昨日は朝から中区での会合の後、地元での会議に向かう途中、先日アップした青葉台駅近くの道路陥没の補修完了を確認しました。
東京の自民党、公明党の話。飛び交う見出しに「こたつ記事だなあ」と思うことがあります。ろくな取材もせず、事実も知らず、面白おかしく、金儲けのために思い付きを並べる。それが人の目に触れる。個人的には、日本国にとって「百害あって一利なし」だと思います。
昨夜、以前録画しておいたNHKの特番「テレビジャーナリズムを語る テレビ70年 柳田邦男✖️池上彰✖️大学生」を観ました。鋭い指摘の数々。大事な言葉だなと思い、書き起こしました。よろしければどうぞ。
池上氏「東日本大震災の時はSNSが効果を発揮したと言われているが、一方でSNSでデマも随分拡散した。現代におけるSNSのあり方、どのように見ているか?」
柳田氏「現代におけるSNSのあり方が、年ごとにひどくなってきてるっている。フェイクニュース、情報、いい加減な情報が社会を覆うぐらいになっている。受け手としての我々は、混沌とした情報の確かめようのない時代に生きてる。それをまずベースにして考えてニュースを見ないといけない。そういう中で、ジャーナリスト、記者、ディレクター提供する側は、最低限出来る範囲内で検証作業を絶えずやっていく。あれは正しかった、間違っていたということを、絶えずやっていくことによって視聴者、読者の目を肥やしていく、とても大事だと思う。」
池上「アメリカの大統領選挙をめぐって、ずいぶんフェイクが出た時に、イギリスのBBC、公共放送が「スローニュース」という言い方をしはじめた。放送局だから速報を題している。だけど、それは実は後でフェイクだってことがわかるかもしれない、という時に、時間をかけて本当に確認されたことだけをやる。2段階でやっていこうということに、最近方針を打ち出した。ぐっと我慢をして確認されたものだけを出していく。これ勇気が要ることだ。」
池上「なんとなくSNSから情報を得ているときに、主体的に自分が選びとってるように思うけど、『実はアルゴリズムで転がされてるという自覚を持つことって大事』なことだと思うんだよね。私のパソコンだといつもウクライナの話とかロシアの話だとかずっと出てきてる。ところが別の大学の研究室のパソコンでたまたまで何件か芸能ニュースを検索した。そこで見たら芸能ニュースしか出てないわけ。全く違うんだよね。自分が最初に何件か検索しただけで、全くその下が塗り替えられてしまうんだ、ということを知って、本当に恐ろしいなと思った。実は私は気づかないうちに、SNSによってアルゴリズムによって自分が関心のあることしか入ってこない。『偏った人間が作られているんだと自覚を持つことがとても大事』なことだと思う。」
テレビジャーナリズムの未来について
池上「君たちが使い分けるということ。ネットのニュースは玉石混交。しっかりとしたネットニュースもある一方で、そうじゃないのもある。特にコロナで芸能人に取材できなくなった。じゃあどうするか。テレビで芸能人が何か発言すると、この人が「こう言った」ということを書いて、ネットにそのままあげる。これは家でこたつにあたったままテレビを見て書けるような原稿、これを『こたつ記事』と言う。ものすごくあふれている。それって「ニュースなのか?」。やはり、きちっと取材力のある人が取材をし、独自に出していく。それを選択して見ていくということが大事なことかと思う。」
柳田「私の駆け出しの頃は、ジャーナリズムとかジャーナリストは正義の御旗をを振りかざして、先頭走っていくイメージが強かった。そういう時代はもう終わってると思う。本当に人々に必要な情報は何か、深いところまで掘り下げて、考えた上で作っていく、そう思います。
池上「テレビって何のために存在してるんだろうと考えざるを得ないわけだよね。様々な不正を告発するとか、それによって結果的に、世の中を少しでも良くする、世の中を良くしようって考えるのは思い上がりなんだよね。それいけないんだよね。そうじゃなく問題点を指摘することによって、結果的に世の中が良くなればいい。それは国民がすること、国民の代表の政治家がすること。テレビがそこまで思い上がっちゃいけない。だけど少なくとも何が問題かってことを、キチっと指摘していかなければいけない。SNSとか、たくさんのライバルがある中で生き残っていくためには、結局支持されなければいけない。
70年の節目に、それを考えて放送開始100年という企画が成り立つのかどうか、という危機意識をもって改めて考えていくことの1つのきっかけになればいいなと思っている。」
ニュースを見分け、使い分けること。その通りだと思う一方、日本の環境を見れば、悩ましいものも感じます。
自由が強く制限されるようなことは困るけど、かといって野放しでも困る。
共産主義は困るが、自由と放縦の判別もつけられない民主主義では社会は成り立たない。
戦前の日本に戻ることなど論外だが、平和憲法を使いこなせているのかどうか。
多様な意見のもと、悩ましい現実を前に、ズルズル行くのは限界に近付いているのではないか。
昔から言われていることですが、政治には、日本のあり様、将来の姿を示し、国民が選択した道を、ブレずに導く力が求められているように感じます。