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公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

「プリンス・オブ・ウェールズ」と「コタバル」について 5802

未分類 / 2022年9月26日

IMG_5590昨日は地元での会合に参加した後、大学同期の仲間達と再会。地元に戻り懇談会。

プリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ公)といえば、英国の王位継承者に与えられる称号。エリザベス女王が逝去され、チャールズ国王即位に伴い、現在のウェールズ公はウイリアム殿下。

私が思い出すその名は、「戦艦プリンス・オブ・ウェールズ」。太平洋戦争開戦直後のマレー沖海戦で日本軍の攻撃により沈没した戦艦です。

34年前、創価大学の交換学生としてマレーシア・マラヤ大学へ留学していた時、マレー人の友人の実家があるマレー半島北東部の町「コタバル」に遊びに行き、その名を知りました。1941年12月8日、日本軍が東南アジア侵略のために最初に上陸作戦を実行した町。それは真珠湾攻撃の1時間前の出来事でした。

友人は日本軍が攻め入った場所に私を連れて行き、残されていた要塞を見せました。その時に撮った写真が残っています。(1988年10月31日撮影)

そこにはマレー語で「kubu yang digunakan untuk mempertahankan serangan jepun 1941(1941年、日本の攻撃を防御するために使用された要塞)」と書かれていました。

どれだけ日本軍は非人道的な酷いことをしたか。何の罪もない友人の一族も日本軍に殺害されていました。アジアの人々を不幸に底に陥れた日本軍の過去は消えません。未だに差別的にアジアの人々を見下す日本人もいますが、差別から幸せにつながるものは何も生まれません。日本人の多くは、未来を見つつ、平和な中で、家族の幸せを享受し、人として世界の人々と共に発展していくことを望んでいると私は思います。

他人の不幸の上に、自らの幸せを築こうとする「きな臭い話」は、今の平和国家・日本には不要です。

先日、日経新聞コラム「春秋」を読み、昔の記憶が蘇りました。

「太平洋戦争の火ぶたを切ったのは、真珠湾攻撃ではなかった。その約1時間前に、英領マレー半島への上陸を図る日本軍と英国軍の戦闘が始まっている。新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズはマレー沖で日本の攻撃機に沈められ、チャーチル首相に強い衝撃を与えた。

英国の対日戦の記憶は、反日感情としてたびたび蘇(よみがえ)った。終戦から半世紀以上がたった1998年、天皇だった上皇さまが訪英された際も、元戦争捕虜らが罵声を上げ、日の丸を焼いた。「深い心の痛みを覚えます」「二度とこのような歴史の刻まれぬことを」。晩餐(さん)会での上皇さまの言葉だ。批判を受け止める態度だった。

日本の皇室も英王室も、政治的権能は持たない。ただ息の長いその交流が、結果として両国関係に影響を与えてきたのも事実だ。国家間の友好親善といっても「結局は、生身の人間同士がどれだけ互いに親しみを持つかということに還元される」。元外務事務次官で侍従長を務めた川島裕氏はつづっている(「随行記」)。

天皇陛下は皇后さまと訪英し、エリザベス女王に別れを告げられた。新型コロナ禍は陛下の即位後の外国訪問を阻んできたが、昭和からの女王との親交がその壁を越えた。3年前の即位礼ではチャールズ新国王が来日している。バトンは次世代へわたってゆく。戦禍の過去も包み込んできた友情は、まだまだ深まるはずだ。」

天皇陛下は平和国家・日本の象徴。日本人の一人として、世界の人々と共に、平和の道を歩んでいきたいです。