が異なる各団体からよく耳にしたのが「カスハラ」に関する内容。執ような言動、不合理または過剰なサービスの要求等のこと。対策に向け企業・行政も動き出していますが、毅然とした対応が必要です。
一方、「ハラスメント」にかなり気をつかう、その必要に迫られるようになった日本社会でもあります。
先日、日経新聞コラム「令和なコトバ」にライターの福光恵さんが、「ハラ・ハラ『それ嫌がらせ』と言い過ぎる」と題して寄稿されていました。納得でした。
「セクシャル・ハラスメント」が新語・流行語として注目されたのは、平成が始まった1989年。うれしい言葉ではないのだが、その後、平成最大の新語・流行語と言っていいほど世間に定着してしまった。同時に、各種○○ハラスメントは、きょうもその裾野を広げている。
2021年に刊行された「トラブル回避のために知っておきたい ハラスメント言いかえ事典」(朝日新聞出版)を開くと、それでもまだ知らなかった○○ハラスメントの多いこと。一例がSNSの流行とともに生まれた「ソーシャル・ハラスメント」、略してソーハラだ。SNSを使った嫌がらせや、友人登録の強要などがこれに当たる。
コロナ禍で在宅勤務が広がると「リモート・ハラスメント」が誕生。オンラインのコミュニケーションで起きるパワハラなどのことで、オンライン会議中に子どもが騒いでいる部下に「馬鹿ガキがうるさいな!」はアウト。「会議中だけでも静かにお願いできない?」もグレーゾーン。ここは優しく「何かあったら、相談してね」が正解だ。
要はトレンドあるところハラスメントあり。最近は部下から上司へなど、立場が逆転した逆ハラスメントなるものも増えているらしい。そこで今週のお題、「ハラスメント・ハラスメント」、略して「ハラ・ハラ」だ。逆ハラスメントの一つで、不都合なことや不快なことを何でもハラスメントと騒ぎ立てる、ハラスメントのハラスメントのことをこう呼ぶ。
例えば上司から誘われた飲み会を断るとき。「課長に飲み会を強要された! これパワハラですよね!」は、ハラ・ハラ。「それって強制参加ですか? プライベートの時間を取られたくないんですけど」もグレーゾーンとなる。「お誘いありがとうございます。飲み会は苦手なので遠慮させてください」が、模範的な対応となるという。
この本の監修者で、ハラスメント研修専門講師も務める山藤祐子さんによると、正当な指導とハラスメントを混同したこんなハラ・ハラ事例があったという。何度も同じ間違いをするため、先輩社員から重ねて指導を受けることになった新入社員。「不適切発言もなく、パワハラとはいえない指導なのに、本人はパワハラだと思い込んで、会社中に主張。会社を辞めるときにも、『会社も先輩も訴える』と捨てゼリフを残していった話が実際にありました」
また「ChatGPTに上司のことを相談したところ、それはパワハラだと言われた」との理由で上司を異動させろと訴えた、まさにトレンディーなハラ・ハラ部下なんかもいたそうだ。
まあ、ハラスメントと認定されるのが怖くて、言いたいことも言えなくなったという上司世代の声はよく聞く。でも、ハラスメント→ハラスメント・ハラスメントと来て、今度は「ハラスメント・ハラスメントが過ぎる部下を許せない!」という「ハラスメント・ハラスメント・ハラスメント」とか、ハラ・ハラ連鎖が続く予感も……。あのー、ハラハラ言い過ぎて舌かんだんですが、この原稿もハラスメントってことはないです、よね?」
個人的には、ハラスメントがいいなどとは思いませんが、人が多様な声を受け止める力、また耐える力が落ちるような気もしますし、生き物としては、環境の変化に弱くなっているような気もします。
他方、伝えたいことが伝わらないとなると、伝わらない溝を埋めるのは個人の想像なのかも知れません。これは危ういものがあります。
また、人間が生きる上で大事な対面での会話、対話は、リスクとされるのかも知れません。
非対面でのネットコミュニケーションは便利ですが、これだけでは伝わりにくいものがあり、少なからず社会問題の原因となっています。
人とつながらないと生きていけない人間ですが、都合のいい時だけつながればいいというのは、戦後80年間の平和の時代の恩恵なのかも知れません。
この先の社会はどうなるのか。気になります。